授業でわからないことは先生に質問することは
よいことであると思われている。
事実,大人の世界でも,
アメリカの大学の様子などを引き合いに出して,
質問する力が大切だなどと言われることが多い。
しかし,本当にそうだろうか。
私が子供の頃を考えてみると,
質問する子と質問しない子がいた。
質問する子は,だいたい成績で言うと,
中ぐらいのちょっと上ぐらいが多かったように思う。
逆によく出来る子供は,
ほとんど質問しなかったように思う。
授業内容に疑問などなかったか,
さもなくば,疑問点があっても,
自分で調べたり,考えたりして,
自力で解決していたのであろう。
自分で調べたらわかりそうなことは,
安易に質問すべきではないと
考えていたのではなかろうか。
これもまたひとつの見識である。
こういうことを思い出していると,
授業でただただ質問することがよいことのように言うのは,
いささか浅薄にも思える。
質問しないという美質もまた認められるべきであろう。
よいことであると思われている。
事実,大人の世界でも,
アメリカの大学の様子などを引き合いに出して,
質問する力が大切だなどと言われることが多い。
しかし,本当にそうだろうか。
私が子供の頃を考えてみると,
質問する子と質問しない子がいた。
質問する子は,だいたい成績で言うと,
中ぐらいのちょっと上ぐらいが多かったように思う。
逆によく出来る子供は,
ほとんど質問しなかったように思う。
授業内容に疑問などなかったか,
さもなくば,疑問点があっても,
自分で調べたり,考えたりして,
自力で解決していたのであろう。
自分で調べたらわかりそうなことは,
安易に質問すべきではないと
考えていたのではなかろうか。
これもまたひとつの見識である。
こういうことを思い出していると,
授業でただただ質問することがよいことのように言うのは,
いささか浅薄にも思える。
質問しないという美質もまた認められるべきであろう。
おまけに6年間同じクラスでしたので、何を言いたいのか、それぞれの発言前から分かるようになりました。誰もがです。5年生や6年生になったら質問しあうのは減ってしまいました。
中学生になり、またクラス会の議論が盛んになりました。クラス変えがあり、おまけに半分は他の小学校から来た人でしたので。お互いが良く分からなかったからでしょう。
おまけに私は自意識過剰。とにかく先生が答えられない質問をまい時間1、2するのを目標にしていたようです。可愛い女子の、他校から来た人に認められたかったのでしょう。
このように今ならコメントできますが、昔は口が裂けても言えなかった。情けない男だったのです。告白などない時代の、マセタガキでした。先生が困るほど難しい質問をする人を演じたかった一心でした。でも、そのおかげで理科や数学が得意になりました。
綺麗な若い女性の先生が社会科を教えてくれたとき、答えられないような恥ずかしい質問もした、今で言えばセクハラ男。質問内容を具体的には言えません。
そのような行為が恥だと高校生になった時、感じるようになりました。反抗期が終わったのでしょう。おまけに他校に行った昔の同級生に忍ぶ恋をしたからでしょう。
その結果、大人になり、女性に優しい男の素地は中学の恥ずかしい質問で磨かれたようです。会社に勤め、男女差の少ない管理法が得意でした。
質問は、学習に大事なのかもしれません。でも、以上は昔話です。最近までしていた非常勤時代、質問はありますかと言うと、高校では何も質問はありませんでした。10年間ですよ。
その前の女子大非常勤時代、10年したのですが、最初の年に、質問がありますかと言うと、質問してきたのは62歳前後の女学生でした。
次の年のクラスにも企業を定年した女性がいたのです。二人とも60になり学びなおそうと大学に来ていたのです。ですから最初の2年間は素晴らしい講義になったと自負していました。
でも、ここで転です。1年上の一方の女性は4年生の時癌でお亡くなりになったようです。頑張りすぎた人生だったのかもしれません。
もう一人の女性は3年生の時、私の講義の期間に大学を中退してしまいました。中退の理由です。親が要介護状態になり、勉強できなくなったそうです。
質問の話になるとこの涙の物語を思い出してしまうのです。南無阿弥陀仏。
今、学校に行けてません。学年主任の数学教師に目を付けられてるからです。
自慢するわけではありませんが、できる方です。リーダーとして期待してると言われます。
でも、俺ひとりで崩壊しそうなクラスの雰囲気を変えるのは無理です。
小学校のときみたいに「はい、はい、は~い」と手を挙げる授業を望んでるみたいで、中二病ぞろいのみんなが応えるはずがなく、他の教科の先生見たく、淡々とへたな理解しにくい質問なんてしないで、進めていってくれればいいんですが。
「こんなしらけたクラス初めてだ」
「質問するやつ、誰もいないのか!」
俺に向かって クラス委員がそんなんだから 馬鹿クラスになる、リーダー性がない、と怒鳴られても、俺はいじめの対象になるだけで、みんながついて来てくれるようなカリスマにはなれません。
説教でジュギョウをつぶす先生を何とかして下さい。学力日本1の県に住む中二病より お願いします!
アメリカ人の中で勉強し、今は彼らを相手にして教えています。沢山の質問がでていいなぁ、なんて思ったのは、教え始めて数ヶ月のみ。最近では「質問=思考停止状態」という感じを受けます。
自分で「自力で解決」せず、すぐに人に聞く。よくよく考えてみれば、「これでいいのだろうか?待てよ、こういう考え方もあるのではないか、先生に聞いてみよう」というのだったらいいのですが、「この問題間違えた。(見直しもせず)何故この答えなのか、先生に聞いてみよう」というのがあまりにも多すぎます。堂々と手を上げて「I don't understand. I don't get it」と言いますが(そういえる雰囲気もある程度は必要なのかもしれませんが)、僕は「分からないという前に、自分で何とかしろ」と言っています。最初は彼らにとっては?だったと思いますが、最近は慣れてきたように思います。
「教師に尋ねる質問/疑問の質を高めること」と「自分でできるところまで考える」というのは、自主性や生徒の自立を促す意味で、表裏一体な気がする今日この頃です。
子どもが何気なく「空はなぜ青いの?」と質問するときなどは、親は何となく感動したりするものですが、だいたいは愚にもつかない質問ばかり。
知ったかぶりの知識をひけらかしたり、茶化したり…。
ただ日本では、大人も子どもも、やたら質問すると、周囲から白い目で見られるので、優等生に限らず自粛する傾向があります。
だから、素朴な疑問については「わからないなら質問したら?」と促してあげることも必要かもしれません。
その際、教師が「くだらない質問をするな」と頭ごなしに却下するようだと、子どもは萎縮して二度と質問しなくなってしまいます。
だから「質問することは良いことなんだぞ。無碍に却下してはならん」と教師に釘を差しておくことは意味があるのではないでしょうか?
mad様は学生の頃、同級生がくだらない質問するのをいささか冷ややかに見ていた優等生だったのでは?(失礼)
私はくだらない質問をして教師に即却下されるタイプでした。(笑)