知識中心の詰め込み教育はダメで,
これからは「考える力」を育成することが
大切だなどということが言われ,
多少揺り戻しはあるものの,
大筋ではこの考え方は支持を受けているように思われる。
でも,よくよく考えてみると,おかしなことがある。
このような発想をしている大人たちの多くは,
この言説に従えば,
子どものとき,知識中心の詰め込み教育を受けてきたことになる。
したがって,「考える力」が乏しいはずである。
すなわち,「考える力」の乏しい人たちが考えた説なのである。
それは違う,私は,知識中心の教育を受けてきたが
「考える力」はあるのだと,もし言いたいのであれば,
当初の言説は成り立たなくなる。
もともと,
このようにパラドクシカルな面をもつ言説など
真に受ける必要はなかったのである。
もっとも,詰め込み教育というものが
本当に存在したのかどうかさえ怪しいものである。
これからは「考える力」を育成することが
大切だなどということが言われ,
多少揺り戻しはあるものの,
大筋ではこの考え方は支持を受けているように思われる。
でも,よくよく考えてみると,おかしなことがある。
このような発想をしている大人たちの多くは,
この言説に従えば,
子どものとき,知識中心の詰め込み教育を受けてきたことになる。
したがって,「考える力」が乏しいはずである。
すなわち,「考える力」の乏しい人たちが考えた説なのである。
それは違う,私は,知識中心の教育を受けてきたが
「考える力」はあるのだと,もし言いたいのであれば,
当初の言説は成り立たなくなる。
もともと,
このようにパラドクシカルな面をもつ言説など
真に受ける必要はなかったのである。
もっとも,詰め込み教育というものが
本当に存在したのかどうかさえ怪しいものである。
情報とは敵情報告なのです。報告者はスパイかもしれないし、テロリストかもしれないのです。
情報学を正しく学ぶとこの世の中は荒野ばかり砂漠ばかりみずくかばねばかりなのかも。悲しいことです。
先日、映画監督でもあり、大学教授でもあるという人の話を聞きました。学生たちと話していると「ゆとり教育」の弊害が出ているとおっしゃっていたのが気に掛かりました。「ゆとり世代の子だからね」と一括りに若い世代を見ることには違和感がありました。(私もマニュアル世代なんて言われると、違和感を感じるのです。なんだかそこで人を見る目への思考が止まってしまうようで…)つい最近、自身の大学の教授も同じようなことを言っていたので、本当のところどうなのかなぁと。
時代の教育の方針で本当に、人間一人ではなく、社会自体に大きく関わると考えるとその方針にこそ「考える力」が必要な気がします。
たまには、~べきなどと、はみ出ることはないかと期待しています。