当たり前のことだが、自己を懸ける志があれば、一般他者への奉仕は条件下に置かれる。一時的な錯覚も起こしてはならない。この意味で、無制約的行為は、自己の探究と実現の志が多くの場合実体であるような、真の個人主義的生に、とくに特有なものである。
ふらふらしている者が他者奉仕をしても感心したことではない。何のための社会制度なのか。自分勝手と志に生きることは違う。たしかに紛らわしい面もあるから、志への決断で分離する。決断が、他者の無責任な批評を根本的に無効にする。 とくに日本でよくあることだが、そこに偽善しか見れない者はそれだけで低劣な人種なのだ。
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