日本人の民族的精神病 ””⁂本人にたいする他人という問題 行為は役に立つか ””
二度目の再呈示
2023年02月28日
初再呈示
2022年02月28日
訓
他人が本人を理解しないのはまだいい。本人が承服できない誤解や信念を本人に押しつける他人というのが、有害なのだ。この単純な問題をどうにかできないものだろうか。
知性の欠如と言うしかないわね。
日本人全体の民族病だ。それをますます感想する。学の有無にかかわらないところが深刻なんだよね。
勉強したからどうなるものでもないとおもうわ。
なにを(どういう次元のものを)勉強したかも問題だしね。
ぼくは勉強や行為から遠ざかることが大事なんだ。気持を整える思惟状態にじぶんを保つには、行為は役立たないどころか大穴を開けてしまう。
ブッダさんみたいな心境ね。
じじつそうおもうんだよ。勉強はほんとうはぼくにはもう必要ない。副作用のほうがおおきくってね。克服したものがよみがえる大隙を意識につくってしまう。それを義理がたくやっているんだから。勉強している人々を振り返ってみなよ。どこに、尊敬をおぼえる賢人がいるかね。いたるところその反対だ。
勉強そのものが、精神状態によくないのね。
人間にかかわった記憶が付いてるかぎりはね。
デカルトに倣う瞑想がいちばん効果があるよ。この世からじぶんを分離する意志だ。
うまくじぶんを調整していってね。 気づいてらっしゃるんだから。
あっ!そうか! ディオティーマは行為じゃなくて瞑想していたんだね。 ヘルダーリンみたいじゃなくて。
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