阿里佐橋(新見市)
新見市井倉にある鍾乳洞「井倉洞」へ行くための歩道橋です。
「井倉洞」は高梁川のほとりにある井倉峡にあります。
写真でもわかるように、その入口は対岸の切り立った渓谷のふもとにあるため、この「阿理佐橋」を渡っていくことになります。
「井倉洞」へ入洞するには、近くにある受付で「入洞料(大人1,000円)」を払ってチケットをもらい、橋のたもとにある「入洞口」で半券を渡してから対岸にある入口へと進みます。(つまり、橋は有料ということになります。ただし、橋だけ渡りに来る人なんていないでしょうが・・・)(撮影10月9日)
ところで「阿理佐」という橋の名称ですが、洞窟の出口にある「阿理佐の宮」という小祠がその名前の由来となっています。
祠のそばにその縁起を紹介する表示板がありました。
「阿理佐の宮縁起 戦国の世、元亀 天正の頃、この里に茂作、阿理佐と云う恋仲の若い二人が居た。たまたま高梁松山城主の次女鶴姫が井倉峡へ紅葉狩りに馬で来た際、そのりりしい美姫の姿に茂作は心を奪われ自分でも一城の主になれば鶴姫を妻にできると夢を追い、阿理佐を捨て姿を消してしまった。阿理佐はきっと戻って来ると待ち侘びたが、茂作の消息は絶えたままだった。生きる望みを失った阿理佐は井倉峡の舟かくしの淵へ花の命を投げてしまった。
里人は悲恋の乙女を憐れみ、淵の上に小祠を祀り「阿理佐の宮」として春秋に祭りをし今も「縁結び様」として若い人達の信仰を集めている。鶴姫は後に児島常山城主に嫁ぎ、城が毛利の大群に亡ぼされた時、女軍を指揮して奮闘し自害し、戦国史に女軍の戦いとして勇名をとどめた。茂作の其の後は誰も知らない。」