ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその169-カルメン・ミランダ

2015年09月14日 | ワールドミュージック
サンバの女王。

先週のブログで、ブラジルの「サンバ」ついて取り上げた。
その中で、男性歌手の代表として「シロモンテイロ」について紹介した。
今回も、ブラジルの「サンバ」歌手について、紹介したい。
通常なら「オルランド・シルヴァ」や「エルゼッチ・カルドーゾ」を紹介すべきだろうが、今回は違う歌手を紹介する。
それは先週のブログで、名前だけ紹介した「カルメン・ミランダ」である。
この歌手だけは、是非知っていただきたいので、今回のブログで取り上げることとした。
まずは彼女のプロフィールを紹介しよう。

「カルメン・ミランダ」は1909年ポルトガル生まれ、生まれてすぐに父親がブラジルへ移住したため、ポルトガルでの生活はごく短いものだった。
1929年にドイツにて初録音、1933年にレコード会社と専属契約を結ぶ。
以後1920~1930年代の、ブラジルでの「サンバ」黄金期にブラジルで人気を博す。
1939年アメリカでのデビュー、1950年代前半までハリウッド映画十数本に出演し、アメリカでの黄金期を迎える。
その後、人気に翳りが見え、1955年逝去、46歳。

「カルメン・ミランダ」を簡単に紹介すると上記のようになる。
私自身、アメリカに渡って、パブリックイメージを確立した彼女より、ブラジル時代の彼女の方が好きだ。
彼女の歌は、けれんみたっぷりで、スリリング、また、そよ風に乗る紙飛行機のような流麗な歌い方。その全てにおいて、1930年代の彼女と、対等に扱われる歌手はいないだろう。
私自身、彼女の歌を聴いて「世界の歌手の中には素晴らしい歌手がいるものだ」とつくづく感心させられた。
主に映画や、ブロードウエイで活躍していた時代を、私は知らない。
しかし、大体の場合、実力がある歌手でも役者でも、大舞台を踏み始めると、初心を忘れてしまい、その才能を無駄にしてしまう。
彼女がそうだったのか、それを見ていない私には評価できないが。
しかし、彼女の人気がアメリカでピークを迎えたとき、お金の話しかしなかったという噂が、ブラジルではまことしやかに流れたと言う。
そのようなことを、側聞すると、やはりブラジルでの黄金期の彼女の才能は、アメリカで100%活かされていたとは言えないだろう。
下に黄金期の「カルメン・ミランダ」の歌唱のリンクを貼った。
前述した、その素晴らしい歌唱を是非ご堪能いただきたい。

カルメン・ミランダ サンバの帝王