ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその173-バードマン

2015年09月23日 | アメリカ映画
落ち目役者の希望とカオス。

人間、一度栄光のスポットライトを浴びてしまうと、それはなかなか忘れられない。
いつまでも、自分がその時の現役でいると思ってしまう。
過去、このブログで紹介した喜劇人が、その典型であるともいえる。
舞台での拍手、雑誌でのレビュー、そのたもろもろが彼等たちに栄光のカオスを齎す。
私自身も、バンドで活動中の時は、ステージで多くの喝采をもらった。
それは今でも覚えているし、今の自分自身の糧になっている。
演ずる側と、それを観る側。その距離感等、通ずる空気とは恐ろしいものだ。
本日紹介する映画は「バードマン」まさに、栄光と言う幻を追った男の映画だ。
ストーリーを紹介しておこう。

トムソンは過って「バードマン」と言うヒーロー映画の主演を努めた男である。
「バードマン」時代は、大衆に広く受け入れられ、人気も絶頂であった。
それから20年、老いも深くなった彼は、以前の人気を取り戻したいと考えていた。
そこで彼は、かってのヒーロー像を覆し、正当な役者として復帰することを目指す。
その舞台に彼は、ブロードウエィを選択した。
正統派俳優として、復帰すると同時に、再び新たな名声を得るのだ。
しかし、リハーサル途中で脇役が怪我をし、その代役としてブロードウェイで活躍するマイクを代役として契約する。
プレビュー公演まで僅か、舞台は順風満帆に進むように見えたが..........

この映画は、今年のアカデミー賞に多部門でノミネートされ、その殆どを獲得した。
監督賞も、作品賞も受賞している。
しかし、このような作品が作品賞に選ばれるのは、稀有ではないだろうか。
アカデミー賞の作品賞は、基本的に「アメリカ万歳」的な要素を持った作品が選ばれることが多い。
その点私は未だ観ていないが、対抗馬とされた「6歳の僕が大人になるまで」の方が作品賞に相応しいと映画好きの人々は、異口同音に言っていたのを思い出す。

ストーリーに戻るが、トムソンは徐々に自分に冒されていく。かっての「バードマン」が自分の後からついてきて、彼に様々なことばを投げかける。
そしてトムソンは、空を飛び、指先に触れずして物を動かしたり、破壊したりする。
彼は「カオス」の真っ只中に投げ出されたのだ。
そのような中、彼は奇怪な行動を続け、自らが「カオス」と化してしまう。
そうなると、もう彼はそこから逃げ出せない。
なにしろ、時分自身が「カオス」なのだから、逃げることなど出来るわけが無い。
彼は、彼自身の「カオス」のスパイラルにどんどん飲み込まれていく。
ラスト、彼は飛ぶ。
バードマン、君が最期に目にしたものは何だったのだろう。

2014年アメリカ製作、2015年日本公開、カラー119分、監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ