終焉。
その記事は、私を驚かすには十分すぎた。
それは今年の正月、暇に任せて、ウエブを色々見ていた時だった。
検索エンジンに何げなく「idio」と入力してみた。
そう、このブログでも何度が取り上げたそれである。
検索結果のトップにはi-dioのホームページが出力されていた。
なにかi-dioに新たな動きがあるのか、興味を持って、ページを開いた。
確かにそれはあった。12月25日付けのニュースである。
それをクリックした後、私の体に戦慄が走ることとなる。
そのニュースはi-dioのサービス終了を告げるものだった。
2016年にサービスを開始した同社だったが、経営不振のため、本年3月31日を持って、サービスを終了すると言う。
私はこのサービスの「ハイレゾ」を聴きたいがため、ipadタッチを買った。正直残念である。
何故経営不振になったか、原因は明らかである。受信機の普及が全く伸びていないのだ。
もっとも、i-dioを直接受信でき、音声を再生できるものはない。
単体チューナーも売り出されたが、チューナーで受信したものを、わざわざスマホへwifiで飛ばし、スマホ側で聴くと言う煩雑な物だった。
おまけに、インターネット経由でも同じ内容の物が聴ける。これでは、電波を使って放送する意味がない。
i-dioのHPには、あろうことか「インターネット受信」を推奨していた。これでは主客転倒ではないか。
飽くまで電波受信に拘った方法を。推奨すべきではなかったと思う。
よって、電波の入り口から、音声の出口まで、一貫して行える受信機がなかったのが、まさに画竜点睛を欠くと言わざるを得ない。
そして、現在の「スマホブーム」である。人々は、数多あるアプリから好きなものを選べ、それをインストールする。
i-dioには、そのアプリの中で、さして注目されていなかったのだろう。
日本には、新しい文化がなかなか根づかないと思う。
鳴り物入りで開始された「i-dio」。新しい文化として捉えていた私にとって、今回のことは、大変残念である。
これで、余った「VHF」の周波数帯は何に活用すると言うのだろう。
日本初となったある意味での「DAB」は、寂しい後ろ姿とともに、新年度にはその発信機の灯を落とすのである。
その記事は、私を驚かすには十分すぎた。
それは今年の正月、暇に任せて、ウエブを色々見ていた時だった。
検索エンジンに何げなく「idio」と入力してみた。
そう、このブログでも何度が取り上げたそれである。
検索結果のトップにはi-dioのホームページが出力されていた。
なにかi-dioに新たな動きがあるのか、興味を持って、ページを開いた。
確かにそれはあった。12月25日付けのニュースである。
それをクリックした後、私の体に戦慄が走ることとなる。
そのニュースはi-dioのサービス終了を告げるものだった。
2016年にサービスを開始した同社だったが、経営不振のため、本年3月31日を持って、サービスを終了すると言う。
私はこのサービスの「ハイレゾ」を聴きたいがため、ipadタッチを買った。正直残念である。
何故経営不振になったか、原因は明らかである。受信機の普及が全く伸びていないのだ。
もっとも、i-dioを直接受信でき、音声を再生できるものはない。
単体チューナーも売り出されたが、チューナーで受信したものを、わざわざスマホへwifiで飛ばし、スマホ側で聴くと言う煩雑な物だった。
おまけに、インターネット経由でも同じ内容の物が聴ける。これでは、電波を使って放送する意味がない。
i-dioのHPには、あろうことか「インターネット受信」を推奨していた。これでは主客転倒ではないか。
飽くまで電波受信に拘った方法を。推奨すべきではなかったと思う。
よって、電波の入り口から、音声の出口まで、一貫して行える受信機がなかったのが、まさに画竜点睛を欠くと言わざるを得ない。
そして、現在の「スマホブーム」である。人々は、数多あるアプリから好きなものを選べ、それをインストールする。
i-dioには、そのアプリの中で、さして注目されていなかったのだろう。
日本には、新しい文化がなかなか根づかないと思う。
鳴り物入りで開始された「i-dio」。新しい文化として捉えていた私にとって、今回のことは、大変残念である。
これで、余った「VHF」の周波数帯は何に活用すると言うのだろう。
日本初となったある意味での「DAB」は、寂しい後ろ姿とともに、新年度にはその発信機の灯を落とすのである。
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