昨日までの筋肉痛が少しと腹痛少し。
でも我慢できるし、何よりも少し気になることがあったので、武蔵溝ノ口から武蔵小杉まで歩いてみた。
JR南武線には「武蔵○○駅」という駅が4つ続く場所がある。
地元の人は、フルネームではなく、○○にあたる「溝ノ口(略してノクチ)」「新城(しんじょう)」「中原」「小杉」と呼ぶ。
今日はハローワーク帰りに南武沿線道路からスタート。
黒っぽい建物の敷地は、ドラマ「のだめカンタービレ」の撮影があった学校。
川崎にご縁があるブールミッシュの製菓教室がある。
真ん中の大きな建物は、漫画「山椒茶屋」(よんよん著)でセキセイインコの山椒くんが保護されたマンション。たぶん。
真ん中の木は、近隣で最も早く咲く桜。ソメイヨシノよりも7日くらい早く満開になる。品種は未同定。
富士通ゼネラルにあるロケットっぽい何か。今日、てっぺんから煙が出ているのを初めて見た。焼却炉だろうか?
坂戸自治会が管理している緑道。水路の跡だろうか?水路となれば、二ケ領用水の末端か?
仕事をしているときに時々見かけた「第三京浜入口」行きバスは、ここが終点だと初めて知った。
車道側は少し危ないのでここで一旦左に進んで10メートル程でまた南武沿線道路に戻る。この正面は見捨てられた建物(シムシティの表現)らしく、不法投棄ごみがたくさん。
坂戸踏切。踏切の先に見えるのは自動車学校。私は17年前にここで自動2輪(限定あり)の教習を受けた。
Jリーグ・川崎フロンターレの事務局。昔は富士通の倉庫だったと思う。
正面の陸橋は、第三京浜の京浜川崎インター出口。
インター出口の真下。立体構造が、巨大建造物好きの私にはたまらなく面白い。
宇部コンクリート。いつも大きなダンプカーやミキサー車が止まっていていつまでも見ていたいが、仕事の邪魔になるのでほどほどに。
宇部コンクリートの敷地の端には雪があった。いったいいつの雪?
私の住む地域では珍しいミツウロコ。このマークはハチミツしか知らなかった私は
ハチミツ屋ができたのかと思ったくらいだ。
高津区から中原区に入る。
武蔵新城駅周辺。西友の宝くじ売り場が無くなっていたのには驚き。
武蔵新城駅前。15年前に住んでいたときと印象はさほど変わらない。
北口1番街の入口。お店はすっかり変わってしまった…。ここから以前住んでいた場所に向かう。住んでいたのは平成10年の終わりから平成13年の始め。
ここのお豆腐はよく買いにきていた。
住んでいたときは左側のショーウインドーに着物が飾ってあった。日焼けしないのかなぁ…と思ったモノだ。
この近くにあったフィリピンショーパブが無くなっていた。
ビジネスホテルや茶箱も売っているお茶屋さんは営業が続いていて懐かしい。
たしかパン屋だった?おいしいパンだったが、店頭にセミヌードカレンダーが貼ってあって、これじゃあ女子供が立ち寄らないよ…と思っていた。
この辺りは庚申通り商店街。S字カーブになっている。
ファミリーマートがあったところ。左に「ちんぐるま」と言う小料理屋があったが、今は無くなっていた。
北向庚申堂。以前はこの向かい側(今は薬局)にバイク屋があって教習所に通っていたときにここでカタログをもらってきた。
庚申堂の左側の道路は、私が住んでいたときはまだ道路予定地の空き地だった。
私が立っている場所辺りで、当時は夏に盆踊り大会があった。
近隣にはクリーニング屋さんが多かったけど、ここが一番丁寧でよく使ったクリーニング屋さん。
ここはカメラ屋さんがあったところ。現像を頼んだことが多かった。
お肉屋さんも閉まっていた。おいしいお肉屋さんだった。店主さんも販売の店員さんもご高齢だったからなぁ。豚肉と牛肉だけの取り扱いだった。近くに鶏肉専門店があったからだと思う。そちらも閉店していた。
地域の花屋さん。いつも演歌歌手のポスターが貼ってあったから、舞台関係の引き合いがあるのだろうか?
懐かしのスリーエイト!ほかでスリーエイトを見かけたことがないけれど、ここもよく買いに来ていた。
この文房具屋は学校前でないが、まだ続いていたんだ!ここで硯と墨と筆と半紙を買って書道の練習をしていたなぁ。
結局1度も来なかった銭湯。仕事帰りのこの辺りは、銭湯帰りの人がよく歩いていた。この辺りには、南原清隆さんが専門学校生のころに住んでいたと聞いたので、ここにも来ていたかもしれない。
この道は私が住んでいたときは砂利道だった。舗装道路になったので、私道から市道になったのだろうか?
このお店でプロパンガスの契約をしていた。たしか引っ越しで転出した頃、都市ガス対象ちくになったはず。お祭りの時はここで御神輿が休憩していた。
たしか富士通の社員寮?だったかな?このデザインが賞を取ったことがある…と、隣に住んでいた奥さんが言っていた。あの奥さん、お元気かなぁ?たぶんもう60歳くらいだと思うけれど。
この辺りは知らない街並みに感じる。新聞販売所が変わらずにあった。当時は砂利敷の駐車場だったと思う。
川崎市立聾学校。ここに通う子どもたちを見かけてから、手話ニュースを見るようになった。
富士通川崎工場脇の道。住んでいたときは長くて単調な道で苦手だった。
朝のバイク通勤時のルートだった道。
住んでいた場所は明かさないが、JR南武線の車窓から見える。近年、その建物の様子が少し変わったと思ったので、それを確認してきた。
防犯カメラがやたらとあったので、たぶん被害が多くなったのだろう。
私が引っ越す数ヶ月前に階下の部屋が軒並み空き巣に入られた事件があったのを思い出した。
南武沿線道路に戻る。左側は富士通川崎工場。
武蔵中原駅前の富士通川崎工場。駅前一等地。最上階の展望レストランには何度か行ったことかある。全部前職の宴会関係だった。
武蔵中原駅前。
エポックなかはら。昔は中原会館と言っていた川崎市の施設。
中原街道の説明板。ちなみに初期の東海道は現在のルートではなく、湘南の平塚市から中原街道を経て、江戸に至るルート。だから、元祖東海道はこの中原街道のこと。
ちなみに中原街道は、都内での呼び名。神奈川県内では丸子茅ヶ崎線と言う。
これが今の中原街道。以前はガソリンスタンド、今はコメダ珈琲。
JR南武線の高架下の柱は、所々ガリガリと削られたような場所があるのでちょっと怖い。
昔は東横車輌製造という会社があったところ。ここの門の車輪が格好いい。
鉄道の車輪(車軸がある)の形をしているのだ。なかなか見られない構造の門の車輪。今はバス車輌関連の会社だが、以前は鉄道車輌関係の会社があった。
小杉御殿町交差点。私の立ち位置は、二ケ領用水の上。
ふと右側に視線を送る。
ん?なんか咲いているんだけど…。
桜!
桜!
今日ほどタブレットのへっぽこ内蔵カメラを恨んだことはない。
品種の同定はできなかったが、桜が咲いていた。
以前からここの桜が早くから咲くのは知っていたけれど、今日は2月1日。こんなに早かっただろうか?
中原区役所前。額縁のこんどうが無くなって、デイリーヤマザキになって久しい。そういえば、今日から「日本三大春祭り」の1つ、ヤマザキ春のパンまつりが始まる。
武蔵小杉駅到着。
あんなに寄り道をしたのに、1時間半で歩けた。
私には懐かしい思い出の街で大満足の街歩きだった。
初めて実家以外で暮らした街で、しかも若かったからいろいろと新鮮に映ったのだろう。
個人商店は随分閉店して閉まっていたが、そこがどんな店だったのか意外と覚えていた。
それと、私が住んでいたときは朝から酒臭い酔っぱらいがいたり、水商売らしい外国人の若い女性もよく見かけたが、今日はそんな人を見かけなかった。
街の印象ほ大きく変わらなかったが、住んでいる人はかなり変わったのかもしれない。
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makoto
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