この日は、朝から実家の坪庭から裏の通路の片付けです。
父の棺を坪庭を経由して屋外に出して、葬儀屋さんの車両で移動するためです。
実家の坪庭というか、なんというか、手入れが行き届いていない植栽とガラクタスペースというのが正解かも…。
棺の搬出でどうにも危険そうなガラス温室(今はほぼガラクタ入れ)をガラス戸、中身を取り出して、骨組みを移動させました。
次に、漬物石か?と思うようなよくわからない石やレンガ、コンクリートブロックの破片をかき集めて一か所に集めました。
次に山野草の一部を掘り上げて簡易退避。
次に枯れ込んだ植栽を手鋸で切り落とし、邪魔な枝を剪定バサミで刈り込んで、最後は邪魔な枝を畳のヘリで結んで、家屋の柵などに結びつけました。
これで棺が通るスペースを確保。
次に棺を運ぶストレッチャーの邪魔にならそうな盆栽鉢をなるべくほかの場所に移す作業。
午後2時半に葬儀屋さん来訪。
母と兄が対応して、私はお茶出し。
午後3時過ぎ、葬儀屋さんの棺を運ぶ車がやってきて、父が坪庭を通って移動となりました。
母、兄、祖母、私の4人で父の棺を見送りました。
私には、曽祖父と祖父の葬儀しか経験がありませんが、いずれも自宅葬だったので実家から棺が出かけて行くのは、出棺と呼びました。
でも葬儀場で通夜と告別式を執り行うので、移動と呼ぶのですね、知らなかったです。
父は7月1日から1度も実家(父にとっては自宅)に帰宅できなかったので、私は自宅葬が良かった…。
でもね、時代の移り変わりですし、ご近所さん方もいまや自宅葬をしませんから。
父が次に自宅に戻るときは、お骨になってから。
父は30代半ばで片足の半月板を骨折しました。その抜釘手術(厳密には針金で半月板を結束)では、骨との癒着で抜釘できませんでした。
よく「オレが死んで骨になったら針金が出てくる」と笑って話していました。
それがこれから現実に起きるか、と。
そんな日が来るなんて、遠い遠い話かと思っていた頃が懐かしいです。
父が自宅から出かけて行くのに、4人だけの見送りなのか、と急激な寂しさを感じました。
でもまだ涙が出ないンです。
母や兄、祖母も涙が出ているのに。
翌日は通夜です。
私は涙を流せるのか…ふと、思ってしまいます。
たぶん棺の中の父は、あまりにも私が知っている父とはかけ離れた姿なので、受け入れられないのでしょう。
だから涙も出ないのかもしれません。
さて父のフォトブックの編集も大詰めです。
ちょっとしたコメントやキャプション、年号、ページ、構成の校正をしています。
父の昔の姿を見ると、本当に楽しくなります。
思い出がいっぱい湧き出るンです。
でもねー、同時に叱られた記憶もそこそこ思い出されまして…。
そこに登場するのは、少しふっくらした若い頃の父。
亡骸の父とは全然違う姿なのです。
葬儀を執り行えば、少しは気持ちが落ち着くかもしれません。