この日は父の告別式と初七日法要など。
朝7時過ぎに実家へ。
最後のお別れの儀式で棺に入れる柑橘類を飾り切りしました。
この柑橘類は、実家の果樹園で収穫したもの。
果実を棺に入れる時は丸ごとは入れてはいけないそうで、私が蓮の花に見立てて飾り切りしました。
またもやマイクロバスで、実家の人々やご近所のお手伝いをしてくださるみなさんとご一緒に、葬儀場へ。
告別式は年の瀬ということもあって通夜ほど会葬のみなさんは多くありませんでしたが、父の同級生のみなさんをはじめ、果樹農家のみなさんがいらっしゃっていました。
湘南地域の果樹農家の仲間の方や、元県技術指導員の方々のお姿も。
本当にありがたいことです。
ちょっと戸惑ったのは、現職大臣の方からの弔電。
遺族一同で「誰がこの議員さんとお付き合いある人いる?」と顔を突き合わせ、首を傾げていました。
告別式、初七日法要が終わったら、最後のお別れの儀式。
思い出の品々を入れるのですが、父の父の形見分けでいただいた帽子、父の母から形見分けでいただいたスカーフ、父が幼少時に被っていた帽子など。
私が朝飾り切りした実家で収穫した柑橘類。
父が好きだった日本酒。
手紙や御朱印帳。
父の仕事道具の剪定ばさみや手鋸を紙で作ったもの。
実家の果樹の剪定枝。
紙製の仕事道具や手鋸は、果樹農家仲間のみなさんの手で棺に入れていただきました。
あとは山盛りに飾り花をいれました。
手鋸と剪定ばさみ、芽切りバサミは、私の渾身のペーパークラフト。
ノコの刃はちゃんとギザギザだし、ハサミだってちゃんと開閉します。
父の出棺が終わったら、祖母をご近所さんで遠縁のHさんに実家へ連れて行っていただきました。
私は親族の方々とマイクロバスで斎場へ。
父の火葬が執り行われました。
その間、初七日法要の精進落とし。
その席で私よりも10歳年上の従兄のKさんから「makotoちゃん、本当にあの病院で良かったの?正直なところどうなの?」と言われました。
そうよねー、普通そう思うよねー、でもそう言わないで、と話しました。
無医村のおらが村に初めてできたお医者よ、強烈でガンコで絶対的信頼がある、もう宗教の域よ、どうにもならないの。
うちのお父さんは、あっちの大学病院にいる間じゅう、私にはバイクに乗せて連れて帰れって言うのよ。
でもなだめすかして、やり過ごすンだけど、私には暴言が凄くて。
苦し紛れに「あの病院の院長先生が、お父さんにこの病院にいて、と言っているよ、お父さんガマンできる?ダメ?」と言ったら、暴言が収まったのよー。
え?こんな言葉が効くの?って。愕然としちゃったのよー。
とはいえ、Kさんところの伯父さんも一緒でしょ?
あの病院が大好きでしょ?しかも院長先生に診てもらわないとダメでしょ?
行く道はKさんも一緒よ。
なんでこんな病院がいいのか訳分かんないでしょ?
でもねその絶対的信頼感、は何事にも代えがたいし、その安心感たるや、子ども世代には分からないのよー。
世の中にはもっといい病院、たくさんあるぞって言っても、年寄りは聞かないからねー。
Kさんもたぶん同じ思いを抱くことがあると思うけれど、その時は踏ん張ってね。
そうお伝えしました。
その後、父のお骨を拾いました。
私は曽祖父、祖父のお骨を拾ったことはありますが、父のお骨は茶色いところ、青や緑がかった色合いがあって先の2人とは違うなー、という印象でした。
身体が小さくなっていたと思えていたものの、やはり若い頃は身長が170cmをゆうに超えていましたからお骨は大きめ、多いなという印象でした。
そういえば…と思い、母に「膝の骨、わかった?針金入っているはずでしょう?」と話しかけましたが、母も「どれだか全然分からないものね」と。
父が半月板骨折してから45年。
高齢になってもケガの影響で疼痛が続いた原因でもありました。父が生前笑いながら「オレが骨になったらやっと出てくる」と言っていた膝の針金は分からずじまいでした。
骨壺とともに1度葬儀場に立ち寄ってから、実家へとマイクロバスにて移動して、実家前で散開。
MIFさんと私は、親戚で横浜市に住むSさんやYさんをご自宅に送ってから帰宅しました。
帰宅後、父の写真を集めたフォトブックに葬儀までの写真を少し加えて、ネット注文をしました。
年明け後、手元に届く予定です。
まだ七七忌など父を偲ぶ機会がありますので、その時にフォトブックを持参して皆さんに偲ぶきっかけになっていただければいいな、と思っています。
またたくさんの方にmakotoちゃん、頑張ったね、と言っていただけました。
とくに剪定ばさみや手ノコのペーパークラフト。
アイデアは兄、それを形にしたのが私、兄妹の合作です。
兄は「死んでまで仕事させる気か?と思われるかも…」と言って落ち込んでいました。
でも仕事を頑張ったから、趣味が旅行と言えるくらいたくさんの旅行先の思い出があったのです。
仕事だって好きだから頑張れたし、果樹農家仲間のみなさまにもよくしていただいたのです。
兄には「これから果樹農家の方の棺には、紙製の剪定ばさみを入れるのが流行るかもよ?作り方なら私が知ってるからこのくらい無償で作るよ?」と茶化しておきました。
これにて父の葬儀は終わりました。