日渡早紀著。
久々に読み直そう…と思いたって読んでみたら、すっかり忘却の彼方なストーリーばかりだった。
この漫画は「ぼく地球」こと「ぼくの地球を守って」を読んでいないと、展開が不明の部分が出てきてしまう。
とくに「良識ある大人」と表現される田村さんは、「ぼく地球」ではあんなに登場しているのに、「ボク月」ではほんのちょっとしか出てこない。
それに病弱春ちゃんがなんだか、「ボク月」ではとっても健康そうな日和見性格になって居てビックリだ。
月での(前世)ストーリー、ぼく地球の時代(1991年頃)を踏まえて、ボク月(2005年以降)が展開しているので、前作知らないと全然ついてこれないのだろうな。
私は「ぼく地球」の本誌掲載を持って「花とゆめ」を購入するのをやめた。
本当に個人的な感覚なのだが、日渡さんの作品を読むときは、コミック刊行から数巻まとめて読んだ方がいいように思う。
というのもストーリーが壮大すぎて、ちょっとずつ進むのを待っていると、壮大なストーリーの全景がぜんぜん分からない。
「ぼく地球」に「間島」という男性が出てくる。
本誌掲載のときはあまり気がつかなかったのだけれど、まとめて後から読み直したとき、本当に「間島」は必要なキャラクターだったのか?と思うからだ。
もちろん必要性はあったと思うけれど、あそこまで大きく取り上げなくてもいいし、その後の話もスピンオフも今のところ全くない。
「ボク月」は、そんな小さな話題も伏線として拾ってくるんだ…という部分があるので、「間島」のストーリーは拾いきっていないなぁ、伏線的なものはないんだ…と残念に思う。
もちろん、そのほかのストーリーは本当によく拾っているなぁ…さすが本屋の娘さんが書いただけあるなぁ、小さい頃から本をたくさん読んでいたんだろうな…と思うわけです。
それから、画のタッチは以前と比べて随分軽い感じだ。
それを劣化と表現する酷評もあるわけだが、私はあまり気にならないなぁ。
ぼく地球は、意外とべた塗りが多かった。それは過去と現在を行ったり来たり、そのストーリーの暗さとも相まって効果的にべた塗りが多かったわけだ。
それは時代にも合っていたわけで、ぼく地球の連載が始まったのは、まさにこれからバブル時代に突入するときだった。そしてバブル全盛期、そしてはじけて、急激な経済の閉塞状態に突入した。
今とはまったく違う経済の大変動時代であり、世の中明るいニュースもあれば、どす黒いニュースもあって、一方でまだまだ一般家庭にインターネットどころかパソコン通信さえも珍しい時代だ。
それに対して、ボク月は、月、過去(ぼく地球時代)、現在(ボク月時代)の3つの世界観の他に、月のシオン子ども時代(戦場やラズロとの生活)、ボク月から5年後の世界も絡むので、厳密には5つの時代を駆け抜ける。
さすがにこれはべた塗りだけではかき分けられない。
MIFさんが好きなシュタインズ・ゲート並に世界観が入り乱れているわけだ。
それにしても、この複雑に入り組んだ世界観をよくもまぁ、日渡さんは整理してかき分けているわけだ。
もう超人技だ。
これからの展開も楽しみにしている。