![]() | Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 10/17号 [雑誌] |
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文藝春秋 |
3日発売の雑誌・ナンバーの特集は日本シリーズ。
私が日本シリーズではっきりと記憶があるのは1985年から。この年は阪神が21年ぶりにリーグ優勝し、空前のフィーバーに湧いた年だった。それから18年後の2003年、阪神は星野監督のもと優勝し、大騒ぎになったが85年の方が凄かった。子供心に大阪が壊れるんじゃないかと心配するほどだった。
私は物心ついた時から巨人ファンだが、81年・83年の日本シリーズの記憶はほとんどない。83年は小学校2年生だったから仕方ないか…。87年の日本シリーズは6年生だったから、はっきり覚えている。相手は西武だったが辻がクロマティの緩慢な守備をついて、1塁から一挙にホームインしたのは日本シリーズ史に残るシーンだろう。
以来89・90・94・96・2000・02・08・09・12年と10回の日本シリーズをファンとして経験している。勝敗は6勝4敗。勝って日本一になった時はまるで天下を取ったかのように喜んだが、負ければ喪失感は半端なく1週間くらい立ち直れないこともあった。
今回は負けた方を取り上げようと思う。10回の日本シリーズのうち半分の5回は相手が西武だった。
21世紀に入ってからはさほど強くはないものの、1982年に広岡監督が就任し、94年に森監督が辞任するまで13年間でリーグ優勝11回、日本一8回とまさに黄金時代だった。
そんな西武にこてんぱんにやられたのが1990年だった。巨人は前年の日本一。リーグ2連覇も9月8日に決めた。2位とのゲーム差はナント22。「藤田監督はドン(川上元監督)を超えた」とまで言われたが日本シリーズではまさかの4連敗。まるで子供と大人がやっているような絶望的な差を見せつけられ、岡崎郁(現巨人2軍監督)が「野球観が変わった」という言葉を吐いたのは有名である。
私は1ヶ月くらい前までこの年の日本シリーズの敗因はあまりに早く優勝を決めてしまったためと思っていたが、実は違っていた。赤坂英一氏のコラムによると
あのシーズンは試合前にベンチ裏で寝そべり、プカプカたばこを吹かしながら「どうしておれたちが練習なんかしなくちゃいけないんだ。もう優勝してるようなもんなのによ。試合だけやれば十分じゃねえか」などとうそぶいている主力選手がいた
ということだ。そう、チームは‘慢心状態’だったのである。これでは最強・西武に勝てるはずもない。4連敗は必然だったのである。そうなると、今年の巨人も心配にはなるが、監督が当時の4番打者であった原さんなので、90年の慢心がいい教訓になっているはずである。実際、原監督はあの手この手を使ってチームに刺激を与えているし、今はCSがあるので、そういった心配は無用であると信じている。