プロ野球は18日に西武ドーム、19日に甲子園でオールスターゲームが行われる。今まで様々なドラマを生んだオールスターだが、私が最も記憶に残っているのが1984年のオールスターでの江川卓の8者連続奪三振だ。今からちょうど30年前。当時、私は小学3年生だったが、父親が勤務する軽井沢の保養所で固唾をのんで見ていたのをはっきりと覚えている。
4回から2番手で登場した江川はまず福本豊、蓑田浩二、ブーマーの阪急トリオから3者連続三振を奪う。
続く5回、栗橋茂(近鉄)、落合博満(ロッテ)、石毛宏典(西武)の3人からも三振を奪い6者連続奪三振。この辺りから球場(ナゴヤ球場)がざわつき始める。マウンドを降りる江川は右手を横に振り「もういいよ」のポーズ。
だが観客は続投を求めた。5回裏のセ・リーグの攻撃が終わると中日の本拠地であるナゴヤ球場からまさかの大江川コール。江川の予定登板は2回だったがセの監督を務める王貞治は阪神時代の江夏豊が持つオールスターの9者連続奪三振の記録に並べようと続投を決めた。
6回表、まず伊東勤から三振を奪うと、続くクルーズ(日本ハム)からも三振を奪う。これで8者連続奪三振。球場は異様な雰囲気へと変わる。9人目の打者は大石大二郎(近鉄)。打席に入ると大きく深呼吸をしていた。
大石をストレートで2球で2ストライクと追い込むと球場の熱狂は最高潮。3球目、キャッチャー中尾(当時中日)が出したストレートのサインに首を振るとカーブを投げこれをチョコンと当てられセカンドゴロ。大記録達成はならなかった。
後日江川曰く、「3球目のカーブはボールにして4球目のストレートで勝負するつもりだった」と述べているが、カーブがストライクゾーンへと入ってしまった。この何とも締まりのなさが江川らしい。
大記録を逃し、首を振りながら苦笑いでマウンドを降りた江川だったが、球場のファンからは大拍手
入団時のいきさつでダーティーなイメージが常について回った江川だが、この日ばかりは正統派のヒーローになった1日だったかもしれない。
4回から2番手で登場した江川はまず福本豊、蓑田浩二、ブーマーの阪急トリオから3者連続三振を奪う。
続く5回、栗橋茂(近鉄)、落合博満(ロッテ)、石毛宏典(西武)の3人からも三振を奪い6者連続奪三振。この辺りから球場(ナゴヤ球場)がざわつき始める。マウンドを降りる江川は右手を横に振り「もういいよ」のポーズ。
だが観客は続投を求めた。5回裏のセ・リーグの攻撃が終わると中日の本拠地であるナゴヤ球場からまさかの大江川コール。江川の予定登板は2回だったがセの監督を務める王貞治は阪神時代の江夏豊が持つオールスターの9者連続奪三振の記録に並べようと続投を決めた。
6回表、まず伊東勤から三振を奪うと、続くクルーズ(日本ハム)からも三振を奪う。これで8者連続奪三振。球場は異様な雰囲気へと変わる。9人目の打者は大石大二郎(近鉄)。打席に入ると大きく深呼吸をしていた。
大石をストレートで2球で2ストライクと追い込むと球場の熱狂は最高潮。3球目、キャッチャー中尾(当時中日)が出したストレートのサインに首を振るとカーブを投げこれをチョコンと当てられセカンドゴロ。大記録達成はならなかった。
後日江川曰く、「3球目のカーブはボールにして4球目のストレートで勝負するつもりだった」と述べているが、カーブがストライクゾーンへと入ってしまった。この何とも締まりのなさが江川らしい。
大記録を逃し、首を振りながら苦笑いでマウンドを降りた江川だったが、球場のファンからは大拍手
入団時のいきさつでダーティーなイメージが常について回った江川だが、この日ばかりは正統派のヒーローになった1日だったかもしれない。
たかが江川されど江川 (新潮文庫) | |
江川 卓,永瀬 郷太郎,玉置 肇,西村 欣也 | |
新潮社 |