当院の前住職三智が他界したのは平成4年の1月19日のことでした。それから約1年かけて遺稿集「微妙音」の編集に没頭したことを今懐かしく思い起こします。私が丁度50才の時であり今はもう夜も昼もそれに没頭する気力も体力もありません。その編集中に亡父の日記の中に長男綜智を原爆で失ったと云う深い悲しみと重い辛さから立ち上がることが出来た記述を発見した時の驚きと感激は忘れられないことでありましたし、父の「いのち」に出会ったような思いが今もいたします。
少し表現が難しいかもしれませんが紹介させていただきます。今日は兄綜智の65年目(数えで)の祥月命日なのです。「還相の菩薩」と云う表現は教学的には適当ではないかも知れませんがそのまま紹介しておきます。
「第二十二還相回向の願は欣慕の願として味あう時、限りなくなつかしまれる。別れた子供にもう一度会いたいのは凡夫の迷情である。どこであってもいゝたゞ会いたいのである。然し一度他界した以上いかにもだえても会うことは出来ない。こゝに還相回向の願が子供をしたう思慕の情に応じて建てられたのである。他界した子供に会う道は唯仏願に乗じて浄土往生するほかにはない。
たとえ、浄土にいなくとも還相回向の願によっていづこえでも行って、子供に向かうことが出来るのである。
然し、聞法によって本願に帰って見ればもはや子供は救済の対象ではなく、却って私の迷情を破って本願に帰せしめたところの還相の菩薩であったのである。かくてこそ二十二願が欣慕の願として無限の意趣をたゝえて来る。
めぐりくるこの日は悲しされどまた涙のうちに念仏にかえる 三智 」
平成21年8月7日 釋純以かしこむ
画像は咲き始めた「白さるすべり」の花
少し表現が難しいかもしれませんが紹介させていただきます。今日は兄綜智の65年目(数えで)の祥月命日なのです。「還相の菩薩」と云う表現は教学的には適当ではないかも知れませんがそのまま紹介しておきます。
「第二十二還相回向の願は欣慕の願として味あう時、限りなくなつかしまれる。別れた子供にもう一度会いたいのは凡夫の迷情である。どこであってもいゝたゞ会いたいのである。然し一度他界した以上いかにもだえても会うことは出来ない。こゝに還相回向の願が子供をしたう思慕の情に応じて建てられたのである。他界した子供に会う道は唯仏願に乗じて浄土往生するほかにはない。
たとえ、浄土にいなくとも還相回向の願によっていづこえでも行って、子供に向かうことが出来るのである。
然し、聞法によって本願に帰って見ればもはや子供は救済の対象ではなく、却って私の迷情を破って本願に帰せしめたところの還相の菩薩であったのである。かくてこそ二十二願が欣慕の願として無限の意趣をたゝえて来る。
めぐりくるこの日は悲しされどまた涙のうちに念仏にかえる 三智 」
平成21年8月7日 釋純以かしこむ
画像は咲き始めた「白さるすべり」の花