先日大阪、大東市にお住いの藤原時彦さんからお手紙をいただきました。そして画像のような時彦さんが描かれた口総の絵地図が同封されていました。時彦さんとそのお姉さんの二人は堂の本の祖父母藤原時一、カズヨさん宅で5年間過ごされました。保育園の年長組から小学校4年生まで。その間の経験と記憶、そして祖父時一さんから聞いた話などをもとにこの絵地図を製作されたのです。眺めながら解説を読みますと実に楽しいものです。故郷を思う懐かしさが溢れています。
時彦さんは大阪の高校から京都の大谷大学に進まれて大阪の中学の教員を勤められ先年再任用も終えられたとのことで。多分本年で65才になられると思います。昭和20年代後半から30年代前半頃の時彦さんの心にある思い出の地図です。
絵地図の万福寺のヶ所に次のように記されていました。
日曜学校があって姉と二人で毎週通った。オルガンに合わせて歌ったり、幻灯を見たり、お話を聞いたりの楽しい学校であった。
このような絵地図が大阪にお住いの方によって作製されたことに感動いたします。
故郷を離れてお住いの方々一人々々の胸の中に故郷で過ごした十数年の忘れられない懐かしい思い出がインプットされているのですネ、
時彦さんの絵地図、大切に保存させていただきます。
願わくば野々江、浦戸、宗方などにも思い出の中の絵地図のようなものが描かれると有難いですネ、
時彦さんは大阪の高校から京都の大谷大学に進まれて大阪の中学の教員を勤められ先年再任用も終えられたとのことで。多分本年で65才になられると思います。昭和20年代後半から30年代前半頃の時彦さんの心にある思い出の地図です。
絵地図の万福寺のヶ所に次のように記されていました。
日曜学校があって姉と二人で毎週通った。オルガンに合わせて歌ったり、幻灯を見たり、お話を聞いたりの楽しい学校であった。
このような絵地図が大阪にお住いの方によって作製されたことに感動いたします。
故郷を離れてお住いの方々一人々々の胸の中に故郷で過ごした十数年の忘れられない懐かしい思い出がインプットされているのですネ、
時彦さんの絵地図、大切に保存させていただきます。
願わくば野々江、浦戸、宗方などにも思い出の中の絵地図のようなものが描かれると有難いですネ、