藤田先生のご講話は「いのち」について実に分かり易くお話し
くださいました。
現代、「いのち」が見えなくなって来ていますと、それはい
のちを「生命」と理解して身体と全く別物と分別して捉えて来
たところに原因があるようだとお話になられ、親鸞聖人や蓮如
上人のおことばの中では「いのち」は「身命」(しんめい)、
「年命」(ねんみょう)とつかわれていいる。だから身の振り
所、身の置き所が大切になってくるのであって、それはそのま
ま「いのち」の据え所となって行く。生活の行為がそのまま身
について行かなければならない、それが力となって行くのです。
お念仏の日暮らし、聞法の生活と云うことはこのように受け
とらさせて頂かなければと、お話くださいました。(文責「住
職」)
くださいました。
現代、「いのち」が見えなくなって来ていますと、それはい
のちを「生命」と理解して身体と全く別物と分別して捉えて来
たところに原因があるようだとお話になられ、親鸞聖人や蓮如
上人のおことばの中では「いのち」は「身命」(しんめい)、
「年命」(ねんみょう)とつかわれていいる。だから身の振り
所、身の置き所が大切になってくるのであって、それはそのま
ま「いのち」の据え所となって行く。生活の行為がそのまま身
について行かなければならない、それが力となって行くのです。
お念仏の日暮らし、聞法の生活と云うことはこのように受け
とらさせて頂かなければと、お話くださいました。(文責「住
職」)