memory of caprice

浮世離れしたTOKYO女子の浮世の覚書。
気まぐれ更新。

「ビアズリー怪奇幻想名品集」

2014-05-02 11:34:44 | ART
作家 原田マハのリコメンド。
 
「ビアズリー怪奇幻想名品集」富田章著 東京美術 \1944

オーブリ―・ヴィンセント・ビアズリーは、1890年、ロンドンで保険会社の職員だった18歳のときに本格的に絵を描き始め、約7年後、肺結核のために病死した。享年25歳。
20代の若者にとって遠い存在であるはずの死は、ビアズリーの場合、頬ずりするほど近くにあった。
ビアズリーはさまざまな藝術に影響を受け、恐るべき早さと的確さでそれを吸収した。
執拗なほど緻密に描き込んだ画面には、ウィリアム・モリス、バーン=ジョーンズ、ホイッスラー、ラファエル前派、浮世絵、ロココなど多種多様なアートの片鱗が見受けられる。しかし、そのどれにも似ておらず、すべてが独創的で「ビアズリー的」というほかはない完成度である。生き急ぐ画家の命がけの集中力が、かくも妖しく美しい花を咲かせたのだろうか。
19世紀末はヨーロッパ各地に革新的な芸術家が誕生した時代であった。
フランスでは印象派が登場し、イギリスではオスカー・ワイルドが戯曲「サロメ」を書きあげた。ワイルドに指名されてその挿絵を担当した時、ビアズリーはわずか20歳。モノクロームの線描を際立たせた幻想的な絵は見る者に少なからぬ衝撃を与えた。その後、雑誌「イエローブック」のアートディレクターに就任するも、ワイルドが男色の罪で収監されると関係を疑われ、失職した。
本書は短い生を駆け抜けた画家の代表作を一気に展観できる好著である。ページを繰りながら、ビートルズも、セックス・ピストルズもこの国で生まれたことを思い出した。彼らは皆、革命児であった。
そしてまぎれもなくビアズリーの息子たちであったのだ。

ビアズリーの華麗にして毒を含んだ線描に魅入られたのは小学生の高学年の頃でした。
自分でも丸ペンやGペンのペン先を選んで購入して、ビアズリーもどきの絵を描こうとしていたっけ。
改めて観たくなりました。




コメントを投稿