数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

東大話法

2023-07-25 11:46:55 | 日記
 題名の過激さに惹かれ,買ってみました.
 今の政治の閉塞感は,地方からしか改革できないかもと思ってしまいます.そういえば,最近は国会議員が地方の首長になっていくケースが多いですね.権力志向のなかでの手短な手法かも知れない中で,実際に成果が出ているのはと,それぞれの地方を見てみるのも必要かも.
 明石市の場合,マスコミ報道では伺い知れない実態が,この対談の中では語られ,そこから,今のマスコミ等の報道姿勢を考えるきっかけになりそうです.私の青春時代では,マスコミは当時の政治のゆがんだところを正し,権力を監視するというところがあったのですが,最近の新聞テレビでは,権力に忖度したうえでの報道としか思えないところが多くあり,それが時間が経ってからしか分からないというもどかしい,特徴があるように思います.そういう点での国力が,経済以上のスピードで減速している気がします.何かを守っているような報道の仕方,感じることが多くなってきています.

 同じく,題名が過激に思えて読んだのが,

しかし,題名程,内容に関しては過激ではなく,著者も同じ原子力村の中に住んでいたような気もしなくはない,そんな読書感さえ覚えましたが,出版というなかでのオピニオンリーダーの在り方を考える機会にもなります.原子力村の話,話法に関しては,
に詳しく述べられています.これを読むと,大学に入学したころ覚えた新鮮さが蘇ります.それまで知らされていたことが,うわべだけの事であり,学術的に調べることで,実態が浮かび上がってくる新鮮さともいうべき感覚です.原子力村で交わされている東大話法は,大学内部で,ももともと交わされていたものだと認識を新たにするのは,例えば,当事者の学生ではなく,若手学者が書いた,

にその原点を垣間見た気がします.しかし実体験としてのその感触を思い出す年代も少なくなりつつある中で,間違ったレッテルで,歴史の表紙から中身まで変えられてしまわないようにしないと,この国はとめどもなく落ちていく気がします.

読み返してみると・・・

2023-06-02 08:05:12 | 日記
 先月,長年使ってきた本を修理していただいたことを書きましたが,その修理の様子をブログ(古本と手製本ヨンネ (yon-ne.com) )で紹介していただいています.数学書は通読するというよりは,読み返すことが多く,読み返すたびに,何らかの新しい発見を見出すところに面白さがあり,さらに,時間が経っても数学的に正しいことは変わりがなく,そこにも特徴があるかと思います.


 写真の右がその数学書です.大学1年時に数学2(線形代数)で指定された教科書です.担当の先生は松本誠教授で,この本の著者とは専門(微分幾何)も近く,友人同士だったという話でした.先生の講義は人柄と同じく,誠実で,教科書に書いてあっても自ら黒板に丁寧に書かれていくもので,受ける側もきれいにノートをとってしまうほどです.黒板の字もきれいで,自分が教員として黒板に書くときも,この先生の板書を心のどこかに意識していました.
 受験生から大学生になった時点では数学者についてもあまり知らない中で,受験参考書では,「解法のテクニック」の著者である,矢野健太郎は知っていましたが,講義中に松本教授が矢野健太郎は教科書書きであり,大した業績はないと言っておられたのは,同じ微分幾何を専門にする数学者としての思いかと感じました.一方北海道大学の河口商次については,何度かその業績を話されて,受験生や一般に知られている数学者についての評判とは違った側面を聞くにつれて,少し数学の世界を垣間見た記憶があります.
 当時,松本教授は微分幾何学の中でもフィンスラー幾何学で日本の指導的立場であられ,大学1回生の講義であっても,手を抜くこともなく,講義に望まれる姿は,今も忘れられません.
 また,当時は1,2回生は教養部に属して3回生から各学部の専門学科に配属になるというシステムが大学では一般的でした.入試が学科別でおこなわれていましたが.私の工学部は17学科もあり,各学科で入試の最低点は異なり,最高の学科と最低の学科では900点満点で100点以上差があるのが現実で,第1志望の学科で不合格になっても,自分の点数から1割の点数を引いて,第2志望の学科の最低点より高い場合は,第2志望に合格ということも稀ではなく,普通にありました.
 教養部ではクラス単位で行われるのは,語学(英語と第2外国語)と体育で,理系の工学部,理学部,医学部(当時は医学科のみ,医療技術短大が今の医学部の他学科)については特に1回生のときは,これに数学1(微分積分8単位,90分授業週2コマ)と数学2(線形代数4単位,週1コマ)もありました.理系のうち,農学部と薬学部は数学3と称して,内容が狭い数学の授業でした.今は,どうかは知りませんが.
 また,特別に先生に頼んで,ゼミを行うこともできましたが,松本教授は自らゼミを開催されて,しかも,自分の専門外の情報理論の本を読んでいくというものでした.クラスの何人かは先生の講義に惹かれて,そのゼミもとっていました.
 そんなこともあり,高校生の頃は数学者,矢野健太郎に憧れて,東工大の理学部(1類)を志望したりしていましたが,結局は名前とその可能性に憧れて京大の工学部数理工学科を志望し,受験することになりました.今のように,大学の説明会等もなく,情報がなく,ホームページもなく,赤本くらいしか大学の情報がなく,しかも入試は細かく,学科別になっていて,入学後,思っていたのとは違うという思いをした受験生も多かったのではないかと思います.しかし,今の受験生は,大学の学科等の情報も昔と比べて容易に手に入るようになったにも拘らず,合格可能性だけを頼りに,志望校や学部を決定するという傾向があり,何とも皮肉なものです.

 そんな数学書から思い出を紐解く中で,書斎にあった,
を読み直してみました.昭和56年12月25日発行となっていますので,40年以上前ですね.意外と表紙のカラーが色褪せていません.この本を読むきっかけは,

を読んだからです.この本の著者の高瀬正仁の著書は岡潔の関連の書籍を始め以前から愛読者の一人になっています.数学者が書いているという安心感もあり,また取材も丁寧になされているのが垣間見れ,この本でも,索引が充実しているので,読み返すことが多くなる点ではありがたいです.矢野健太郎の本は,高木貞治以降の時代の主に微分幾何学を専門にする数学者で,実際に矢野健太郎が会った数学者について書かれていて,なかなか数学の啓蒙書では書かれていない,新しい数学者のことが書かれているのが珍しい.内容的にも非常に日常的な数学者を垣間見るようで,他の数学の啓蒙書にはない新鮮さが今も感じられます.ただ,私の頭に片隅には,松本教授の言葉があるので,すこし,矢野健太郎の言葉に嫌味を感じたりします.この本にも高木貞治のことは少し書かれていますが,高木貞治については
 
で,かなり,人物的に??と書かれているので,以来,少し見方を変えています.しかし,明治から大正・昭和にかけて,日本の数学を世界に知らしめた数学者としての評価は変わらないのでしょう.その意味では,高瀬正仁ではありませんが,岡潔はもっと評価されてもいいのではと思いますが.志村五郎の場合は高木貞治とある程度専門も近いので,言及されているのでは思いますが,岡潔に関しては志村五郎の言及がないのは,その専門が違うことも大きいのではないかと思うと共に,志村五郎の几帳面で,曖昧さを嫌う性格から,敢えて言及しなかったとも感じます.
 矢野健太郎の本を読んでから,少し他の数学啓蒙書も読み返してみようと
を読み返しました.特に左の本は世界的に有名な数学史の本ですが,高木貞治くらいまでの時代の数学者で,それ以降の数学者に関しては矢野健太郎の本で微分幾何に限定した数学者を垣間見ることができますが,志村五郎の本でも,冷静な分析というか,かなり個人的な感情も含めて書かれていて,それぞれに読みごたえはあると思います.
 それにしても,高校生の時に,大学の情報に関して我々の時代よりも今の高校生は身近に得ることはできますが,こと学問,数学に関しては,我々の時代より例えば数学を志す高校生にとって,格段に情報が得られるかというと,そうではないのではと感じます.受験そのものがテクニック化したというか,学問的なものより,受験のための勉強という意識が強くなりすぎてきていることがその根底にはあるように思います.
 右の森毅の本は,当時の学生運動の頃を彷彿させる文体に私には思えます.森さんは,私が学生時代に友人と教官室で,質問をした記憶もありますが,当時でも,特異な数学者でした.ただし,数学者としての評価は高いとは聞いたことはなく,松本先生とは両極端な先生ともいえるかも.同じ文体は,

 
の倉田令二朗にも見られますが,森と倉田は同世代でもあり,共通点もあるので,そう感じられるのかもしれません.
 ところで,森さんに質問したのですが,森さんはわからなくて,隣の席にいた笠原先生はきちんと答えてくれました.単なる数学の英語の日本語訳ですが.
 その人となりをある程度知るに付けて,その人の書いた内容の受け取り方も微妙に違ってくるのは,どの分野でも同じように感じます,


座右の書の復活

2023-04-20 17:38:51 | 日記
 使い慣れた本が傷んで,困ったことはないですか.使うたびに本の糊が割れて,本がバラバラになってしまうことはないですか.昔使っていた辞書の表紙が取れて使いずらくなったので,買い換えますか.使い慣れた本の価値は,中々お金に換えられない価値がありますね.そんな本が絶版になっていたりして,手に入らない状況で,サイトを探していると,本の修理をしてもらえるところを発見しました.「古本と手製本ヨンネ」です.
 早速メールでやり取りしながら,電話でも相談して,修理に出すことに.
1.「最新 代数学と幾何学」(瀧澤 精二著 廣川書店 昭和50年2月15日修正12版発行)
2.「岩波 英和辞典 新版」(島村 盛助,土居 光知,田中 菊雄 共著 岩波書店 1973年1月10日 新版第1版第17刷発行)

の2冊です.1については,無線綴じ→解体,補修,つなぎ,糸綴じ.2については,革装→中身補修と補強,新しい革装という内容です.出来上がりの写真は,以下です.
 


写真ではわかりずらいのですが,新しい製本でよみがえった感じで,今後長く使えます.

 1は,大学1年の時の教科書です.当時の京大の1回生の数学の講義は次のようなものでした.
理学部,工学部,医学部(当時は医学科のみ)・・・数学1(微分積分)週2コマ,数学2(線形代数)週1コマ
薬学部,農学部・・・数学3(微積と線形代数を合わせたもので,数学があまり必要でない学部としての数学)
これらが必修でした.文系は必修ではなく,数学4(数学史など一般教養的な数学のお話)でした.理学部はこの数学4でも単位が認められていたのですが,工学部ではこの数学4を履修しても単位は認められないというものでした.今はどうなっているのか,よくわかりません.しかし,当時より親切なカリキュラムになっていることは確かでしょうね.

 この1の教科書は当時としても少し古い内容で,多くのクラスでは佐竹一郎や,斎藤正彦の教科書は使われていましたが,私のクラスでは担当の松本教授が彼の友人で同じ微分幾何の専門家の瀧澤教授の本を意識的に使われたと思います.内容も線形代数というより,解析幾何的な内容でしたので,のちには佐竹本や斎藤本を自学する人も多かったようです.しかし,私自身が高校で教鞭をとるようになってからは,この教科書の内容は高校生を教える際には,却って貴重なものになり,座右でいつも参考にしていました.数学の基礎的な定理なども付録でいろいろ紹介されていて,数学の基礎を身に着けるような配慮がなされている本だと思います.

 2については今は絶版になっていて,革装のものだと,古本で高額な値段が付けられています.共著者のうち,田中菊雄は,苦学して研鑽を積まれた学者で,彼の読書論では有名な本が以下です.
    
 またこの田中菊雄の伝記を読んで感動した記憶があります.

 数学の本や,英語の辞書などは座右の書として,繰り返して使うことが多いのが共通点かも知れません.その結果,本が傷むことになり,自らの知識の源になっている本に対しては愛着も半端ではなく,その意味でも今回の修理をお願いして,帰ってきた本を眺めると,本が「生き返った」と思えます.まさに,血が通うように直していただいたという印象です.

 気になられた読者の方は,一度ネットで「古本と手製本ヨンネ」を探してみてください.この場を借りて,私の青春を生き返らせていただきお礼申し上げます.

受験生の新学期

2023-04-16 04:42:23 | 日記
  大学でも高校でも,講義・授業が始まった頃だと思いますが,始まって1週間で学生や生徒は勿論,教員も慌ただしい1週間ではなかったかと思います.

 教員側は,もう少し早い時期から会議やらでバタバタしていたかもしれませんが.また,予備校などでもそろそろ授業が始まる時期でもありますが,学校と違って,静かにスタートしたという雰囲気でしょうね.

 予備校でも教えていた関係で,分かったことですが,意外と予備校の始まる時期って,遅い感じがします.したがって,浪人することで予備校へ行くとなってから,1か月以上の空白期間があることになります.受験生にとって,その一か月以上の空白期間ともいうべきこの時期の過ごし方も大切な時期とも考えられますが,あまり話題になりません.

 私の教えていた予備校では,この時期に春季講座を行っていました.進学高校高校でもこの時期の過ごし方は,受験では大切な時期でもあると,経験上いえるのですが,先生も新学期への会議などで,バタバタして,ある意味一番授業から乖離した時期かもしれません.

 授業以外の課外授業や補習授業もまだ始まっていなくて,ひどいのになると連休明けからなんてことにもなりかねません.実際に週1回の課外補習授業で,1学期にできる回数は10回もないくらいです.

 

 さて,この東大新聞は,2月まで受験生を家で教えていて,東大志望でもあったので,大学の生情報を得るための一つの手段として,採っていたものですが,今はその受験生も大学生で,渡す必要もなくなっています.残念ながら東大は不合格でしたが,早稲田に進学して頑張るようです.

 高校で進路指導をしていた頃は,毎年東大志望の生徒はいたので,進路指導室でこの東大新聞を採っていましたが,意外と大学の生の情報というのは予備校や受験情報でも少ない中で,リアルな情報源として重宝しました.

 予備校などの受験情報も入試に関しては詳しいのですが,大学情報に関しては,意外と少ないのが現状です.その意味からしても,受験情報としての価値は本質的な意味ではかなりあると思います.高校の進路指導室などでも,こういう大学新聞を受験生向けに採って,進路指導室前においておくことで,生徒は「生」の大学情報を得られるのではないでしょうか.

卒業アルバムに

2023-04-15 09:05:15 | 日記
 新学期も始まり,高校や大学も先週から授業・講義も開始という時期かと思いますが,久しぶりに私は,誰も教えてないという状況です.趣味の方へ時間を割いて,出来るときに,目一杯やっておこうと,前向きに活動しているのが今です.

 昨夜は,週に一回の卓球の練習に出向き,少しづつではありますが,体力も戻りつつある状況です.来ている人もみな経験者ですが,私が最年長で,他の人はみな30台,40台,50台の人ばかりです.教員時代は,選手の指導ばかりでしたが,リタイヤした今は,自分のために,体力回復のために,卓球をしている感じです.私が選手を指導していたころには無かった技術も,今の卓球であり,「チキータ」はその代表的な技術ですが,この技術は確か,チェコ(?)のコルベルという選手が始めた技術ですが,今やレシーブの技術としてはもっとも有名なものです.

 そこで,この「チキータ」をマスターすべく,練習会でも毎回30分ほど多球練習で取り入れています.多球練習では7,8割がたできるのですが,実戦ではまだほとんどできませんが,何とか今年1年でマスターしたいと思っています.

 さて,そんな新学期ですが,前回に引き続いて読んだのが,

です.表紙も趣がありますね.写真の「背広姿」が主人公です.
 
 東京裁判で,文人として唯一絞首刑になった「広田弘毅」のノンフィクション小説ともいうべき,城山三郎の代表作です.

 ある種のヒーローとして広田弘毅を描いたものですが,先の半藤さんらの「東京裁判」を読んだ後で,この本を読み返してみると,城山三郎の小説家としての筆のすばらしさが,読み手に伝わってくると共に,広田弘毅が美化されているという,半藤氏らの指摘を頭に入れて読むことで,確かにこの小説の影響をうけて,東京裁判そのものを見てしまう一般の人(政治家も含めて)も多いように感じます.それでも,城山三郎のこの小説の読みやすさと文章表現の滑らかさは,読後にも頭の中に漂っている感があります.

 さて,歴史的な事件等を扱った,次の小説はフィクションとして描かれていますが,半分ノンフィクションというべきかなと.思われるのが
です.

 沖縄返還の秘密文書を徹底的に調査して,そこに隠されていた秘密暴露する中で,新聞記者として,ジャーナリストはどうあるべきかという視点を考えさせられる小説です.作者の山崎氏は他にも「白い巨塔」などの代表作もあり,氏独自の取材等からの集大成としてのフィクションですが,読む方としては,あの事件のあの人だなと分かって読む人が殆どだと思われます.その意味では,城山三郎のようにノンフィクションとして書いたほうがもっとすっきりした読後の印象になるかもしれません.また,城山三郎の筆のタッチがより洗練された感を持ったのは私だけだろうか.そもそも沖縄返還は,私が高校3年時にあったもので,卒業アルバムには,その記事の抜粋も掲載されています.

 その卒業アルバムには,当時は今でも話題になることがある,「あさま山荘事件」や「三島由紀夫の割腹自殺事件」など,今見返しても,印象的な事件がたくさんあります.まあ,それだけ私自身が多感な時代であったと言うべきかも知れませんが.

 当事者意識と今の意識との差異が印象的なことも,最近は多くなってきたように感じてしまうのは,私だけの感覚か,それとも,今の報道やマスコミ等の影響か.当時と今のマスコミの報道姿勢に違和感を思えるのは,私の世代の特徴だけではなく,現実かも.そんな視点で様々な歴史的な事件等を本で読み返してみると,新たな発見を見出せるのも最近の私の読書感覚です.