バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1997年9月6日

2024年12月21日 | 1997年
9月6日(土)
 朝。姪のアパート駐車場でエンジン始動するも、やはり少し日をおくだけで、エンジン始動に手間取る。
 クランキングが重い。エアエレメントの詰まりかもしれない。帰宅後、エアエレメント交換(エレメント代2400円)。走行距離1万78000キロで交換――交換推奨は2万キロだから、標準といえば標準交換。結構都内を走ったので、古いエレメントはホコリが内部にこびりついてガソリン臭く、触るとしっとり濡れている。


1997年9月5日

2024年12月20日 | 1997年
9月5日(金)
 北鴻巣にある消防学校に、97期初任教育、実科査閲を見学にバイクで走る。
 姪の出番をビデオに収めるつもりが、義姉の手違いで10分しか電源が使えない。なんとか電源スイッチを入切にして延命をはかる。
 帰りはカミさんとタンデムで川口に寄り、姪の新しい彼氏(トモと同期生)と『大吉』で飲み、そのまま姪のアパートに泊まる。




1997年8月27日

2024年12月19日 | 1997年
8月27日(水)
 ちょいと寒いだけでクランキングが重くなり、エンジンがかかりにくかったので、上野で買ってきたオイル潤滑剤(ミリテック1――6000円!)を入れてみた。オイル(カストロールRS)もオイル・フィルターも前日に交換済み。

 ということで、富士山の富士あざみラインを駆け登り(気のせいか、なんとなく力がない。どういうことだ──たぶん、空気が薄かったせいだろう)、南側の裾野を走り、奇石博物館のめずらしい石を見学。こんにゃく石。テレビ石。サヌカイトの甲高い音などを実際に聞く。エンジンは快調であるようなそうでないような……。

 帰りは高速、談合坂で事故渋滞。大月で一旦下りるも、にわか雨にたたられ、奥多摩に向かう峠越えは夜道のこともあり、途中まで走って断念。20号を上野原まで走ってから高速に乗って帰宅。結局、帰宅は9時くらい。疲れた。


1997年8月17日

2024年12月18日 | 1997年
8月17日(日)
 早朝4時くらいから、ニワトリのけたたましい鳴き声で、目が覚めては寝たり起きたり。ニワトリは屋外で飼っているはずだが、すぐ横に聞こえる感覚だ。コケコッコーと思いっきり鳴きやがる。
 それでもなんとか8時くらいには起き出し、9時には笠懸の岩宿を出発。高速道路はタンデムできないから、17号を南下して2時間足らずで練馬着。赤飯、大量のシソの葉(外気にサラされていた葉だけ黒く変色)、ウドンにソバの乾麺、野菜等を友人のオカアチャンにもらう。いつもお世話になるだけ、申し訳ない気持ちになる。


1997年8月16日

2024年12月17日 | 1997年
8月16日(土)
 朝6時起床。群馬の笠懸町をめざして、国道17号をタンデムで北上。夏休なのか、かなり空いていて、2時間くらいで友人女性KAYOちゃんの実家に到着。その後、妹さんの車を借りて友人と息子、おやじさん、カミさんの5人で小平というところにある鍾乳洞を見に行き、ついでタキギで焚いているという風呂にはいる。

 夜、妹さんらと飲む。いまだ独身(今年で35、6のはず)。その昔、阿佐ヶ谷で飲んで騒いだの懐かしい。阿佐ヶ谷のオネエのスナックで飲み過ぎて、みんなで大騒ぎして、警察官がきたこともあったなあ。シュワルネッガーみたいな人が好みだというのを初めて聞いた。

 友人はずっと昔に買ったレコードに聞き入っている。タクロー。加藤和彦など……。高田渡さんなど、気にいっているのは北海道にもっていっているようだ。

 友人の娘、HIYOちゃん、面白い――みんなで食卓を囲んでしゃべっていると、その下から足を伸ばしてきて人の足を蹴る。四国は愛媛、川之浜出身の友人のだんな(HIYOちゃんの父親)、KAさんに言わせると「血の道が走る」のだそうだ。