昨年は、北九州大会でしたからおかあさんたちのグループを含めて
みんなで立派な大会になりました。
今年は、沖縄ということでさすがに参加者が毎年の半数ほどでしたが、
九州各地から、音訳、点訳に携わる方、260名の参加でした。
講演は、・「視覚障がいランナーと伴に20年」
沖縄伴走ランナーネットワーク会長 大見謝 辰男氏
・「点字図書館と歩んだ40年…あの頃、僕は若かった」
社会福祉法人ほくてん 北海点字図書館 情報支援部長 姉崎 久志氏
2日目
・ サービスの現場から
「より良い音訳ボランティア活動を目指して」 姉崎 久志氏
音訳とは 誰のための活動か。
なん年継続してきたかではなく 何をやったか。
努力が評価されるのではなく、結果に対してのみ評価される。
これで完璧!ということはなく、常にまだ伸びしろがある。
ということが胸にこたえました。
講演の後 レセプションまで時間があったので
石川啄木の歌碑を見に行きました。
どなたかのブログを拝借
境内はコンクリートで固められているが、一部には青々とした芝生が広がっていて、
ごてごてとした余分なものは置かれていない。
ただ、ちょっと気になる石碑が隅っこの方に建っている。そこには
「新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど― 啄木」と彫られていた。
この歌は、「悲しき玩具」に収められており、
27歳でこの世を去った啄木が救いようのない生活苦を詠んだものだ。
石碑の歌の最後に「―」が彫られているけど、何を意味するのだろうか。
「・・・しかし・・・」と続いているようで、悲しみの余韻が残る。
まだまだ焦げそうに暑い陽射しの中お寺を探して行ったけれど
歌碑のみで なぜそこに…??
わからないまま、レセプション会場へ戻りました。
みんなで立派な大会になりました。
今年は、沖縄ということでさすがに参加者が毎年の半数ほどでしたが、
九州各地から、音訳、点訳に携わる方、260名の参加でした。
講演は、・「視覚障がいランナーと伴に20年」
沖縄伴走ランナーネットワーク会長 大見謝 辰男氏
・「点字図書館と歩んだ40年…あの頃、僕は若かった」
社会福祉法人ほくてん 北海点字図書館 情報支援部長 姉崎 久志氏
2日目
・ サービスの現場から
「より良い音訳ボランティア活動を目指して」 姉崎 久志氏
音訳とは 誰のための活動か。
なん年継続してきたかではなく 何をやったか。
努力が評価されるのではなく、結果に対してのみ評価される。
これで完璧!ということはなく、常にまだ伸びしろがある。
ということが胸にこたえました。
講演の後 レセプションまで時間があったので
石川啄木の歌碑を見に行きました。
どなたかのブログを拝借
境内はコンクリートで固められているが、一部には青々とした芝生が広がっていて、
ごてごてとした余分なものは置かれていない。
ただ、ちょっと気になる石碑が隅っこの方に建っている。そこには
「新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど― 啄木」と彫られていた。
この歌は、「悲しき玩具」に収められており、
27歳でこの世を去った啄木が救いようのない生活苦を詠んだものだ。
石碑の歌の最後に「―」が彫られているけど、何を意味するのだろうか。
「・・・しかし・・・」と続いているようで、悲しみの余韻が残る。
まだまだ焦げそうに暑い陽射しの中お寺を探して行ったけれど
歌碑のみで なぜそこに…??
わからないまま、レセプション会場へ戻りました。
もう何十年も前になりますが、視覚障害者の団体に
勤めてる時、地区大会や全国大会の話をよくききました。
色々な方たちのお話が聴けるよい機会でしたね。
沖縄に啄木の歌碑があるのは聞いたことがありますが
啄木が行ったことの無い未踏の地にあるのは
不思議な感じです。
視覚障害者のための団体にお勤めされたのですね。
色々な経験をされているひろばあちゃんには
相通ずるものがあるように感じます。
音訳をするものとして、我流にならぬように
学習の機会は大切です。
啄木の歌碑は、謎を残しました(笑)