内容が見えてしまうと、何だか悲しくそして辛くなる。
この人がしている事が見えてくる、分かってしまった時、どうしたら良いのだろう。
もう何も言いたくない・・だったら黙っていれば良い。黙っていることで傷付く人が居たら? どうすればいい??
そして、自分の身にも降りかかるとしたら、やはり自分の事は守る? どうだろう。
今まで数年、自分の悩みを抱え、同じような悩みを持つ人とインターネットを通じて話すようになった。 痛みが分かるだけに、話しを聴いていて、何もかも理解できる気がした。
「分かるわ~この人の気持ち、同じ事をされている」 自分の事だと 「私が悪いの~、こんなにしても、又同じ立ち位置に戻される」どうしてこうなるの? 分からない、何をすれば大丈夫になるのだろう。
そんな時、色んな人が悩みを話しだしていた。 それを必死で聴いてみた、分かるな~その気持、同じ事されている。
それに、そんな酷いこと私なら我慢しないわ~ちょっと待て、変な我慢しているわ私も、この人の事言えない。 他人の振りみて我が振り直せ! とはよく言ったもので、自分の態度に気づかされた。いい場所見つけた・・と思った、その日から無我夢中でインターネットにしがみつく。 私の傷もこれで少しずつ、癒える必ず! と自分で確信を持った。
毎日が始まった、ここに集まる人は、年齢もさまざま、そんな場所だった。インターネットカェではなく、インターネット自助会 だった。
そして、戦争に向かおうとする政府だったり、やりすぎが目立った米国の戦争だったりした・・数年間。 また同じ繰り(米国の他国への介入)返しとか、イランの事だったり、北朝鮮への孤立に追い込む戦略だったり、中国での台湾・チベット問題へのアメリカの介入だったり。暴力は創られるという言葉が浮かんだ、本当にそうだと思う。暴力阻止は暴力は止める宣言が必要、それとも暴力をする人のカウンセリングが必要・・どっちなのだろう?暴力する方はどうか知らないけれど、される方は本当に助けて欲しい話しなのだろうと思うわけです。
黙っていられないのは、暴力を受ける側の気持が分かるからなのかもしれない。 と思うのです。
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