父の言葉
「00いつも笑っていなさい。」
「女は愛嬌、男は度胸」
「笑っていたら、大事にされるよ、好かれるよ」
そうかニコニコしていれば良いんだな、笑って誤魔化す訳では無いですが笑うようにした、笑顔の00ちゃんに成った。
でも、今に成って思うと確かに笑顔って幸せを呼んでいたのだと思います。
笑顔の多い方が良い、笑っていられる環境は居心地の良い場所です。
でも、気が付いたらいつしか笑顔が無くなっていた。
笑顔でいつもニコニコ、00は悩みを知らない顔だね結婚する前までは、よく言われた。
そんな私が、悩みの真っ只中に入ってしまった。
何か思ってた人生でない、歯車が違う方向に動きだしてる。
自分が考える方向には動かない、何故・Why?が頭に浮かんだ。
私は、性格の違いすぎる夫の引いた線路で人生を歩いてきた、このままで良いの?
泣きながら、自分の人生ではない夫の人生。
夫の線路を走る列車、たまに脱線することが有る・・・その時拾ってくれることはしない00夫君。
「自分の事は自分でしろ! でも、俺の事は気に掛けていろ!」 「子供の事より、俺を一番にしろ!」「おまえと子供の事で俺を煩わせるな、俺は仕事してるのだからな」「俺が倒れたら困るのはおまえ達だから、怒らせるな」 必死でしがみついていた、わたしと子供。
気が付いたら、列車は夫だけ乗せて走って行ってしまった。
それからの私は自分の人生どうするのが始まった、自分の新しい線路で走り出さないととヨタヨタ走り出した。
なのに私が悪いってか~~
母の言葉 「女は男をたてて慎ましく生きなさい」「女は我慢しなさい」「はいはいと気持ちよく仕事が出来るようにするのが、女の仕事よ」「男を怒らせない」
なんでも我慢、我慢しすぎて母は病気に成った。
母のようには、私は生きたくはないとその時決めた。
母の本音の言葉も有った 「00、女も自分で力を持って何か出来るようにしておけば、男に言いたい放題されなくていい」
父も母にはきつかった、男尊女卑の時代真っ只中の人だった。
私も何とか途中までは頑張ったけれど、息切れして列車から降ろさたというか降りた。
最後の方は、わたしは疲れきっていました。
夫は「自分が俺が・・」「おれが・・俺が」あなたの頭の中は自分しかないのね~というぐらい言葉は変わらなかった。
自分の口しか知らないんだな、他の人に分け与える事を知らないんだよなと思った。
なので私は、娘達には病気に成るまで頑張らないでと本音を言うように成った。
但し、父は家族をとても大事にする人でした。
何が違うのだろう? 今なら何かが分かる気がする。