何のことにしても頑張ってる人を見ると感動します。
毎日何時間もかけて努力を惜しまないで、最後に人を感動させられる人は素敵だと思う。
私もそういう人に成りたい。
努力を惜しまない、自分の為でもあり他人の為でも有る。
夢・希望を与えられる人が、増えると社会が良い方向に進む気がする。
感動を有り難うといつも思います。
何のことにしても頑張ってる人を見ると感動します。
毎日何時間もかけて努力を惜しまないで、最後に人を感動させられる人は素敵だと思う。
私もそういう人に成りたい。
努力を惜しまない、自分の為でもあり他人の為でも有る。
夢・希望を与えられる人が、増えると社会が良い方向に進む気がする。
感動を有り難うといつも思います。
この話しではもう話すことはないという気持ちに成りつつある。
自分の中で終わりつつあるように思う。
どうでもいいかという開き直りの境地に成って来ている。
心の蓋をしてるのとは違うのかな、知ってる人教えて下さい。
またいつものように蓋をしようとしているのなら、気を付けないといけないし、どっちなのだろう?
自分の話しをすると言うことは、恥ずかしい気がしてくる。
私の場合は長すぎて遠い昔の話しに成りつつ有るかな。
自分を許すように他人も許したい気持ちが、強く成ってきている。
進歩なのだろうか、後退だろうか。
もういいですか?
甘いことで軽く扱われたけど、気を抜くとぐっさっとやられるよ、気をつけないと。
気の置けない相手なのだから、お人好しは利用される、狡い人は最期まで何をするか分からない。
怖い相手だからな。
女性が元気な国、地域は栄えていると思う。
女性を枠にはめすぎないのが良いと思う。
自由にしておくと男性にはない発想で良いものを創り出す。
どうしてと言うと女性は基本的に愛と平和が好きだからです。
男性も女性も自由に肩の力ぬいて生きまっしょい!!
今日も楽しいこと見つかるかな。
「おまえ達を食わしてやってるんだ」と言う男の傲り。
妻も子供もその分、生活に潤いを与えている事を理解しない。
自分のお金を使われるのが、惜しいように聞こえる。
夫婦喧嘩をして妻が偉そうに夫に言ったとしたら、上の言葉は有効にもなる。
何もしていない普通の家庭生活で、夫の不機嫌によって出る言葉としたら、妻も子供も辛い言葉となる。
自分達の力の無さを感じさせられ、嫌な気分に成る。
結婚ってそうではない、社会に出て仕事をしてる人、家庭を守って家庭の仕事をして居る人と分けるとしたら、どちらが偉いとは言えないことだと思う。
食わしてやっていると言う男は、そこの基本的な考えが間違っていると思う。
お互いの仕事を認めあえると上手くいくという相手ではないですね。 (がっかり、がっくり)