楽我喜帳

日々是遺言〜ブログは一人遊びの備忘録〜
ブログネーム啓花

こんな私

2005-07-17 | 随想録【アーカイブ】
ぬるま湯の中でぬくぬくと育った
世間知らずのお嬢様(?)だったので、
主婦となりオバサンとなった今でも
夢見心地でフワフワと雲の上を歩いている。
「甘い!」という批評を受けても
仕方のないことかもしれない。
アルバイトもパートも、
まして正規のお勤めもしたことがなく、
苦労知らずの甘チャンであることは
認めたくなくても認めざるを得ない事実である。
どちらかといえば
恵まれた環境の中で
優しい人たちに囲まれて育ってきたから、
よく言えばピュアで素直だが、
わがままで人の心を裏側まで見透かすことができない。
一人っ子ゆえの愛情独占欲が強く、やきもちやき。
人見知りと人に対しての好き嫌いが激しいために
誰とでもすぐに打ち解けて話すことができない。
取っ付きにくい感じを与えているのか、
相手からもあまり話しかけてもらえない(;_;)
ただ、
男性~オジサン~には好かれるみたいというアブナイ私。
ゆえに友だちができにくい。
心はおしゃべりなのに…。
自分から中にはいっていくことができない
という性格のため、
だいぶ損をしている。
その昔
「自分から中にはいっていくようにしなくてはだめだ」
というようなことを
サークルの仲間に助言されたことがあった。
それはわかっている。
わかっているんだってば!! 
わかっているけれど、こればかりは一筋縄ではいかない。
性格がそんな簡単に変われるものならば誰も苦労はしない。
生まれ育った環境、今の生活、性格、個性、
皆バラバラの人たちが集まって生きている。
そんな中で本当に気の合う人にめぐり会うのは難しい。
誰とでもすぐに親しく友だちになれる人は憧れである。
が、同年代はともかく
習い事の先生にもタメグチきく人には嫌悪感さえ覚える。
私にはそういうことができないから。
本当は少し羨ましいのかもしれない。


人の出会いは偶然と奇跡だから、
今ここに出会えた人たちをずっと大切にしていきたい。
いつでも心の片隅にひっかけておいてくれたら幸せです。
出会えたことは神様のイタズラ。

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私の性格

2005-07-17 | 随想録【アーカイブ】
人見知りと人の好き嫌いが激しい私は、
なかなかその場に馴染めない。

向こうから話しかけてくれれば話せるけれど、
自分からは入っていけない。
それに私ってとっつきにくく思われているのか、
あまり話しかけてもらえないし…。
サークルの人など
ある程度親しくなった人はいいんだけどね。
ほんとは
教室に来ている人とも友だちになりたいのに。
ムリみたいです。
陶芸教室の先生たちとも
何年も経ってやっとのこと平気になった人です。
こんな性格変わらなきゃ!と思っている。
それはわかっている。
充分わかっているんだってば!
性格がそんな簡単に変われるなら
誰も苦労はしないのよ(~o|l|) ウッ・・・・
またこんなこと書いてしまったわ。
グチグチグチ…。クラくてゴメンね。


許せない人…
それは、年上の人や先生にも
友だちみたいにタメグチきく人。
私はしたくても絶対にできない(>_<) 
言葉遣いで育ちがわかるから、気をつけたいですね。



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心のままに独り言

2005-07-17 | 随想録【アーカイブ】
その昔、
YMCAの人形劇サークル時代に野辺山で公演をした時の
子供たちの純粋で輝く瞳が忘れられない。
みんな夢中で一所懸命に見てくれた。
そこにはキレる子供もイジメもなかった。
それを“時代”と言ってしまうのは哀しいけれど。
この国はいつからこんなになってしまったんだろう…。



小学校の先生からの年賀状に
「細い糸が寄り合わさって太くなっていくのを感じます」
とありました。
ほんとうにそうですね。
細くて弱い糸だから切ってしまうのは簡単。
だけどそれでは淋しい。
あの時、こっちの道を選んだから今のこの時がある。
もしもあっちの道を選んでいたら
また別の人生があり、
ちがう人たちとめぐり会っていた。
それって何か不思議で、
そういうことって素敵じゃないですか?!



今の世の中
厚顔無恥でジコチューで、
やってはいけないこと、こういうことをしたらどうなるか、
ということがわからない人間が多い(老若男女共に)
平和ボケで、自由とわがままを履き違えている人が多すぎてコワイ。


電車の中で、
もう少し詰めれば七人掛けられるのに…といつも思う。
二人分の座席を占領したり、
間をあけて座ったりして知らん顔の人がなんと多いこと!

きれいに着飾った美人でも、
カッコイイイケメンでも、
恰幅のいいおじさまでも、
そういう人ってサイテー(>_<)

子供が座りたがってグズったりしても注意をするどころか、
お年寄りに席を譲らせて平気な顔で
「すみませーん」
子供が騒いでもぜんぜん注意もせずに
自分たちのおしゃべりに夢中の若い親! 
ムカツク(-_-#)

日本人は子供の躾になんと甘いのだろう。
甘やかし放題で、子供がすることには何でも寛容。
子供にブランド物の服を着せて、
いいことと悪いことの躾もちゃんとできない! 
その反面、育児放棄や折檻する親が多い。

今の世の中
「自分だけ、自分さえよければ」
というジコチュー人間があまりにも多くて、
ムカツクことだらけ(`_´メ)



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男と女。

2005-07-11 | 随想録【アーカイブ】
男と女。
それはいつの世も、
いくつになってもややこしいもの。
男も女も死ぬまで<男と女>だから。
未婚ならそれは恋ですませられるけれど、
既婚だとそれは「不倫」などと言うかもしれない。
けれどどちらも恋する気持ちに変わりはない。
いくつになってもときめく心、恋する気持ちを持っていたい。
それはいつまでも若々しくいられる秘訣だから。

ニューヨークに行く前のことだった。
「三年間も会えないのだからお酒を(無理ならお茶でも)ご一緒しましょう」
と私がしつこく(笑)誘った陶芸教室のI先生は
「そういうことはしないから」と頑なに断られた(泣)
私としては、
サークルで送別会をしてくれるみたいに
お酒を呑んでおしゃべりをするだけのつもりでいたのに、
I先生はそれ以上のことを心配してしまったのかもしれない(〃∇〃) ☆
自分にも家族があるし、私にも夫がいる。
もしもヘンなことになったら哀しいから。
それは今になって思うと、
I先生は私のことを大切に思ってのことだったのかもしれない。
結局、渡米する前日に教室へ行き
I先生とおしゃべりだけをしてしばしの別れを惜しんだ。

男と女の関係になるのは簡単でそのほうが楽だけれど、
兎角この世は男と女の関係に一旦なってしまうと、
その後、元の(何もなかった時の)二人にはなかなか軌道修正ができないものだから。

I先生とお酒を呑めなかったことはちょっぴり心残りではあったが、
結局その時に何もなかったから、
今でもこうしていられる。
そしてこれからもずっと…。

ニューヨークから帰国して半年後に、
会うのは実に二十年ぶりくらいの元YMCA主事だったIさんと、
これまた二十年来の望みがやっと叶い、お酒をご一緒した。
お酒を呑んでおしゃべりをして、楽しい時を過ごすことができた。
もしも“そういうこと”になっても、
それはそれでいいと覚悟はできていた。
その反面
「Iさんは私の気持ちを裏切らない」と固く信じていた。
結果、彼は私が信じていたとおりの人で、
何もなくてよかった。
だって彼は死ぬまで《憧れの人》であり、
《永遠のおにいちゃま》だから(*^_^*)
彼と向かい合わせで呑んでいる時は、
夢の中にいるみたいで
とろけそうだった《《《《♪♪(*´▽`*)ノ゛うふふ~


「貴女にはたくさん“兄貴”(本当のではない)がいるんだろうな。
“兄貴”にとって“妹”はかわいいけれど、どうすることもできない…。
肉体の結びつきよりも
心と心が通じて感じあうことのほうがより強く結びつくことができる」
と友人が言っていた。
そのとおりだと思う。
「男がプラトニックでいたらおかしいよ」という人もいる。
それも一理ある。
けれど私は信じている。
この素敵な人たちを大切にしていこう。
いくつになってもときめく心、恋する気持ちを持っていたい。
夫には変わらぬ愛を。
あの人には仄かな恋のときめきを永遠に持ち続けて…。




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