こんにちは。中小企業診断士の青木公司です。
本日の横浜は雪でした。深深と雪が降る姿。やはり幻想的で素敵ですね。
さて、本日は下町のおもてなし国際旅館、澤の屋旅館の成功の秘訣。
「自分の壁を越える」について、お話をしたいと思います。
澤の屋旅館は東京の下町、谷中にある小さな旅館です。
http://www.tctv.ne.jp/members/sawanoya/nihonngho.html
特段、すごい設備があったりするわけでもない古い普通の旅館(社長談)の澤の屋が、国際的に有名な旅館として、現在までで外国人を受け入れ始めた昭和57年夏からで延べ90カ国、13万人の外国人を受け入れ、高い顧客の満足を得ていること。
現在までで800回を超えるマスメディアに取材を受けており、社長は講演会に引っ張りだこ。
その成功の秘訣の一つ目が「自分の壁を乗り越える。」です。
澤の屋は、昔ながらの東京の下町の旅館として営業していました。
昭和40代以前は、宴会をして泊まるビジネスマン、東京に仕事にきて泊まるビジネスマン、修学旅行の学童などが泊まる旅館としてやっていたそうです。
そんな中、昭和50年に入り、状況が変わってきます。
国も豊かになり、宴会をして泊まるビジネスマンはより豪華な旅館、観光地の旅館へ。
東京に仕事にきて泊まるビジネスマンはビジネスホテルなどに。
修学旅行生もより豪華な宿、交通の便のいいところへ
顧客は流れていきます。
近所の澤の屋と同じような旅館も次々と廃業していったそうです。
そこで社長は考えます。別の生きる道はないか。
そんな時、外国人向けにパンフレットで紹介する「ジャパニーズ・イン・グループ」の存在を知ります。
外国人の客を受け入れることはできないか。
そこで、壁にぶち当たります。
1. 自分達は全く英語ができない。外国人には英語すらできない人もいる。言葉の壁をどうのりこえたらいいのだろうか。
2. 自分達の旅館は個別の部屋にバス、トイレがついていない。そんなところに外国人が泊まりにきてくれるのだろうか。
しかし、昭和57年の夏、客が3日間0人の日がきます。駒込電話局からきた電話代の請求すらままならない状態。
社長は、すでにジャパンイン・グループに入り、外国人を受け入れているある旅館を見に行きます。
そこの旅館の館主は特別な語学力はなく、「オッケーオッケー」で外国人とやりとりしているそうです。
社長は決断します。
1. 語学力はなくても、コミュニケーションはできるはずだ。
2. 外国人旅行客は旅の目的に合わせて泊まるのだ。ゆったりした旅行でおいしいものを食べたい時は豪華な観光旅館に、商用はビジネスホテルに、そして、うちには個人旅行客が泊まってくれるはずだ。
3. この状況だ。勝負するしかない。
そして、澤の屋旅館は自分の壁を乗り越えます。
昭和57年夏から外国人受け入れ開始。280名
昭和58年外国人顧客3000人
59年同4000人
60年同5000人
大成功をおさめることになります。
結局、一番障害になると思った英語は、全く障害にならなかったそうです。
あるマスコミが取材中、澤の屋旅館である外国人が社長に外国通貨から円への換金を依頼された時。
社長「マネーチェンジはバンクですが、トゥデイはサタデーでクローズね」
外国人「I SEE. Your English is very clear.」
TV局スタッフはあなたの英語はすごいと簡単していたそうです。
澤の屋社長はこういいます。
「言葉は単語でいい。単語の方が伝わる」
「話して通じなかったら、紙に文章を書いてもらう」
「英語も通じなかったら、紙に絵を書いてもらう」
自分の壁を乗り越える。発想を転換する。
その瞬間にビジネスの可能性は飛躍的に伸びるのです。
本日の横浜は雪でした。深深と雪が降る姿。やはり幻想的で素敵ですね。
さて、本日は下町のおもてなし国際旅館、澤の屋旅館の成功の秘訣。
「自分の壁を越える」について、お話をしたいと思います。
澤の屋旅館は東京の下町、谷中にある小さな旅館です。
http://www.tctv.ne.jp/members/sawanoya/nihonngho.html
特段、すごい設備があったりするわけでもない古い普通の旅館(社長談)の澤の屋が、国際的に有名な旅館として、現在までで外国人を受け入れ始めた昭和57年夏からで延べ90カ国、13万人の外国人を受け入れ、高い顧客の満足を得ていること。
現在までで800回を超えるマスメディアに取材を受けており、社長は講演会に引っ張りだこ。
その成功の秘訣の一つ目が「自分の壁を乗り越える。」です。
澤の屋は、昔ながらの東京の下町の旅館として営業していました。
昭和40代以前は、宴会をして泊まるビジネスマン、東京に仕事にきて泊まるビジネスマン、修学旅行の学童などが泊まる旅館としてやっていたそうです。
そんな中、昭和50年に入り、状況が変わってきます。
国も豊かになり、宴会をして泊まるビジネスマンはより豪華な旅館、観光地の旅館へ。
東京に仕事にきて泊まるビジネスマンはビジネスホテルなどに。
修学旅行生もより豪華な宿、交通の便のいいところへ
顧客は流れていきます。
近所の澤の屋と同じような旅館も次々と廃業していったそうです。
そこで社長は考えます。別の生きる道はないか。
そんな時、外国人向けにパンフレットで紹介する「ジャパニーズ・イン・グループ」の存在を知ります。
外国人の客を受け入れることはできないか。
そこで、壁にぶち当たります。
1. 自分達は全く英語ができない。外国人には英語すらできない人もいる。言葉の壁をどうのりこえたらいいのだろうか。
2. 自分達の旅館は個別の部屋にバス、トイレがついていない。そんなところに外国人が泊まりにきてくれるのだろうか。
しかし、昭和57年の夏、客が3日間0人の日がきます。駒込電話局からきた電話代の請求すらままならない状態。
社長は、すでにジャパンイン・グループに入り、外国人を受け入れているある旅館を見に行きます。
そこの旅館の館主は特別な語学力はなく、「オッケーオッケー」で外国人とやりとりしているそうです。
社長は決断します。
1. 語学力はなくても、コミュニケーションはできるはずだ。
2. 外国人旅行客は旅の目的に合わせて泊まるのだ。ゆったりした旅行でおいしいものを食べたい時は豪華な観光旅館に、商用はビジネスホテルに、そして、うちには個人旅行客が泊まってくれるはずだ。
3. この状況だ。勝負するしかない。
そして、澤の屋旅館は自分の壁を乗り越えます。
昭和57年夏から外国人受け入れ開始。280名
昭和58年外国人顧客3000人
59年同4000人
60年同5000人
大成功をおさめることになります。
結局、一番障害になると思った英語は、全く障害にならなかったそうです。
あるマスコミが取材中、澤の屋旅館である外国人が社長に外国通貨から円への換金を依頼された時。
社長「マネーチェンジはバンクですが、トゥデイはサタデーでクローズね」
外国人「I SEE. Your English is very clear.」
TV局スタッフはあなたの英語はすごいと簡単していたそうです。
澤の屋社長はこういいます。
「言葉は単語でいい。単語の方が伝わる」
「話して通じなかったら、紙に文章を書いてもらう」
「英語も通じなかったら、紙に絵を書いてもらう」
自分の壁を乗り越える。発想を転換する。
その瞬間にビジネスの可能性は飛躍的に伸びるのです。