
工場長は遠山林鉄ばっかり行っている訳ですが、伊那谷には他にも森林鉄道が存在しました。
その一つが伊那市長谷にあった浦森林鉄道
昭和14年に浦国有林に敷かれた森林鉄道です。
昭和36年の三六災害で致命的な被害を受け、昭和39年には廃止となったようです。
使用された機関車は廃止後に遠山森林鉄道に移動し、現在梨元に保存されているものも浦森林鉄道を走った機関車だそう。
伊那谷と木曽谷の機関車は営林署間の移動が結構見られます。
沿革や全線にわたるレポートは他のブログ等には敵わないので、ワタシのはお散歩記事ですw

今回歩いたのは地図の部分(地理院地図にルートを手書き)
浦集落からこの鉄道唯一のトンネルと、一番の見せ場のアーチ橋を目指しました。
(ピンク線が往路、緑が復路です)
ホントは浦分校跡すぐの分岐から下に降りたかったのですが、
下へ向かう道が廃道っぽい&車を置く場所がない
という事でだいぶ離れたところからのスタートになりました。
・・・でも結果的に面白かった?
車を置いた場所は段々に平場の築かれた場所で、集落跡のよう。

特に深い沢ではないのですが、水がドンドン流れています。
そして下に降りる道に入りしばらく行くと、

石垣が現れました。
ちょうど車を止めた場所の下あたり。
やはりこの辺りには人が暮らしていたようです。

穏やかな朝日だけはここに人が住んでいた頃と同じ。
この地域特有の緑色の石の石垣・・・最高です。
さらに降りるとかなり開けた場所に・・・
そろそろ第一の目標である戸草にある吊橋が見えるかなと見下ろせば

お、ありました!
だがしかし!

比高がありすぎるw
道なりに行けばたどり着けると思ったのですが、道はどんどん南下するし、現在地の下は崖になっていて、折り返し吊橋へ向かうとは思えない・・・
ちょっと間違えたようです。
気を取り直して北へ戻り、吊橋への道を探します・・・

・・・正しい道はコレのようです。
橋の両側の路盤が流失したもの。
ここからは道幅が一気に狭まります・・・

が、所々にこのような路盤が現れるので、元々は荷車程度は通る道のようでした。
(自動車が通るには勾配・九十九折れがきつすぎる)

無事に吊橋へ。吊橋も健全な状態でした。
・・・どこにも銘板も橋名板も無いので「戸草の吊橋」としておきます(汗)
これを渡ると戸草という場所に着きます。
かつては停車場があり、三六災以降はここが終点だったとのことです。

吊橋から見た戸草
・・・現役時代の写真を見たことがないので、当時の面影があるかすら分かりませんw
戸草には河原から一段上がった所に広場がありました。
そこから上流側を見ると

上の道へ登っていく車道の下になにやら小さい平場が・・・
怪しいので進んでいくと

切通しになっており、やはり林鉄の路盤でした。

良い切通し!松の木が廃線からの時間を物語ります。
・・・次回、トンネルとアーチ橋は姿を見せるか!(前後2回予定)
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