工場長の製作日誌

模型製作記録とか辺境の記録とか

山梨交通の保存車(江ノ電800)

2015-09-26 15:45:19 | 旅行


東京オリンピックの少し前、1962年まで山梨県は甲府駅前から現在の中部横断自動車道の終点、増穂インター付近の甲斐青柳までを結んでいた電車がありました。
思い立って山梨交通鉄道線(←峡西電鉄)の保存車を見てきました。



場所は中部横断道増穂IC至近、「まほらの湯」という温泉施設に隣接する利根川公園。
ちょうど廃線跡の道路に面した場所に置かれています。



保存されているのはモハ8
同型のモハ7と共に廃止後上田丸子電鉄→江ノ電と渡り歩いてここに戻ってきました。
僚機のモハ7の方も個人で保存されているようなので、幸運児といえましょう。
・・・最後に江ノ電で活躍したのがラッキーだったか?

状態は江ノ電時代のまま、塗装だけ山交時代のオレンジになっています。
番号も「801」の切抜き文字が残っています。
直近の写真をネットで見ると中央扉の窓が割れていますがしっかり直されていました。
少し色あせていますが、屋根もあるし手入れもされており程度は良好です。



後ろ側はこんな感じ。かつてはこちらにも運転台がありましたが江ノ電時代に片運化と3扉化改造がされています。
屋上はランボードが無くなっていたりパンタよりのベンチレータの位置が現役時代と異なるようです。
・・・参考にしたかったのですが(笑)




(訪問日:H27.9.20)

自由形ナローの製作2

2015-09-25 21:48:22 | 今日の製作所


前回の「1」で製作した客車を牽くための電車を用意しました。
こちらは同じくスタジオHOさんの客車Bタイプ。
そのままつくると阪神小型車のような細面の電車風の車両が出来ます。



ただ、そのままつくってしまうと前作のAタイプとはドア高さが違い過ぎてしまうので思い切りドア下で裾をカット!
前面の貫通扉も「電車にすると運転台狭すぎ!」ということで閉鎖します。
キットの端をちょうどのサイズに切り出して接着、瞬着で溝を埋め扉を埋めました。
・・・ただ、左右の窓と同じ精度にする自信が無かったため(汗)新潟交通の元小田急のようにしてみました。





後は前作と同じ・・・屋根を削りひたすら整形・・・



ドアの高さを客車と合わせるために簡単なステップを作製。



床板として使う鉄コレ14m級動力とのスペーサーも兼ねています。



前作はツルツルでしたが今回はシルヘッダーを。
キットにシルヘッダー用の帯がありますが、今回は1mmのプラ帯を使いました。
・・・やや太すぎorz
雨樋は0.5mmで表現しています。



いきなり塗装後になりますが、使用した細かいパーツは・・・
ベンチレータ: GM旧客付属ガラベンをT型に加工
パンタ   : トラムウェイの玉電80キット付属品
碍子    : 出所不明(汗
ヘッドライト: 銀河250w型
テールライト: フクシマ製

という具合です。全部手持ち品で何とかしていますので、新規に購入するならもっとふさわしいパーツがあるかと思います。



床下機器もHOとNのパーツを織り交ぜてそれらしく。
標記はアルモデルの自由形です。



電車型客車を電化に際して電車化、といった感じでしょうか。
自由形軽便電車1号が完成しました。

今思えば電化路線ならステップが無い方がそれらしいかなとも思いますが・・・この鉄道線のシリーズを増備していくのも面白そうです。

自由形ナローの製作1

2015-09-11 18:15:35 | 今日の製作所
長雨で塗装できずにいましたがようやく完成。



鉄道模型市で入手したスタジオHOさんの「ゆるーい鉄道模型」シリーズのバス窓客車タイプです。
切抜き済みペーパーキットで、屋根板と床板付で2000円也

屋根に切削性の良いMDF板を採用しているのがここの特徴です。
・・・要は木材の繊維を合成樹脂で固めたようなもので、木目などが無い合板です。
普通の木材で屋根を作ったことが無いので「コレは特に良い!」かどうか分からないのが残念ですw


木製屋根は初めてなので、練習にと素組してみました。



サフ(1000番くらい)を吹いて内板と外板をセメントの流し込みタイプで接着。
いつも通り角は瞬着を盛って加工しています。



屋根板は木工ボンドで接着。
上にスプレー缶を置いて重しとし、一日置けばガッチリ固まります。




いよいよ醍醐味?の屋根の切削
まずは120番の紙ヤスリを板に巻き付けて削りました。
・・・通常の模型工作には使わない粗い目ですが、細かいものでやり始めると削り足りず、肩だけカーブがついて屋根の上の方が真平らということになりかねません(笑)
今回は多少ヒネクレて?切妻にしています。切妻にするには屋根がもうちょっと深い方が良いかもしれません。



最終的に600番のヤスリで全体を車体の凹凸も無くすように全体を磨き、



500番のサフを屋根に吹いてまた600番と1000番のヤスリで磨き上げました。
最後に1200番のサフを吹いて塗装にかかります・・・




その前に床下を製作。
キットには木の床板が付属しますが、台車をどう取り付けるか悩んだのでプラ板で新規に作りました。
0.5ミリのプラ板を適当なサイズに切り出し、GM床板の台車受けの部分を移植するのみです。
台車はGM製の余っているヤツ。最終的には当分使いそうにないTR50としました。




いつも通り塗装中の写真は無し!(汗)
GMの28番を缶スプレーで塗装、Mrカラーのレッドブラウンをエアブラシで吹いてとツートンにしました。
ベンチレータはこれまた使いそうにないGMの箱型。
・・・スケールが違ってもあまり違和感ないです。



心配していた木製屋根の継目処理もまぁだいたいうまくいっています。
ドア上につけた水切りもなかなか効果的かなと自画自賛。

さて、客車だけではナンなので・・・電車でも作ろうか

蒲原鉄道の今を見に行く

2015-09-06 13:57:18 | 旅行


1999年に廃止された蒲原鉄道
かつては新潟県の五泉と加茂を結んでいましたが、最後は五泉~今泉~村松という4キロ余りのミニ路線になっていました。

今回思い立ったが吉日ということで?その保存車両を訪ねました。



まずは冬鳥越スキーガーデンへ
村松~加茂の峠越え部分にあたり、冬鳥越駅のあった場所?に3両が保存してあります。





まずは私の一番見たかったモハ1
1923年の五泉~村松間先行開業時に用意された木造の小型電車で、東急(前身の目黒蒲田電鉄)最初の電車にソックリです。
しかし両者は異なるメーカーの手のもので、こちらは「蒲田車両製造」というメーカーのコピー品です。
・・・社名からして、蒲田に来ていた目黒蒲田電鉄の電車を「参考」にしたのでしょうか?(笑
東急のは側窓が10個連続していますが、こちらは3・4・3に分かれているのが特徴です。
・・・わざわざ太い窓柱の両脇の窓を細くしてあるのですが、なぜこういう割付なのかは不明ですw

同型が2両(デ1とデ2)あり、1952年にデ1がモハ31に改造(名義の部品流用の新製)されるとデ2がモハ1になってます。
残った方も1954年にモハ51に改造されて廃車になり、2車体とも物置になったようなのですが、ここにあるのがそのどちらなのでしょうか?
ちなみにデからモハになった時期も不明ですのであまり参考にならないかと思います・・・

倉庫というか建物と一体化していた時代に見た事があり今回再会しましたが、正直良く直したなと。
他の部品はゴチャゴチャと車庫に置かれていた物を利用したのでしょうか?

ここで車庫の奥に置かれていたこのブリル台車はナニモノなのかとちょっと考えましたが・・・
モハ31が1952年にこの電車の部品を使って製造される際、台車は重量に耐えられないのでモハ21のものと交換していると何かで読んだ記憶がありますので、モハ1→モハ21のものと考えて良さそうです。
モーターは付いておらず、床下機器も不足していますが雰囲気は十分です。

屋根を見ると真ん中がやや沈んでいるように見え、横から見ると車体中央がわずかに膨らんでいました。
・・・雪国で、鋼製ならまだしも木造車を屋根なしで保存するのはやはり大変かもしれません。



隣に置かれているモハ61
元は西武の電車で、1999年まで活躍しました。
こうしてみると国鉄型の台車を履いていたり、結構重厚な電車です。



こちらは唯一の電気機関車だったED1
現在おなじ場所に保存されています。
全国各地にある米・ウエスチングハウス製の凸ELそっくりですが、これも日本車両のコピー品です。



続いて村松駅へ



蒲原鉄道の本社があり、車庫も置かれていました。
本社屋と駅舎を兼ねる建物は当時のまま。バスターミナルもそのままになっています。
・・・ただ、バスターミナルはかなり縮められ、建物側がわずかに残るのみです。



鉄道用地の大部分は砕石の敷かれた空地になっています。
奥の車庫があった部分にはローソンをはじめ3軒の店舗があり現在も営業しています。



この建物は昔もあったはず。確か変電所でしたか?



店舗裏の空間
現役時代はここに廃貨車やモハ12などが押し込まれていましたね。
廃止後ここにモハ31とED1が保存されました。
しかし2008年に撤去、ED1は移設されたもののモハ31はこの場で解体された模様です。



朽ちた犬釘





村松駅近くの村松城址公園に保存のモハ11
1930年の全線開通時に用意された3両のうちの1両で、部分廃止後にこの場所に保存されました。
1999年と比べると屋根が架けられましたが、相変わらずライトレンズなどは失われています。
木製部品の傷みが進んでおり、窓ガラスも多くが入っておらず、裏から塩ビ?板を当てています。





続いて磐越道安田インター近くの安田民俗資料館のモハ51
先のモハ11と同型ですが、これはモハ13の車体とモハ1の主要機器を組み合わせたから。
でもモハ1改造の名義になっています。モハ13はモハ41に改造された扱いになっています。

資料館は旧蒲原鉄道本社の建物を移築したものだったり駅名標がたくさん置いてありますが、もう長い事営業していないようで荒廃が進んでいます。



隣には日産パトロールの消防車。

資料館内にどのようなものが収蔵されているのか知る由もありませんが・・・
こうした資料が腐朽し失われてしまって良いのでしょうか?
雑駁ではあるがガラクタではないと思うのですが。





最後に五泉高校向かいの体育館に保存されているモハ41。
モハ13の改造名義で作られた車両で、1999年まで現役で使用されました。



車体のわりに非常に小さい台車は元々上のモハ51がモハ13時代に履いていたもの。



公開時間より早かったのですが車内に入る事が出来ました(汗
立ち入ると木の床からのどこか懐かしい香り。
今一度、こんな電車でどこかへ行きたいものです。


改めてまとめてみると、この鉄道は車両が少なめながら改造や転用が非常に複雑・・・そこも魅力ですね。
しかもこれだけの両数が保存されている会社もなかなか珍しいですね。


以上、2015年現在の保存車の現況でした。
※他に県外に蒲原鉄道の木造貨車が保存されています。

終点のバス車庫

2015-09-02 21:15:39 | 日記




下栗の里で有名な?遠山郷の中心部、南信濃和田にある信南交通の和田営業所
ここからは飯田駅行きと平岡駅行きのバスが発着します。
訪れたのは日曜日・・・休日は飯田~和田が2往復のみで和田~平岡はタクシーで運行するため閑散としていました。
・・・といっても平日も2路線合わせて5往復なのであまり変わりはありません(笑

遠山谷の中心地なだけあり?バス3台を収容できる比較的大きめな車庫です。



ただし奥行きは殆ど無く、中型以上ははみ出すような感じです(笑



この車庫の特徴は丸太が多用されている事
山の中らしく、角材より一般的だったのでしょうか(笑



梁はこんな感じで太い電柱ほどの丸太材を器用に継いで使っています。


・・・作ってみたい建物の1つを紹介しました。