現在、日本人がイスラム国に捕らわれ、身代金を要求している。
インターネットニュースを見ていたら、作家・平野啓一郎さんが、1月22日(2015年)国内に広まる『自己責任論」に違和感があるとツイッターで語ったとされる。
内容は、「スポーツなどで国際的に活躍すると『同じ日本人』として思いっきり共感するのに、紛争地帯で拘束されたりすると、いきなり『自己責任』と言って突き放してしまう冷たさは何なのか」という。
この人は作家でありながら、このようなツイッターを載せるとは、作家らしからぬ行為である。
第一、スポーツなどで海外に言っている人と、今回人質になった人と同類に考える事が変。
同類に考える事の方が、視野が狭い!
人質になった人が、紛争地に言った目的はそれぞれあるだろうが、常識から考えて紛争地に行くことが、共感できる?
この人は、何を勘違いして共感と言う言葉を使ってるのか?
※ 「共感」の意味は、他人の体験する感情や心理状態、あるいは人の主張などを、自分も全く同じように感じたり理解したりする事、とある。
スポーツをやる人と今回の件とを、同類に考える事は、スポーツをやる人達に失礼ではと思う。
確かに人質になっている人達は、生命の危険にさらされている。
確かに、スポーツをやる人も個人の自由で、海外遠征をやっている人も多い。(世界的な大会は別として)
スポーツをやる人と、紛争地に自分から飛び込む人に、どちらに共感するか?答えは書かなくても共感の意味から考えれば、分かるだろう。一般的に考えれば。
ハッキリ言って、今回の人質のケースは「自己責任」です!
しかし、自分は突き離してこう書いたのではありません。人質の方たちが無事に日本に帰国してもらいたいと、願っています。
どこの人(場所含む)を考えて『冷たく突き放す冷たさは・・」とこの人はツイッターに投稿したのか分かりませんが、本質を考えてもらいたいと思う。
日本人は、誰しも人質の解放を願っていると思いますよ。だが、『自己責任』という発言をそのまま受け取ると冷たい感じがするが、広く考える事が必要だろう。作家であるのだから。
政府の方もあらゆる手を使って、人質解放の為にあらゆる手を考え頑張っている。日本国民も人質の無事を祈っている。
作家なのだから感性を働かして下さればと思います。
『自己責任』と言う言葉を使う時、生死をかけた場面の人に、直接使いますか?(一般的に考えて)
兎に角、この人がツイッターに寄せた言い方は、全体を指した表現で感心しません。例えば、心ない人がとか、自分のまわりとか、知人がとか表現してくれればいいと思いましけどね。
しかし、状況を考えると『自己責任』です!この作家は考えないと思いますが、自分で紛争地帯に出向いたことにより、人質のなった事は現実です。その事により、日本に迷惑をかけ親や親類縁者に心配かけている事も事実です。
人質の方たちを心配しているのは、貴方だけではありませんよ。日本国民、親、知人、縁者など全部の人達が無事を祈ってるのです。