へんくつゃ半睡の「とほほ」な生活!

 奇人・変人・居眠り迷人。医療関連を引退⇒
某所で隠遁準備中。性質が頑な、素直ではなく、
偏屈でひねくれています。

【答】これな~ん!? 答え@船箪笥風の 印箱 でした。

2008年11月08日 | 江戸を歩く

ふるき もの これな~ん!?> 庄内鶴岡の印箱 (印鑑入れ)

庄内は鶴岡出の、印箱でした。

 

船箪笥を彷彿するかの金具が凝っている。
大事なを入れて大切に何代にも渡り使われてきた。

 

細工の美しい印箱、ある人は「印籠」とも呼んでいる。
背面の細工の様子。丁番もしっかりしている。
 

内部は仕切により三っに分かれている。
向かって左側に大きなを、中央には小振りなを、
右側には朱肉をいれていた。

 

印立て呼ぶ、こちらも綺麗な状態で残っている。

 

分解部品になって取り出し可能である。
蓋を開ける時は中央に見えるつまみを押すと、蓋が開く。

 

経年の痛みはどれほどか・・・というくらい表面は綺麗で、目立って傷などもない。 

 

右側の蓋は中央寄りに窪みがあって、そこに指をかけて開けるが、若干開けにくい。

軽くひっくりかえしてふるようにするか、先の細いものでひっかけて開けていた。

くぼみを少し削って開けやすくしていたようである。

 

古い物だから、裏側には染みや汚れが少々ある。

 

答え、 庄内鶴岡の印箱 (印鑑入れ)でした。

 

※普段は、腕時計入れとして使用。箪笥貯金用の小銭入れにしてみたり、

江戸風の生活にはたまらない小さな宝箱です。

年代的価値しかありませんが、捨てる気にも、人様に譲渡する気もありません。

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【問】ふるき もの これな~ん!?@船箪笥!?

2008年11月07日 | 江戸を歩く

ふるき もの これな~ん!?

  

これな~ん!?

 

産地:庄内鶴岡。

 

年代:約二百年前!。

 

ヒント:船箪笥!を彷彿するかの金具!。
    細工や金具に、職人さん腕の良さ。
    大切に何代にも渡り、使われてきた。

 

細工の美しいXXXX、ある人は「XXXX」とも呼んでいる。
細工の様子。丁番もしっかりしている。
経年の痛みはどれほどか・・・というくらい表面は綺麗で、
目立って傷などもない。
大きさ:A4版
新聞半折り程度)        これな~ん!?

 

 

答えは、11月 9日()の予定です。

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【読】剣客商売に出てくる昔のお医者さま!@時代小説

2008年11月06日 | 時代小説

剣客商売とは

 

 剣客商売(けんかく しょうばい)は、池波正太郎による時代小説。
1972年1月から1989年7月まで小説新潮で断続的に連載された。
また、番外編として「黒白」と「ないしょないしょ」の2篇が、
1981年4月から1988年5月まで週刊新潮で連載された。

 「鬼平犯科帳」や「仕掛人・藤枝梅安」と並ぶ池波正太郎氏の代表作。
全16巻の単行本は2008年10月現在2,000万部以上が出版され、
テレビ・舞台・漫画化されている。

 

平幹二郎版(明治座版) 平幹二郎/小兵衛、山口馬木也/大治郎
藤田まこと版 藤田まこと/小兵衛、山口馬木也/大治郎
中村又五郎  中村又五郎/小兵衛、加藤剛/大治郎
山形勲編   山形勲/小兵衛、加藤剛/大治郎

※「時代劇チャンネルでは、11月現在、上記の四版が視聴できる。

 

 無外流の老剣客、秋山小兵衛(あきやま こへえ)を主人公とし、
小兵衛と妻おはる、息子の大治郎、女剣客の佐々木三冬らが、
江戸を舞台に様々な事件に遭遇し活躍する。

 池波は新潮社刊『日曜日の万年筆』に収録の随筆「名前について」で
小兵衛の性格については、いろいろなモデルがあるのだけれども、
その風貌は旧知の歌舞伎俳優・中村又五郎をモデルにした」と
書いている。

 

剣客商売に出てくる昔のお医者さま

 

氏名         初出       場所(現在の地名)

◎医師・小川宋哲   「御老中毒殺( 1巻)」本所・亀沢町(墨田区両国4丁目)
 秋山小兵衛とは十五年来のつきあいがある医師・宋哲は長崎で異国渡来の医術を研究し、
今は七十をこえた老医だが、身分の上下にかかわらず、行き届いた診察と治療を施す。
小兵衛とは仲の良い碁敵で、さまざまな場面で小兵衛治郎を助ける。

 

◆医師・井村松軒   「陽炎の男( 3巻)」日本橋・住吉町(中央区日本橋人形町2丁目)
 松軒は、以前、佐々木三冬の住居、和泉屋の根岸寮に住んでいたことがある。
 この松軒、実は盗賊・清洲の佐平次の一味で、京都に滞在していたが、佐平次が
現在の和泉屋の寮に三百両を隠したことを知り江戸に戻る。そして金を奪うため、
かっての同僚・大場平七郎を頼み和泉屋の寮を襲撃する。

 

◇医師・村岡道歩   「兎と熊( 3巻)」神田・元乗物町(千代田区鍛治町1丁目)
 本所の医師・小川宋哲の弟子。道歩は宋哲が長崎で勉強中に寄宿していた鼈甲細工
問屋の息子で、宋哲が長崎を離れる時、その人柄を慕って弟子となり従った。
 今は医師として独立し、二人の医生を助手に、日々忙しく暮らしている。ところが、
娘の房野が誘拐され、毒薬の調合を強要される。

 

◆医師・山口幸庵   「突発( 4巻)」浅草・田原町二丁目(台東区雷門1丁目)
 煙管師・友五郎の後妻・おたよと関係をもった幸庵は、友五郎の蓄えた金を狙って、
診察する度に「死病、死病」と言い続け、その命を縮めようとしている。ところが、
入谷田圃付近を歩いている時、侍どうしの斬り合いに巻き込まれ、
あっけなく斬り殺されてしまう。

 

◆御殿医・山路寿仙  「品川お匙屋敷( 6巻)」品川・御殿山北(品川区北品川4丁目)
 近辺の人たちが[お匙屋敷]と呼んでいる、幕府御殿医・路寿仙の別邸。
[お匙]とは将軍家侍医の別名で、権勢を誇っている。この屋敷が密貿易を企む一味の
拠点となっており、探索していた幕府隠密の女から、証拠の品を託された佐々木三冬
誘拐され、屋敷内の地下蔵に監禁される。

 

◇医師・川島桃伯   「春の嵐(10巻)」渋谷村・金王八幡近く(渋谷区渋谷2丁目)
 以前、幕府表御番医師をつとめていた川島桃伯。偽・秋山大治郎に殺された
旗本・井上主計助、その夫人の主治医で、薬を貰いに来た老僕・権蔵は主人殺しの
犯人を・金王八幡で見かける。

 

◆町医者・菅井九甫   「剣の師弟(11巻)」神田・紺屋町二丁目(千代田区神田紺屋町)
 
町医者としても繁盛している菅井九甫は、裏で金貸しもやっている。
秋山小兵衛の弟子・黒田精太郎は菅井九甫から金を借りていたが、ある夜この菅井家に
押し入り、九甫夫妻と医生を殺害、大金を強奪して逃走する。

 

◎町医者・横山正元   「波紋(13巻)」牛込・早稲田町(新宿区早稲田町)
 町医者だが無外流の剣術を遣う、独り身の横山正元。酒も女も「大好物」と言って
はばからぬ人物で、秋山小兵衛大治郎の父子との交誼は深い。

 

◆町医者・服部宗全   「二十番斬り(15巻)」下谷・山伏町(台東区松が谷3丁目)
 医者としては三流の服部宗全。大身旗本・皆川石見守の屋敷に出入りし、
お家の内紛にからんで毒薬の調合を依頼される。


【引用・出典・参考】
完本池波正太郎大成 剣客商売 新潮社
江戸切絵図にひろがる剣客商売 仕掛人・藤枝梅  時代小説シリーズ 
鶴松 房治 解説  出版:人文社  1,680  ISBN:4-7959-1932-1
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%E5%AE%A2%E5%95%86%E5%A3%B2

 

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【覧】平成中村座十一月大歌舞伎@隅田川続俤 法界坊

2008年11月03日 | 江戸を歩く

平成中村座十一月大歌舞伎 隅田川続俤 法界坊


平成二十年十一月 一日(土)~二十五日(火)
 

 

         

 

 隅田川続俤 法界坊

                  聖天町法界坊  中村勘三郎

                  道具屋甚三郎  中村橋之助
永楽屋手代要助(吉田宿位之助松若) 中村勘太郎
              花園息女野分姫   中村七之助
                  山崎屋勘十郎   笹野 高史
                       番頭正八   片岡 亀蔵
                永楽屋権左衛門  坂東彌十郎
                           永楽屋娘お組    中村 扇雀

 

                                演出・美術   串田 和美

   

                  

 

法界坊』が、さらなる進化を遂げて帰ってきました。
 
 憎めない悪党でありながら、惨忍さもあわせ持つ法界坊を原作に基づいて
色濃く描いた 串田和美 演出の『法界坊』。

 

 今回の公演は、昨年の紐育公演でも現地で賞賛を浴びた興奮の舞台を
そのままに上演いたしています。

 

 乞食坊主の法界坊(勘三郎)は、女と金に目がなく、以前から思いを寄せる
お組(扇雀)にしつこくつきまといます。そしてそのお組と恋仲である手代の
要助(実は吉田家の若殿松若・勘太)が探し求める鯉魚の一軸が、
金蔓になると知った法界坊は、これをまんまとせしめ大金を得ようとします。

 一方、松若の家臣である道具屋甚三郎(橋之助)や松若の許婚である野分姫(七之助)、
お組の父である永楽屋権左衛門(彌十郎)が松若のために立ち働きますが、
法界坊と共に悪巧みを働く山崎屋勘十郎(笹野高史)や番頭の正八(亀蔵)たちがこれを
阻みます。

 

 鯉魚の一軸を巡って二転三転していく物語と、大切所作事の『双面』までを存分に
楽しめました。晩秋の浅草を盛り上げる注目の舞台を、どうぞご覧になって下さい。!

                                                   敬称略

お帰りには人力車のご利用を・・・!                 

 

平成中村座十一月大歌舞伎隅田川続俤 法界坊
平成20年11月 1日(土)~11月25日(火)

 

昼の部   上演時間 隅田川続俤 法界坊
序幕 二幕目 11:30-13:25 幕間 30分 隅田川続俤 法界坊
大喜利     13:55-14:21

 

夜の部   上演時間 隅田川続俤 法界坊
序幕 二幕目 16:30-18:25 幕間 30分 隅田川続俤 法界坊
大喜利       18:55-19:21

 

  

【引用・参考】歌舞伎美人
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/other/2008/11/post_26.html

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【読】江戸時代の剣術道場!@時代小説

2008年11月03日 | 時代小説

江戸時代の剣術道場 剣客商売

 

 

幕末剣術道場

 

 これから数回に分けて、江戸時代剣術道場について書いていく予定です。

次回に、池波正太郎先生の鬼平犯科帳」・「剣客商売」・「仕掛人・藤枝梅安」に

登場する剣術道場を取り上げます。

その後は、佐伯泰英先生の「密命」・「居眠り磐音」も!!

 

道場剣術の時代
 室町から戦国期にかけて誕生した流儀武術は、太平の江戸期にいたって一時衰退した。
 寛文三年(1663)に改訂された武家諸法度で武芸者同士の真剣勝負は禁じられ、さらに後に

花開いた元禄文化のなかで武術も実用を離れ華やかな技法に流れる風潮が生まれていく。

 享保四年(1719)に新陰流の剣士である熊谷忠右衛門が著した
「剣術諸流評論」は、「今の人打合勝負を

修行することなく、高遠なる意味秘術を以て勝と云う所の道理計をよろこびて、専ら是のみを修行して

実の勝口を得る事なくして、一流を極め自らほこるは、皆柔弱による者也」と、当時の剣術を批判している。

 

 そんな江戸期の武術界に変革がおきた。正徳年間(1711~16)剣術流派としては歴史のある直心影流の

山田平左衛門、長沼四郎左衛門父子が防具と竹刀を考案し自由に打突を行う自由稽古を行ったのである。

 その後宝暦年間(1751~64)に名門の一刀流中西派の中西忠蔵によって改変され
現代の防具にほぼ近い形態が完成すると、多くの剣術流派が竹刀稽古を採用するようになった。
 この稽古方法の改革と享保年間以来幕府が行った武術奨励の風を受けて武術は隆盛の時代を迎える。

 これら道場の門をたたいたのは、武士の子弟だけでなく農民や町民の子弟も多数いた。


 幕府は二度にわたって百姓町民が武術を修行することを禁じたが、たいした効果はなかった。
武術は単なる芸事にあらず、立身出世のための重要な手段でもあった。

 また坂本龍馬のような地方の下級武士の子弟たちにとっても憧れの場であった。
地元では窮屈な身分制度に甘んじなければならないが江戸の道場に遊学すれば自由に剣術と学問を

学ぶことができる。

 やがて江戸の剣術道場は全国から大志を抱いて集まる、若者の"るつぼ"と化していった。

 

江戸の剣術道場
 北辰一刀流、千葉周作の玄武館。鏡新明智流、桃井春蔵の士学館。神道無念流、
斎藤弥九朗の練兵館。隆盛をきわめた、これら三道場を称して江戸三大道場という。
「位は桃井、力は斎藤、技は千葉」と評された。

 いずれの道場も新興流派で竹刀稽古という時代の波にうまく適合できた。
また稽古方法や剣術理論でも従来の型稽古を中心とした古流とは異なり"手っ取り早く習えて、

上達が早い"流派に人気が集まる、当時の江戸の世相が、これら道場の人気を後押しした。

代表的なのが北辰一刀流である。

 古流の剣法は、その権威を誇るためもあり難解な言葉を使い剣術を哲学や宗教と結びつけたが、

千葉周作は簡易な言葉を使い、「剣術は単に技術である」として合理的な練習法を編み出した。
 また、それまで八段階に定められていた一刀流の修行段階を初目録、中目録、大目録の

三段階に簡略化した。

 そのため「他流では目録を取るまで三年かかるところを北辰一刀流では一年でもらえる」と評判になり、

多くの門弟を獲得している。当時門人三千余人といわれた。

 また背後に有力な庇護者を持てた事も大道場として隆盛する要因といえる。
士学館は土佐藩、玄武館は水戸藩、練兵館は水戸藩・長州藩と強い絆を持っていた。

 

地方の剣術道場
 江戸で市井の人々が道場の門を叩いたように地方でも農民たちが武術を求めて道場に集まっている。
 それは単なる芸事に留まらず、統制が緩んで治安が悪化する中、自身と一族を守るための

護身の剣を求めてのことだった。

 稽古は実戦本意となり、江戸の軽妙な剣術とは異質の剣が育った。"いも剣術"と揶揄された近藤勇の

試衛館の剣が斬り合いで無類の強さを発揮したのも当然といえるかもしれない。

 

幕末江戸の有名剣術道場

 

道場と道場主 流派と流祖 関係の深い土地と藩 主な剣客と特徴                    
--------------------------------------------------------------------------------------
玄武館    北辰一刀流   江戸・水戸 海保帆平   父親の北辰夢想流と浅利、中西一刀流を
千葉周作   千葉周作     水戸藩   山南敬助   学んで創始された剣。北辰とは北斗七星
                          藤堂平助   のこと。合理的な教導法により、多くの
                          清河八郎   門人を輩出。「瞬息心気力一致」を剣の
                          山岡鉄舟   要諦とする。瞬息とは剣を振り下ろす
                                         速度を上げること。

--------------------------------------------------------------------------------------
士学館   鏡新明智流   江戸     武市半平太  一刀流他の諸流をを学び開かれた流派。
桃井春蔵  桃井八郎左衛門 土佐藩   岡田以蔵   幕府講武所にも用いられた剣は品格
                          久保田晋蔵  第一とされ「位は桃井」といわれた。

--------------------------------------------------------------------------------------
練兵館    神道無念流   江戸     桂小五郎   特に長州藩士が多く学んだ実戦剣法。
斎藤弥九朗 福井兵右衛門 武州埼玉  品川弥二郎  荒稽古で鳴り
                        水戸藩   永倉新八   「自戒、自立」の精神を重んじた。
                        長州藩

--------------------------------------------------------------------------------------
伊庭道場   心形刀流    江戸    伊庭八郎   幕府講武所に大いに用いられた。
伊庭軍兵衛  伊庭是水軒  亀山藩   伊庭想太郎  技が多彩なのが特徴。
                               湊新八郎

--------------------------------------------------------------------------------------
男谷道場   直心影流    江戸    島田虎之助  防具による試合稽古を創始した。
男谷精一郎  山田平左衛門  上州沼田  勝海舟    幕臣の門人が多かった。
                               天野八郎   心胆の練磨を強調する重厚な剣。

--------------------------------------------------------------------------------------
千葉道場  北辰一刀流   江戸・水戸 坂本龍馬   千葉定吉(貞吉)は周作の実弟
千葉定吉   千葉周作    土佐藩   千葉重太郎

--------------------------------------------------------------------------------------
中西道場   一刀流・中西派 江戸    寺田五右衛門 竹刀による稽古をはやらせたことで有名。
中西忠太子啓 伊藤一刀斎          高柳又四郎  受けるとともに打つ、「切落し」という
                                    技が特徴。一刀流の真髄を継ぐ、合理的な
                                    剣法。寺田は千葉周作の兄弟子にあたり、
                                    当時最強との評判が高かった。

--------------------------------------------------------------------------------------
浅利塾    一刀流・中西派 小浜藩   山岡鉄舟
浅利又七朗義明 伊藤一刀斎   

--------------------------------------------------------------------------------------
撃剣館    神道無念流   水戸藩   岡田十松利貞
岡田十松吉利 福井兵右衛門   

--------------------------------------------------------------------------------------
試衛館    天然理心流   江戸    沖田総司   木刀による型稽古で、「根と力」をつくる。
近藤勇    近藤内蔵助   武州多摩 土方歳三   極意を「浮鳥の位」と称す。内容は後継者
                             井上源三郎  への口伝のため不明。
                                   「荒海の 水につれそふ 浮鳥の 沖の嵐に
                                   心動かず」という和歌がある。

--------------------------------------------------------------------------------------
岡田道場   柳剛流     江戸    松平上総介  幕末の関東で北辰一刀流とともに門人の
岡田惣右衛門         武州埼玉           数が多かった。敵のすねを切るのが特徴。
                  陸前               このけれんみのある剣法は戦場では有効
                                   だったようであるが一刀流系の熟達者には
                                   敗れている。
--------------------------------------------------------------------------------------

順不同・敬称略

 

【引用・参考】完本・池波正太郎・大成

 「鬼平犯科帳」・「剣客商売」・「仕掛人・藤枝梅安」「雲霧仁左衛門」

幕末大全、剣術道場(学習研究社)他
http://inforyoma.com/monogatari/kenjutu.htm

 

 

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