日本から見たサピエンス全史#10◉田中英道◉皇紀という日本時間〜西暦より660年早い日本の国づくり〜令和元年は皇紀2679年!
令和元年は皇紀2679年という。
日本人は「皇紀」という紀元をもっと大切に、誇りを持って扱うべきだろう。日本における国づくりの歴史観を、神武天皇以来の126代続く天皇と2679年という時間を持って、イメージしていただけますと幸いです。
<目次的な!>
・元号令和と西暦、そして皇紀という日本の時間
・皇紀と建国記念日 令和元年(2019年)は「皇紀2679年」
皇紀とは初代神武天皇即位紀元のこと
建国記念日2月11日は 神武天皇の即位日(旧暦1月1日)
・皇紀こそ日本の正暦
・126代 2679年続く日本の皇室
・辛酉(しんゆう)改元 十干十二支の60通りある暦の中の58番目の年が「辛酉」 辛酉の年には改元が行われる習わしが古来よりあった 辛酉は「かのととり」とも言う
・推古天皇の601年から1260年を引いた年が皇紀の1年となる(西暦で紀元前660年)
・“時間”と”進歩”の考え方
・時間とともに人類は進歩したと考えがちだが、基本的な体や脳の仕様はほとんど変わっていない
・頭が良し悪しではなく、自然に適合したかどうかで生き残ってきたのが人類
・自然に適合してきた生物の歴史
・人類の幸福を考える時代に
・芸術・智恵・人間性 ・手の礼賛、手が精神と連動、いつの世も肉体が主である
・人類はそれほど進歩していないことを自覚すべき
・紀元前5世紀に全ての智恵が出揃った
・プラトン、アリストテレス、孔子、釈迦、etc…
・ヤスパースが唱えた「枢軸時代」 紀元前500年頃より世界各地で起こった一大知的活動 人類が精神的に覚醒した時代のこと ※カール・ヤスパース(ドイツの哲学者・精神科医 1883年〜1969年)
・神武天皇を起源とする皇紀のこと
(16:30)
・※ 記紀(きき)→『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)のこと
・神武天皇以前には日高見国という日本があった
・高天原が雲の上(垂直移動・天国のような)にある考え方は西洋的か
・高天原は関東にあった日高見国のこと(水平移動)
・日本の祖先たちが神々となった
・縄文遺跡の数を表した地図 圧倒的に関東と東北に多い(「天孫降臨とは何であったのか?」より)
・なぜ関東に人々が多く住んでいたか→太陽を求めて東へ移住した
・縄文時代の日高見国は太陽信仰の希望高き国家 ・自分の仕事は自分が好きだからやる、というのは古代の時代から同じ人間の仕様
・芝山遺跡(千葉)へ行ってきました
・ユダヤ人の埴輪 ※ユダヤ人埴輪については「日本から見たサピエンス全史」#4で詳しく解説しています
・日本の起源を大和国に置く考えは文字と共に一般化した
・弥生時代以降、帰化人(渡来人・外国人)が入って来て、国家(大和国)をつくる必要が出て来た
・最初に大和(倭)の国を治めたのは饒速日命(にぎはやひのみこと)
・饒速日命(にぎはやひのみこと)の大和国統治(26:45)
神武東征に先立ち 天照大御神の命により河内国(大阪)を治めていた
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨(九州)とは別系統の天孫降臨といえる
・瓊瓊杵尊 ー 饒速日命(兄弟の可能性 / ほぼ同時期に天孫降臨した) ↓ 神武天皇(瓊瓊杵尊のひ孫 / 九州から東征し大和を統治)
・文献学ではなく形象学(フォルモロジー)
・橿原神宮(かしはらじんぐう) 奈良県橿原市の神社 御祭神は神武天皇と皇后
・時を超えて存在する日本の神々
・天照大御神は様々な時代に現れる、今もいる、それはまるで太陽のように。
・同じ名前を名乗っている同一家系の人物だった可能性もある
・「皇紀元年(紀元前六百六十年)の意味とは何か ー 紀元節を再考する」 田中英道論文(「日本国史学」第13号 / 2019年4月発売 / 啓文社書房 より)
・西暦よりも660年古い皇紀はもっと大切にすべきだ(たまたま日本でしか使われていないので廃れそうでもあるが)
・皇紀は日本の実際の天皇の歴史から来ている確かなもの
・民族の信仰により年号・暦があって良い
・日本の歴史と世界の歴史の接点
・天武天皇・・・第40代天皇(在位673年 - 686年)
天智天皇(第38代天皇・中大兄皇子)の弟、壬申の乱で皇位につく
※#8の回で詳しくお話しました
・天武天皇が行なった日本の形づくり
・それまでの歴史を以下に日本に同化していくかという大事業を行なった →古事記、日本書紀、神話、伊勢神宮、日本という国名、神社、寺、律令制など創設した 肉を食べるなとも言った 遊牧民族ではない日本民族は魚を食べ山菜を食べていた
・当時の天皇は象徴であると共に、政治的権力や権威も持っていた
・〜大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも〜
柿本人麻呂(万葉集 巻三 冒頭) ほか天皇を讃えた歌を多く詠んだ (意味:天皇は神にあらせられるので、雨雲の雷のさらに上に、仮の宮殿を造られているのだなぁ)
・天武天皇により象徴と権威が合わさった変わらぬ天皇像がつくられた
#皇紀 #神武天皇 #天武天皇
========================
田中英道「日本から見たサピエンス全史」
#10 収録日:2018年4月6日 42分
製作・著作:林原チャンネル
令和元年は皇紀2679年という。
日本人は「皇紀」という紀元をもっと大切に、誇りを持って扱うべきだろう。日本における国づくりの歴史観を、神武天皇以来の126代続く天皇と2679年という時間を持って、イメージしていただけますと幸いです。
<目次的な!>
・元号令和と西暦、そして皇紀という日本の時間
・皇紀と建国記念日 令和元年(2019年)は「皇紀2679年」
皇紀とは初代神武天皇即位紀元のこと
建国記念日2月11日は 神武天皇の即位日(旧暦1月1日)
・皇紀こそ日本の正暦
・126代 2679年続く日本の皇室
・辛酉(しんゆう)改元 十干十二支の60通りある暦の中の58番目の年が「辛酉」 辛酉の年には改元が行われる習わしが古来よりあった 辛酉は「かのととり」とも言う
・推古天皇の601年から1260年を引いた年が皇紀の1年となる(西暦で紀元前660年)
・“時間”と”進歩”の考え方
・時間とともに人類は進歩したと考えがちだが、基本的な体や脳の仕様はほとんど変わっていない
・頭が良し悪しではなく、自然に適合したかどうかで生き残ってきたのが人類
・自然に適合してきた生物の歴史
・人類の幸福を考える時代に
・芸術・智恵・人間性 ・手の礼賛、手が精神と連動、いつの世も肉体が主である
・人類はそれほど進歩していないことを自覚すべき
・紀元前5世紀に全ての智恵が出揃った
・プラトン、アリストテレス、孔子、釈迦、etc…
・ヤスパースが唱えた「枢軸時代」 紀元前500年頃より世界各地で起こった一大知的活動 人類が精神的に覚醒した時代のこと ※カール・ヤスパース(ドイツの哲学者・精神科医 1883年〜1969年)
・神武天皇を起源とする皇紀のこと
(16:30)
・※ 記紀(きき)→『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)のこと
・神武天皇以前には日高見国という日本があった
・高天原が雲の上(垂直移動・天国のような)にある考え方は西洋的か
・高天原は関東にあった日高見国のこと(水平移動)
・日本の祖先たちが神々となった
・縄文遺跡の数を表した地図 圧倒的に関東と東北に多い(「天孫降臨とは何であったのか?」より)
・なぜ関東に人々が多く住んでいたか→太陽を求めて東へ移住した
・縄文時代の日高見国は太陽信仰の希望高き国家 ・自分の仕事は自分が好きだからやる、というのは古代の時代から同じ人間の仕様
・芝山遺跡(千葉)へ行ってきました
・ユダヤ人の埴輪 ※ユダヤ人埴輪については「日本から見たサピエンス全史」#4で詳しく解説しています
・日本の起源を大和国に置く考えは文字と共に一般化した
・弥生時代以降、帰化人(渡来人・外国人)が入って来て、国家(大和国)をつくる必要が出て来た
・最初に大和(倭)の国を治めたのは饒速日命(にぎはやひのみこと)
・饒速日命(にぎはやひのみこと)の大和国統治(26:45)
神武東征に先立ち 天照大御神の命により河内国(大阪)を治めていた
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨(九州)とは別系統の天孫降臨といえる
・瓊瓊杵尊 ー 饒速日命(兄弟の可能性 / ほぼ同時期に天孫降臨した) ↓ 神武天皇(瓊瓊杵尊のひ孫 / 九州から東征し大和を統治)
・文献学ではなく形象学(フォルモロジー)
・橿原神宮(かしはらじんぐう) 奈良県橿原市の神社 御祭神は神武天皇と皇后
・時を超えて存在する日本の神々
・天照大御神は様々な時代に現れる、今もいる、それはまるで太陽のように。
・同じ名前を名乗っている同一家系の人物だった可能性もある
・「皇紀元年(紀元前六百六十年)の意味とは何か ー 紀元節を再考する」 田中英道論文(「日本国史学」第13号 / 2019年4月発売 / 啓文社書房 より)
・西暦よりも660年古い皇紀はもっと大切にすべきだ(たまたま日本でしか使われていないので廃れそうでもあるが)
・皇紀は日本の実際の天皇の歴史から来ている確かなもの
・民族の信仰により年号・暦があって良い
・日本の歴史と世界の歴史の接点
・天武天皇・・・第40代天皇(在位673年 - 686年)
天智天皇(第38代天皇・中大兄皇子)の弟、壬申の乱で皇位につく
※#8の回で詳しくお話しました
・天武天皇が行なった日本の形づくり
・それまでの歴史を以下に日本に同化していくかという大事業を行なった →古事記、日本書紀、神話、伊勢神宮、日本という国名、神社、寺、律令制など創設した 肉を食べるなとも言った 遊牧民族ではない日本民族は魚を食べ山菜を食べていた
・当時の天皇は象徴であると共に、政治的権力や権威も持っていた
・〜大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも〜
柿本人麻呂(万葉集 巻三 冒頭) ほか天皇を讃えた歌を多く詠んだ (意味:天皇は神にあらせられるので、雨雲の雷のさらに上に、仮の宮殿を造られているのだなぁ)
・天武天皇により象徴と権威が合わさった変わらぬ天皇像がつくられた
#皇紀 #神武天皇 #天武天皇
========================
田中英道「日本から見たサピエンス全史」
#10 収録日:2018年4月6日 42分
製作・著作:林原チャンネル