前にも勝手にコピペし、再び、作曲料について
吉松隆氏(近年ではNHK大河、平清盛の担当も)のHP、
「没前回想録・インタビュー」から、とても興味深かったので。
吉松氏、10代から、アルバイトもしつつ、ひたすら作曲をし、
苦節10年、28歳
やっと作曲家デビュー、やっと認められた自作が、3回演奏されることになり、
「これで、おかねがもらえるのか?報酬をもらえるとは考えたことがなかった」
そうで、もらうには、日本著作権協会へ入り、作品使用料を受けとれると知り、
三万払い入会したとあり。
この日本著作権~、JASRACはうちからすぐにあり、立派なビル。
どういう方が勤務しているのかと、いつも通ると見たりしている。
隣が古賀正雄音楽博物館、同じ敷地なのでかんけいあるのだろう。
3万はらったのなら、少しは期待はしますね。
ところが(^_^)
●は私のコメントです。
♪ジャスラックですね。
オーケストラのコンサートで作品が演奏されたわけですから、まあ、百万とか何十万とか言う事はないにしても、新人ピアニストがコンチェルトを弾いて出演する程度の、十数万というくらいの金額は出るかな…と漠然と期待しつつ、生まれて初めて銀行口座というものを作って(笑)、
それからワクワクしながら入金を待っていたんですが、半年ぐらいぜんぜん音沙汰がない。
そのうち、9ヶ月ほどしてようやく銀行に入金があったんですが、その金額が「7,800円」(笑)。
一瞬、その金額が何なのか、分かりませんでした。
だって、25年前とは言ってもコンサートのチケットはどれも4,500円とか5,000円とかしましたから、チケット2枚分にも足りない金額じゃないですか。
で、考えた末に、「そうか、これは使用料のうちの最初の何分の一かが振り込まれて来たに違いない」と思い付いて、著作権協会に電話をかけて訊いてみたんです。
「えーと、7,800円という金額が振り込まれてきたのですが、これは使用料のうちの最初の何分の一かなのでしょうか?」。そうしたら、「それで全額です」と言われて(笑)。
この時点でもかなりショックだったんですけど、かろうじて冷静を装って、「でも、3回演奏されているので、あとの2回分は…」と訊くと、「それで3回分です」。(笑)
●安い!驚き。81年頃の事で、チケット代はそれほど安くはなかったのに。
♪オーケストラ曲がNHKホールと東京文化会館で計3回演奏されて7,800円!。一回2,600円じゃないですか!。チケット1枚すら買えない!
その時は、もう頭の中が真っ白になって、呆然と立ち尽くしたまま、何週間か何もする気が起きませんでした。
確かに、まともな収入が得られると思って始めた仕事ではなかったし、曲を当てて儲けようなんて微塵も思っていなかったですよ。
でも、1円も委嘱料をもらわず9年もかかって書いて、オーケストラ全員のパート譜は数ヶ月かかって自分で全部書いて、現代音楽協会での初演の時は「作曲者の負担分」として百数十枚のチケット、トータル数十万円分を払って。
その艱難辛苦の末、「再演に足る佳曲である」ということになって、複数のオーケストラがコンサートで取り上げることになった。そういう曲を書き上げて、
その報酬が一回2,600円!?!?
これじゃあ、たとえ毎月どこかのオーケストラが必ず定期演奏会で必ず演奏する…というような名曲を書いても、月収2,600円、年収31,200円!。
世界中で毎日365日必ずどこかでオーケストラ曲が演奏されるような作曲家になっても、月収78,000円、年収は100万円にも届かない!。
もう、首をくくりたくなりました(笑)。
♪すみません。何と言ったらいいか、言葉がありません。ご愁傷さまです(笑)
~~日本の音楽著作権協会で集計されて、配分されますので、演奏されてから実際に作曲家が収入を得るのは、国内でも半年後くらい、海外では1年から数年後になることもあります。
いちばん印象に残っているのは、崩壊する前のソヴィエトで音楽祭が開かれて、そこで私のオーケストラ曲が演奏されて。
その著作権使用料が、確か3-4年たってから振り込まれてきたんですが、その金額が「7円」(笑)。
これはオーケストラ曲の最低金額ですが、ピアノ曲などは南米かどこかで演奏されて「4円」というのがありましたね。
今でも、平気で「44円」とか「6円」とかいう金額が来ますし。
この金額じゃあ銀行に振り込んだら手数料でマイナスになってしまうわけですよね
●1円単位の入金で、当時の彼の入金通帳画像がしっかり載っていて、
真実、きつい現実!でした。
現代音楽家で作曲だけで食べることが、どれほど大変か、よくわかる額で、
元々裕福な出か、親の援助があるか、妻が稼いでいる、他に安定した職があるなど、
がないと選択できない職業だと、初めてしった。
吉松氏はとくに裕福な家庭ではなく、サラリーマン家庭なので
冒険といってもいい選択で、
今、61歳だからこそ、親に10年音楽を~とたのみ
バイトをしつつ、何とかできた時代かと思う。
今はむりでしょ。
厳しい現実、でも好きならば。
トベナイスポーツ選手と同様か(^_^)
CDになるとまた別の収入が入るけれど、なかなかキツイ。
彼は、だからかずっとシングルです。
これを読み、考えたこと、作曲家については、佐村河内事件もあったし、
また書こうと思う。
吉松隆氏(近年ではNHK大河、平清盛の担当も)のHP、
「没前回想録・インタビュー」から、とても興味深かったので。
吉松氏、10代から、アルバイトもしつつ、ひたすら作曲をし、
苦節10年、28歳
やっと作曲家デビュー、やっと認められた自作が、3回演奏されることになり、
「これで、おかねがもらえるのか?報酬をもらえるとは考えたことがなかった」
そうで、もらうには、日本著作権協会へ入り、作品使用料を受けとれると知り、
三万払い入会したとあり。
この日本著作権~、JASRACはうちからすぐにあり、立派なビル。
どういう方が勤務しているのかと、いつも通ると見たりしている。
隣が古賀正雄音楽博物館、同じ敷地なのでかんけいあるのだろう。
3万はらったのなら、少しは期待はしますね。
ところが(^_^)
●は私のコメントです。
♪ジャスラックですね。
オーケストラのコンサートで作品が演奏されたわけですから、まあ、百万とか何十万とか言う事はないにしても、新人ピアニストがコンチェルトを弾いて出演する程度の、十数万というくらいの金額は出るかな…と漠然と期待しつつ、生まれて初めて銀行口座というものを作って(笑)、
それからワクワクしながら入金を待っていたんですが、半年ぐらいぜんぜん音沙汰がない。
そのうち、9ヶ月ほどしてようやく銀行に入金があったんですが、その金額が「7,800円」(笑)。
一瞬、その金額が何なのか、分かりませんでした。
だって、25年前とは言ってもコンサートのチケットはどれも4,500円とか5,000円とかしましたから、チケット2枚分にも足りない金額じゃないですか。
で、考えた末に、「そうか、これは使用料のうちの最初の何分の一かが振り込まれて来たに違いない」と思い付いて、著作権協会に電話をかけて訊いてみたんです。
「えーと、7,800円という金額が振り込まれてきたのですが、これは使用料のうちの最初の何分の一かなのでしょうか?」。そうしたら、「それで全額です」と言われて(笑)。
この時点でもかなりショックだったんですけど、かろうじて冷静を装って、「でも、3回演奏されているので、あとの2回分は…」と訊くと、「それで3回分です」。(笑)
●安い!驚き。81年頃の事で、チケット代はそれほど安くはなかったのに。
♪オーケストラ曲がNHKホールと東京文化会館で計3回演奏されて7,800円!。一回2,600円じゃないですか!。チケット1枚すら買えない!
その時は、もう頭の中が真っ白になって、呆然と立ち尽くしたまま、何週間か何もする気が起きませんでした。
確かに、まともな収入が得られると思って始めた仕事ではなかったし、曲を当てて儲けようなんて微塵も思っていなかったですよ。
でも、1円も委嘱料をもらわず9年もかかって書いて、オーケストラ全員のパート譜は数ヶ月かかって自分で全部書いて、現代音楽協会での初演の時は「作曲者の負担分」として百数十枚のチケット、トータル数十万円分を払って。
その艱難辛苦の末、「再演に足る佳曲である」ということになって、複数のオーケストラがコンサートで取り上げることになった。そういう曲を書き上げて、
その報酬が一回2,600円!?!?
これじゃあ、たとえ毎月どこかのオーケストラが必ず定期演奏会で必ず演奏する…というような名曲を書いても、月収2,600円、年収31,200円!。
世界中で毎日365日必ずどこかでオーケストラ曲が演奏されるような作曲家になっても、月収78,000円、年収は100万円にも届かない!。
もう、首をくくりたくなりました(笑)。
♪すみません。何と言ったらいいか、言葉がありません。ご愁傷さまです(笑)
~~日本の音楽著作権協会で集計されて、配分されますので、演奏されてから実際に作曲家が収入を得るのは、国内でも半年後くらい、海外では1年から数年後になることもあります。
いちばん印象に残っているのは、崩壊する前のソヴィエトで音楽祭が開かれて、そこで私のオーケストラ曲が演奏されて。
その著作権使用料が、確か3-4年たってから振り込まれてきたんですが、その金額が「7円」(笑)。
これはオーケストラ曲の最低金額ですが、ピアノ曲などは南米かどこかで演奏されて「4円」というのがありましたね。
今でも、平気で「44円」とか「6円」とかいう金額が来ますし。
この金額じゃあ銀行に振り込んだら手数料でマイナスになってしまうわけですよね
●1円単位の入金で、当時の彼の入金通帳画像がしっかり載っていて、
真実、きつい現実!でした。
現代音楽家で作曲だけで食べることが、どれほど大変か、よくわかる額で、
元々裕福な出か、親の援助があるか、妻が稼いでいる、他に安定した職があるなど、
がないと選択できない職業だと、初めてしった。
吉松氏はとくに裕福な家庭ではなく、サラリーマン家庭なので
冒険といってもいい選択で、
今、61歳だからこそ、親に10年音楽を~とたのみ
バイトをしつつ、何とかできた時代かと思う。
今はむりでしょ。
厳しい現実、でも好きならば。
トベナイスポーツ選手と同様か(^_^)
CDになるとまた別の収入が入るけれど、なかなかキツイ。
彼は、だからかずっとシングルです。
これを読み、考えたこと、作曲家については、佐村河内事件もあったし、
また書こうと思う。
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