散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

風立ちぬ

2013年08月06日 | ☆たまに娯楽

あれって、三分一湧水かなぁ?



三分一湧水は、山梨県北杜市にある。
あの武田信玄が、八ヶ岳から湧き出た湧水を、3つの村に均等に分け与えるため、湧出口の分水枡に三角石柱を築き、三方向に流水を分岐させたという伝説を持つところで、近隣諸国に恐れられた武田信玄が、領国の安定に腐心していたことが伺えるとともに、万民が平和に暮らすための知恵の象徴ともされているところだ。
二郎が菜穂子と落ち合う場所に、わざわざ湧水の湧き出る場所を描こうとしたのは、そんな意図があるんだろうか?

宮崎作品の中には、多くの示唆を含んだ情景や事柄が描かれている。
零戦の設計者堀越二郎と、堀辰雄の小説「風立ちぬ」がこの物語の着想のもとになっているという。
堀越二郎には、どんな過酷な状況であれ、自分の置かれた環境の中で、夢を追い続けることの大切さを投影させている。
そして、ベストセラーとなった恋愛小説「世界の中心で愛を叫ぶ」で、ヒロインが白血病を発病したことにより「生きる」ことの意味を持たせたように、当時、日本の国民病とまでいわれた結核を患ったヒロイン・菜穂子との出会いと別れ、それを消極的な“死”として、静かな情景の流れの中で描くことを小説「風立ちぬ」に倣っている。
そのことで、量産された零戦が飛びったったまま、1機も帰ることがなかったという積極的な“死”と、冒頭の関東大震災に仮託した運命的な“生”の描写の意味するものが、~生きねば~というメッセージへとつながっていくのだと、思った。

菜穂子の療養先として、高原のサナトリウム(療養所)がある。
しかし、当時、伝染病罹患者は「避病院」へと送られるのが常だった。
菜穂子の家は資産家であるから、療養所で余生を送ることができ、また、症状が軽いうちは、避暑地のホテルで静養していたことがうかがわれる。
そこで、ゾルゲが出てきたので驚いた。
劇中では、カストルプというドイツ人で、スタジオジブリで働いていたスティーブン・アルパート氏を描いたもので、二郎と菜穂子を結ぶキューピット役であり、そして世情を表現する重要な役であると解説されている。
世界的重大ニュースといわれるゾルゲ事件を知っている人は、そうそういない。
そして、カストルプがゾルゲだとは、どこにもコメントがない。
しかし、そうでなければ二郎が特高警察に追われる理由がない。

とにかく、ひとつひとつのエピソードにコメントをつけたら、きりがなくなってしまうので、ここで終わりにしよう。
とりあえず、ゾルゲのパスポートの画像を見つけたので、よく調べてみると、また何を意味させたかったのか?宮崎作品の奥深さがわかる。



PS:109で風立ちぬを見たのだけれど、映画鑑賞の注意に「フチ子ちゃん」が登場した。
ついにメジャーデビューという訳で、どれだけの人がフチ子を知っているのか?
109のガチャガチャは、フチ子がいっぱい。


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