
今から38年前、昭和61年とのギャップを「笑い」と「アンチテーゼ」にしたドラマ(ここをクリック!)がメタ坊的には、ウケてます。
脚本が宮藤官九郎さんなので、ファンにしてみれば「また、やってくれた」と思う訳ですが、一緒に見ていたカミさん曰く「当時のことを思い出すと、理不尽なことばかりだったので、腹立たしい!!」と第1話の途中、テレビの電源を切りました。
とはいえ今は、TVer.があるおかげで、しっかり、見逃し配信を見ることができるので欠かさず見てます。
不適切な表現があると決まってテロップが流れるので、令和の現代、あの発言はNGなんだということも学べます。
当初、違和感のあったミュージカルシーンも、どこで始まるのか、いつの間にか楽しみなカットになりました。
昭和61年の横浜といえば、みなとみらい21という名の大規模開発が始まり、当時の戸塚区が3分割して、戸塚区・栄区・泉区となって、そのあおりを受けて泉区に配置転換となりながら、健気にも相鉄いずみ野線の終点・いずみ野駅からテクテク30分歩いて勤務先に通ったことを思い出します。
今よりもず~っと、田園風景が広がり、牛・豚・鶏の声やら臭いやらがどこへ行っても漂っていました。
しかし、バブル時代の到来を感じさせるかのように、いろんなものがイケイケで、チョメチョメだったなぁと、懐かしくもあり、恥じてもいます。
不適切といえば、いとこの結婚式で、新郎の父親、メタ坊のおじさんが、披露宴の余興に積極的に参加し、ぴんから兄弟の「女のみち」を熱唱したことを思い出します。
何ごとにも、嫌な顔をせずに、いつも冗談を言って笑い飛ばしていたおじさんでしたが、なぜあんな人格が形成されたのか聞いておけばよかったなぁ。
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