昨年、元旦に襲った能登半島地震から1年が経ちました。
例年なら、朝起きて、顔を合わせる人ごとに「あけましておめでとうございます」とあいさつをしたものですが、今年ばかりは素直に祝えない気がして「ども!」で済ましています。
歳を取るというのは、そのような記憶の積み重ねがあるので、つい口が重くなってしまうんでしょうね?
じぃ~っとその報道を、無意識に正座して見ていたら、コーヒーカップを片付けようと立ち上がった際、足がしびれてもつれてしまい、思いっきり転倒しました。
歳を取るというのは、そのような記憶の積み重ねがあるので、つい口が重くなってしまうんでしょうね?
じぃ~っとその報道を、無意識に正座して見ていたら、コーヒーカップを片付けようと立ち上がった際、足がしびれてもつれてしまい、思いっきり転倒しました。
骨折は免れたものの、たぶん捻挫だと思いますが、右と左の足首の太さが違っています。
高齢者の屋内転倒事故が多発しているとのこと、禅では無意識になることが「悟り」だといわれていますが、新年早々、意識しないと事故ることを悟りました。
一昨年は、転倒予防のため杖を突いて散歩に行ったのですが、
我が家に帰ってきたとき、
玄関前で自分の杖に躓いて転んでしまいました。
よく登山をしていた若い頃は、
ストックやピッケルに躓くなんてことはなかったのに…
「今を知るには、過去を知ること」といわれたおかげで、疑問に思うと歴史をひもときます。
逆に体力や知力に関しては「今を知り、そこでできることをやり、過去できたことに固執しない」ともいわれて、己の今と相談しながら日々過ごしています。
また「歳を取ったらやりたいことは、歳を取るとできなくなる」と教えられ、歳を取らないうちにやってしまったことが多々あるので、おかげで、のんびり暮らすことが増えた気がします。