天気も良く2月とは思えない暖かさだったので今年第二弾の花行脚に行く事に!















👆イメージ写真です




候補は梅か若しくは水仙と言うことになりもうシーズンも終わりに差し掛かっている水仙を観に行くことにしました。
大阪府下にも隠れたスポットがあって柏原水仙郷と千早赤阪村の水仙の丘がその候補となりました。
大阪府唯一の村である千早赤阪村にとても惹かれたのでこちらに行くことにしました。
家からは高速を使って1時間半位なので丁度いいドライブコースでもあります。
そこで千早赤阪村について調べてみました。


総人口: 4,839人(推計人口2020年11月1日)
道もそれほど渋滞していなかったので予定通りの時間で日本一可愛い道の駅ちはやあかさかに到着しました。

こんな可愛いロゴもあるみたいです
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ところが道の駅に着いても辺りに水仙の花が咲いている所が見当たらないので少し焦りました。
ヤバイ!水仙が見当たらないぞ!
不安になって道の駅の方に水仙の丘は何処にあるかを尋ねると
この道の駅から徒歩で3〜5分程離れた所にあって盛りは過ぎたけどまだしっかり咲いていますよ
と教えてくれました。
言われた通り道の駅の前の道を来た方向に戻って歩いて行くと少し先にお目当ての水仙の丘を発見しました‼️
確かに最盛期は済んでしまっている様でしたがそれでもまだまだ水仙の花は頑張って咲いていてくれました。
お〜!水仙が咲いてるぞ!



👆この階段が結構怖かった。





そして再び道の駅に戻って行くと道路にこんなマンホールの蓋を発見しました。

ここは楠木正成公の生誕の地としても有名だったんですね。

👆イメージ写真です
そこで楠木正成公のことをググってみました。
元弘の乱(1331年 - 1333年)で後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携して、千早城の戦いで大規模な幕軍を千早城に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、鎌倉幕府打倒に貢献した。また、建武の新政下で、最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、足利尊氏らとともに天皇を助けた。延元の乱での尊氏反抗後は、新田義貞、北畑顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。
南北朝時代・戦国時代・江戸時代を通じて日本史上最大の軍事的天才との評価を一貫して受け、「三徳兼備」「多聞天王の化生(けしょう)」「軍神の化身」「日本開闢以来の名将」と称された。
と出ていました。
ゴメンなさい🙇♂️楠木正成公の名前は勿論知っていたけど詳しいことは知りませんでした。太平記も読んでません。
という事でちょっぴり反省しました。
千早城の跡

👆イメージ写真です

👆イメージ写真です
そしてやっとのこと道の駅に戻りそこでランチをする事にしました。
🍛「村まるごと!!棚田カレー」🍛


このカレーの説明は以下の通りです。
季節の野菜で、村の棚田や村の米で金剛山、サラダで緑豊かな森を、1皿で「千早赤阪村」を表現しています!
村の米で作った「甘酒」が隠し味♪ 11種類ものスパイスをつかった本格カレーです。価格は金剛山の標高にちなんで1,125円(込)お好きなドリンク付き!
そしてとても暖かくて気持ちが良かったので外で食べることにしました。
本当に2月とは思えないくらいの暖かさでとても気持ちよくカレーを食べることが出来ました。
カレー自体はそれ程辛く無はありませんでした。辛さを足すための辛みパウダーを付けてくれたので後で足してみました。
これで少しパンチが効いてきましたね。
この村で採れた野菜は確かに新鮮でパリパリしていて美味しかったです。
千早赤阪村はこの棚田が有名なのを後で知りました。

👆イメージ写真です
この棚田の風景は一度見てみたい気がします。
という訳で今年二発目の花行脚は無事終了しました!
天皇誕生日で祝日の今日も楽しくお過ごしください。
今日も一日よろしくお願いします🙇♂️