虐待を生きぬいて~連鎖を切りたいと願って生きてきた人生と快復~

虐待のサバイバーからガーディナーへ。


大きな樹の根を見つけた。
どんな暴力からも「逃げていい」って伝えたい。

心に刺さった毒の針を抜く

2013-02-16 11:55:18 | michieからkasumiへ癒し系活動
私はいろんなものを持ちすぎていて、それをおっことさないようにといつも緊張していた。

大切なものはどれで、必要のないものはどれなのかも、わからないまま、いつもいつも持ち続けていた。

そして、本当の大切なものを失うかもしれないという危機感にもふれることなく、ただただ、持ち続けていた。

CAPの研修の時に「大切なものは、しまうところがありますよね」と講師が言った時に、私の大切なものをしまう場所ってどこだろう?と思った。

そして考えた結果が「ない」だった。

どれもが大切でどれもが必要がないということになるのかなと、10年月日が過ぎて思う今。

見極める力がなかったんだと、思う今。

ただ、守りたいもの、貫きたいことはあったなと、その軸はずれない。

目の前にいる困っている人には手を差し伸べること。

できるだけ自分に嘘をつかないこと。


そして、年末から残念なことに、関わりたくないなぁ・・・と思う人が数人はっきりとしてきたこと。

自分がしてきた仕事の経験から考えても、本人が納得したこと以外は、前には進めない。

だから心配だと思っていても、手を出したりはしてはいけない。


この数人と、少しずつ距離をとってきたことで、私の中に入り込んでいた感情が、なんとなく浄化してきているように思うのだ。

どんなに格好いいプランをもっていても、努力がないものには、実りがない。

どんなに取り繕っていても、嘘の塊であれば、いずれ仮面はボロボロになる。

どんなにハッタリをはっても、一人では成し得ない。


私の体に染み込んでいた親からもらった毒。

実の親子だって、毒にも薬にもなる。

その毒がすっかり消えてきたことでできるようになったこと、そして、その毒に似たもの、匂いを持っている人と、関わることによって、また私の中に毒が回ってくること。

距離を取るって難しいことの一つではあるけれど、とても大切だなと、思う。

共依存、ストーカー、アルコール中毒、人として、境界線がなくなる、もしくは持ち合わせていないと他人なのか、自分なのかわからないなり、彷徨う。



人のためにばかり考えていたら、自分の中の自分が怒り出す。


「違うって」と。


それが体調不良になっていたり、心が痛くなる。

自分

大切にしよう。


それが毒を自分から浄化させる方法なのだ。

自分にゆとりがないと、人のためには動けない。

2013年が始まってから、キラキラオーラの人といっぱいであっている。

それが、私自身への自信に繋がり、一日、一日がとても大切だと感じる。

生きてきてよかったの自分に繋がる。


いきなりは、無理だけれどゆっくり、ゆっくり

毒をもった針を抜いていく。

それが今私に必要なことだと、思う。


「命あってこその喜び」

もう聴く機会はないかもしれないけれど、私の中の信念のようなものだから、消えたわけじゃない。

でも、一人で行けると思うから。

「優しさの種まき」
曲がついてよかったねって思う。(笑)

「虹」

小さい頃の想いと、大人になってからの想いの融合だったね。

この曲からピアノのアレンジが変化してきたんだったような・・・。
ありがとう。



これも、別な思い出の箱の中にいれよう。
そして、いつでも開けるように、鍵をかけて私が開けたい時に、開けることにしよう。

いままでありがとう、これからもありがとう。

そして、今はちょっと休憩。(*^^)v


新しい道へ進みます。


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