南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

南の島の誕生日 シェアーについて考える

2007年10月16日 | ミクロネシアで思うこと
前にも幼稚園の誕生会のことについては、書いたような気がしますが、改めて。
今日は園児のイザベルラの誕生日。今年になって子どもの誕生日はほとんど、土曜か日曜で幼稚園がある日ではありませんでした。

この南の島では、誕生日当日のみが誕生日であって、日本のように誕生日が日曜日だから、月曜日におめでとうって言ったりはしません。

誕生日なのに幼稚園が始まる時間に来ないので「おいおい欠席かあ」って思っていたら、
少しおめかしして登場。(日本人がぱっと見ても分からないかも?)

昼の給食が終わると、ケーキとアイスクリームが出てきました。
もちろん、イザベラのお家の方が買ってきてくれたものです。

日本では、個人的なお祝いを幼稚園でするなんて絶対ご法度。
それはみんなが平等にするためには必要不可欠なこと。

でも、この島に来ていると、どっちが平等なのかな?って考えさせられます。
確かにお祝いをしてもらうのはイザベラだけど、子どもたちはみんなケーキとアイスクリームが食べられて大喜び。別にイザベラが特別扱いされるわけではなく、みんな美味しいものが食べられることに大喜び。

この島で家に一緒に住む家族の誕生日には何度も遭遇。

そのたびに近所の子どもたちが集まってきて、ケーキを食べるために列を作ることも多々あります。それがたとえ家族のお母さんであっても、ケーキは用意されて、近所の子どもというか、誕生日がこの家であると聞きつけた子どもは、食べられるという感じでしょうか?
いくら寛容な南の島でも、私の家の家族の誕生日だと、私の家の子どもと全く仲良くないと難しいですが。でもこの間は、僕の元生徒のアブサレムは、僕の家の子どもの誰とも仲良くないというか友達でもないのに、昼ごはん食べていきましたが・・・

そして誕生日を通して感じることは、この島のシェアーの精神。
確かにこの島ではシェアーという名の下、勝手に人のものを使っても返さない、貰ってしまうっていう、それはシェアーって言わないよねってこともありますが。
この島に住んで、日本人は(特に自分は)ケチだなって思います。
凄く自分の物と人のものを区別して、明確にする。
もちろん、物質社会では当たり前だし、将来のことを考えて貯金する、蓄えるってこともとても大切。

ここの島の人は、そんな先のことを考えないで、あればあるだけお金を使ってしまうのはちょっと困りものだけど、こうして誕生日に見られるシェアーの精神って僕らももっと見習うべきではないかなって?

自分の生活を豊かにする、それが経済発展や勤労の源だけど、それだけではちょっと寂しいかな?って感じます。

もう少し、僕たち日本人もシェアーをする考えを持つことができれば、もっと社会も心も豊かになって、変な競争意識も薄れるような。
もちろん、資本主義社会ですから、競争心がなくなってしまっては大変なのですが。


お金って凄く大切。でもそれって少々増えても、生活が激変するわけではないような。

年収が500万でも1000万でも、食べる肉の値段が違ったり、乗る車の種類がかわったりするだけで、生活そのものってあまり変わりないのではって?
もちろん、僕もできるだけ給料がよければいいと思うし、お金を毎月貯金して生きているのですが。

こんな話を聞いたことがあります。
一生金持ちな人は、一生貧乏な人と一緒だと。
つまり、お金がない人がお金を持つようになって、こんなことができるようになったと感じるのであって、ずっと生まれたときからお金を持ち続けている人は、お金のありがたみ、お金が増えた喜びがわからないから、貧乏なのと一緒だと。

もちろん、生きるのにも困るほどの貧困は、また別の問題があるので、一緒には語ることができませんが。

話がいろいろなところに行ってしまいましたが、子どもたちと一緒に分け隔てなくケーキを食べて、とても幸せな一日でした。

最近、凄く美味しいものを食べるとおなかの調子が悪くなるのは何故?
お腹がローカルの生活に馴染んで、日本食とか美味しいものを連続して食べるとどうやらローカル仕様のお腹がびっくりするみたい。
嬉しいような、悲しいような。
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南の島のサイドワーク その1

2007年10月15日 | ミクロネシアの生活
僕の協力隊での職種はもちろん幼稚園教諭。
なので、この島で幼児教育をすること。つまり幼稚園で働き、子どもに接しながら、ローカル教員に技術移転をおこなうこと。

でもそれだけではなく、昨年は小学校隊員や教育局配属の隊員と一緒になって始めたのが算数ワークショップ。そのきっかけは、この島の教育局の算数スペシャリストが日本に研修にいき、その成果を協力隊員と協力して発揮するというもので、それが僕たちが今ローカル教員に行っているオープンクラス型の算数ワークショップにつながっています。

昨年はこの島で4回、ヤップという同じ国でありながら距離にして2000キロ以上離れていて、一度グアムに入国しないその島までいけないという遥か遠い同じ国の島にもワークショップに行きました。

そして今年度も引き続きワークショップを行おうと準備中。

今日も隊員3人で、来週行うオープンクラスの先生と僕たちが作ったフラクションバー(分数の棒)を持参し、どのように授業に組み込んでいくか、話し合いました。

僕たちは当日のオープンクラスの姿以上にこの準備も含む、授業が作り出される過程を大切にしたいと考えています。だから1回1回丁寧に打ち合わせをして、僕たちの考えとローカル教員の考えを一致させてから授業に臨む必要があります。

このワークショップで感じることは、こうして自分の普段いる職場から出ることで、いろいろな人と出会う機会が持てること。
なかなか、僕の村では教育に対してモチベーションの高い先生には出会いにくけど、外に出るといろいろな素敵な人を発掘?することができます。

そして、隊員が一人ではできないことを3人が力を合わせることで3倍以上の力になることももちろん魅力。

活動プラスアルファーなのでもちろん、楽チンとばかりは言えませんが、せっかくこの島に来たんだから、自分の与えられた仕事だけでなく、自分から積極的に仕事を探していくことが大切だと思います。

お蔭様で、昨年のワークショップから近隣の国の隊員が集まる広域研修を開催するまでに至り、実りあるものになってきています。
ただたくさん仕事をするだけでは、空回りになるかもしれませんが、自分のフィールドを広げ、可能性を広げることは大切です。

日本の仕事では、自分の与えられた仕事の領域から出て、独自に活動するのは難しいのですが、それが自分の気持ちひとつでできるのが、この協力隊なのかもしれません。

仲間の隊員ともそしてローカル教員とも力を合わせること。自分ひとりではなく、仲間がいるんだ、そして自分が日々行っていることも、いつか実ることがくるんだという勇気をもらうことができます。
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南の島での誓い いつも自分に負けている人は何もつかめない

2007年10月14日 | ミクロネシアで思うこと
久しぶりにMONKEY MAJIKを聞いた。
曲は「around the world」
日本を出発する少し前に孫悟空のテーマで大ヒットしていた曲で大のお気に入りでした。

そして、この歌をくちづさみながら、お別れ遠足で動物園に行ったなあ。
子どもたちもドラマの孫悟空をみていた子はこの歌を知っていて
子ども達に「先生この歌すきなん?」って聞かれて
僕は「先生この歌の around the world いつでも自分にaround the world いつ負けている人は around the world 何もつかめないって歌詞が大好きなんだ」って話したのを思い出しました。

本当に「いつでも自分に負けている人は なにもつかめない」って真実。

この南の島に来て、「いつでも自分に負けていないかな」って改めて考えてみると。

日本で子どもたちとあんなに楽しかった生活、他にも日本に大切なものをいっぱい残してきてまで、協力隊に参加して、いま南の島にいる自分がいる。

深刻にではなく、自分を振り返ってみてどうだろう?
自分にいつも負けてないかなって?

正直、南の島でこの島に馴染みながら、いや馴染みすぎて、自分に非常に優しい、いや自分に非常に甘い自分が存在しているのも事実。

うまくいかなくても、しょうがないか国が違うからなあ、価値観違うからなあ、環境違うからなあって。

もちろん(こんなところで自信もって言っても困るけど)活動自体はうまくいかないことだらけ。

今まで自分が日本で信じてきた幼児教育なんてこの島ではなかなか受け入れてもらえない。

全く違う次元で幼児教育が展開されているし、それはそれでこの島には必要なことなんだとも思う。

自分でいいと思っていても、この島の誰もが望んでいないことを独りよがりでしても何も生まれないし、自己満足で終わってしまうだけだから。

でも、この南の島に来て、何もつかめなかったら、本当に自分にいつも負けている人間になってしまうからね。

あと5ヶ月と少し。時間は確実に短くなっていくけど、

日本に帰ることも楽しみだし、この島にいることも楽しい。
世界で2つ住むところが選べるなら、もちろん日本とこのポンペイ。

でも僕の生まれた国、最も愛すべき国、大好きな人が待っているところは日本のはず。

年老いた両親の姿に目をつぶって、子育てに忙しい姉貴に「2年間頼んだよ」ってお願いして、出てきた日本。

大変なこともたくさんあるけど、子どもと一緒にいることが大好きで、人間教育をしている、その子どもの人生の進路相談をしているんだって意気込みでしてきた神様が僕にあたえてくれた仕事である幼稚園教諭の仕事。
その使命感をいつも僕に与えてくれる子どもたちとの素敵な出会い。
僕を支えてくれる子どもたちとご家庭の方。
そして僕が仕事をしていて躓いたときにいつも助けてくれた職場の仲間。
思い出してみると他にもたくさん
この島に来るために、結果的になげだしてしまったようになったNGO。
出発間際ばたばたして、何も告げずに来てしまった開設以来続けてきた震災遺児施設の子どもたち。
一緒に国語教育研究をした小学校の先生。

数えだしたらきりがないからもうこれくらいにしておきます。

でも南の島に旅立つことになって、改めて再会できたこともあった。

送別会を開いてくれた、もう大きくなった元園児達。
職場を訪ねてきてくれて昼ごはんを一緒にご飯を食べた元園児。
元園児のおばあさんが和紙で紙人形を作ってくれた。
出発前に駅で急に僕を呼び止めてくれた元園児のお父さんまで。

大切な人がいっぱいまっている日本に帰るときには、たくさんのお土産を手にして笑顔で帰りたい。


いつでも自分に負けず、たくさんの物をつかんで日本に帰りたい
いや帰らなければね。

それが、2年間まってくれていた人たち、笑顔で僕を送り出してくれた人への何よりのお土産になるはずだから。

かなり、気恥ずかしい文章だけど、こうして書いておかないとすぐに自分に負けしてしまう人になってしまいそうなので。あえて恥を忍んで。
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南の島から日本への旅立ち

2007年10月13日 | ミクロネシアの小学校
今日は、日本の僕が勤めて幼稚園では運動会が開かれているはず。

きっと子どもたちも自分の持っている力を精一杯出していることだろうと思います。

そして、職場の仲間である職員も子どもの力がすべて発揮できるように、最大限の努力をしてきた成果が実ることを願っています。

こちらの島では、今日は昨年の算数ワークショップでローカル教員として初めてオープンクラスを開き、また広域研修(ミクロネシア・マーシャル・パラオ3国のJOCVとカウンターパート(職場の同僚で隊員が技術移転をする相手)が開催された時もオープンクラスの授業をしてくれるなど大活躍だったトリニティーナ先生が日本のJICAの研修で今日日本へと旅立ちました。
彼女は親戚のいるグアムまでは行ったことがあるけど、それ以外は初めて。
ポンペイ人にとってグアムやハワイは外国とは言えないところがあるので、ある意味初海外旅行。

僕たちは日本でたくさんのことが学べるよ、日本はとても広いよ、北海道にいくので雪が見られるからねなど、前向きなことを連発していましたが、彼女は不安でいっぱい。

そして空港まで行き、彼女と明るく別れる僕らとは対照的に、彼女の家族と彼女の別れは悲しみいっぱい。

よく考えれば、この島の人が日本という親戚で誰も行ったことがないところに一人で出かけていくことなんて、不安がいっぱい、ちょっと大げさに言えば宇宙に行くような感覚なのかも。

でも彼女と始めてあったのは、約一年前。とても賢い人で、一目見たときからこの人はできると思ったけど、人前に出るのが好きではなかったし、こつこつ自分のすべきことをこなしていくタイプの人だった。でもオープンクラスを行ったり、広域研修に参加したり、そしてこのJICAの日本研修プログラムに参加したりとどんどん積極的になってきている。
そして間違いなく、これからのこの島の小学校教育のリーダー的存在として重きをなしていく人だと思います。

そんな彼女の成長に一緒にいられたこと、その機会を作ることに協力できたことは、大きな喜びです。

南の島の人は、モチベーションが低いから僕たちがいくら頑張ってもなかなか動いてくれないって思いがちだけど、決してみんながそんなわけじゃない。

僕たちがたくさんの出会いを求めていく中で、きらりと光る人が必ずいる。
自分を精一杯にいき、この島のため、目の前の子どもの為に頑張っている人が。

残り少ない期間ですが、そんな輝いている人と出会うためにどんどん活動していきたいし、誰もがそんな輝けるチャンスがもっていることを微力ながら伝えていきたい。
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南の島のホフトファミリー最大の危機?

2007年10月12日 | ミクロネシアの生活
一昨日から僕のホストファミリーのお母さんはうきうき。
僕はその話を聞いてから、ドキドキです。

その話とは、お母さんがハワイにいくとのこと。
もちろん帰ってきますが、ハワイに住む娘さんが今度出産することになって、その手伝いにいくとのこと。
お母さんは、遠く離れた島に住む娘に会えること、その娘さんには既に子どもがいて(お母さんの初孫)その孫に会うのもきっと楽しみなのだと思います。

この6月に娘さんたちはハワイから遊びに来て、1ヶ月くらい一緒に過ごしたので。
思い起こせば、そのときお腹が大きくて、前の出産のときもお母さんが手伝いにいったって、話していたのを思い出しました。

お母さんは明るく「大丈夫、私はいないけど、娘たちがいるから」って。

高校生の娘さんが一人と日本で言えば中学2年生の娘さんが2人と小学3年生の男の子と高校生の男の子。

お父さんはいるけど、サカオによくでかけていないし、仕事は船乗りで長期留守もいいしなあ。

今日も夕食時におじいさんが喉を詰まらせて、息苦しくなって顔を真っ赤にする場面があって、娘(お祖父さんの孫)は平然としているから、やっぱりおじいさんを一人にしておけないなあって。

これから長期の缶詰生活&洗物はまかしとけ&時には美味しい日本食をもっと頻繁に作ろう計画の開始が確実な状況です。

今まで家族が急に変わったり(お祖父さんの世話をする家族)しましたが、今の家族に落ち着いて、安心していた矢先にこのハプニング。

今日空港に向かう前にお母さんに「Have a nice trip」って声をかけると、笑顔で笑ってくれました。

今までお母さんには、本当にお世話になったので、留守中は任しておいてください。

今までもできるだけ家族の洗物はしてきましたが、これからは洗物はすべてする覚悟はできていますから。
料理も今まで日本の美味しさや本物のこだわりといった質を重視してきましたが、そんな無意味な自己満足な質より回数と量が求められるかも・・・

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南の島の残業

2007年10月11日 | ミクロネシアの小学校
きょうは、学校の校舎から1教室だけ夕方になっても煌々と明かりがついている部屋が。

日本では当たり前の光景ですが、この南の島では皆無、いや未知の世界かもしれません。

今日は算数ワークショップに参加している隊員があつまって、次回行うローカル教員の授業に必要な教材を作りました。

一人ではなかなかはかどらない作業も3人寄ればなんとかで、なんとか3時間くらいかけて作ることができました。

最初は要領を得ませんでしたが、だんだん作っていくうちに要領を得てこれなら次回はもっとスピィーディーにできるかも。

作ったものは、フラクションバーといって分数を視覚的に子どもに分かってもらうためのものです。
今回は35名くらいいるクラスをグループで分けて、グループ作業を中心に行う予定なので、グループ分を作りました。
正直、そんなに難しいものではないですが、やはり時間がかかるので、ローカルの先生がどこまでその労を惜しまずにしてくれるかは、わかりませんが、まずやってみようです。

この島のワークショップのローカル教員の要望を聞くと、それワークショップにでてすぐに授業ができるものがいいとのこと。

日本だったら、そんな虫いいことあるかーって感じですが、やはりお国柄、労を惜しまないのは難しいようなので。

でも誰かがそれに興味を持ってくれたら、同じものを作れなくてもそういう視覚を通して、子どもに教えて、子どもが数的なイメージを持つことがいかに大切かを伝えていくにはいろいろな手段を用いていくしかないと思います。

残業をした後、日本ならこんな時間まで仕事をするのは、あたりまえなんだけどなあと思いながら、家路に着きました。

家族も「今まで何していたの?」と心配してくれていました。

あと数ヶ月したら、残業しながら南の島の生活が懐かしくなることでしょう。
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南の島の職員会議事情

2007年10月10日 | ミクロネシアの小学校
僕の働いている幼稚園と併設している小学校(僕も幼稚園職員ですが、同時に小学校にも所属していてその一員なのですが)では、職員会議が頻繁に開かれます。
それも子どもが帰ってからではなく、職員会議をするために子どもの授業を午前中だけで切り上げたり、10時15分~10時30分の子どもの休憩時間に行われます。
今日も校長が休憩時間に職員会議をすると朝礼で現地語で話していたのがききとれたのですが、今子どもが自由に遊んでいて、順番にブランコに乗れるようになってくるなど、遊びの中でルールが守れてきていること、また子どもだけにするとトラブルが起こって困ってしまうことがあるので、職員会議には出ずに子どもと過ごしました。

この島では休憩時間は子どもだけでなく、先生も休憩時間なので(ローカル教員はそれ以外にもいっぱい休憩時間がありますが)子どもの遊びに一緒にいるということは、ありません。

そして今日もいつものように会議は長引き、小学生が騒ぎ出したので、このまま遊んでいてたら幼稚園の子どもたちも巻き込まれてるし、長時間遊びすぎると日差しがきつく疲れるので、子どもを集めて部屋に入って、授業を始めました。
10以上経ってカウンターパートが帰ってきて、私が授業をしている様子を見て、「ああ樹上しているんだ」と安心して、自分の休憩時間に入ってしまいましたが。

もっと子どものことを中心に考えて、教育現場が動けるようになってほしい。でもそれを言葉で説明してもなかなか伝わらない。だから無意味なのかもしれないけど、体で行動でそのことを示していくしかないと思っています。
なかなかその思いを届けるには距離がありすぎるかもしれませんが、諦めず。

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自分は無力だけど、できることはあるはず。

2007年10月09日 | ミクロネシアの生活
この島の現実。

今日ワークショップ会場でいつも幼稚園におばあさんらしき人と来る子どもがいます。

この島ではお母さんが働きに出て、おばあさんが子どもの面倒を見るのは珍しくないので、気に留めていなかったですが、ワークショップ会場でおばあさんが連れてきた子どもとウクレレで歌を歌っていたらおばあさんが「この子のお母さんはアメリカに働きに言っているのよ、この間電話であなたが教えてくれたその歌を嬉しそうに電話で歌っていてお母さんも喜んでいたよ、他に覚えた曜日のこととかもね」と教えてくれました。

この島にはたくさんの方が近辺にグアムやハワイ、またアメリカ本土に働きに行きます。

以前紹介したように家族みんなで移住することもあるけど、母親だけというケースもあります。ちなみにこの島では、若くて結婚せずに赤ちゃんを身ごもりシングルマザーになることが多々あります。なので、子どもの為に?親のためにかは、分かりかねますがいい働き口を求めてアメリカに行くこともよくあることです。

この島の人は、アメリカで働くためにビザを取る必要がないので、親戚などがアメリカにいれば、簡単に働くことができるのもその要因のひとつ。

この問題は、日本から訪れている僕にとってはかなり深刻な問題です。

日本ではお母さんが子どもを置いて、外国にいくなんてことは、考えられないから。

日本人的に考えれば、一緒に子どもといてあげてほしい。この島は母親と子どもが暮らしていくことができる島だから。

でも、やはり人は一度経済発展、消費社会に浸かると、そこからは抜け出せないのかな?って。

日本でも子どものため、親のため?って首を傾げてしまうこともありますが、やはりこの島にも同じように首を傾げてしまう、いや首をかしげることしかできない問題があります。

日本でも海外でもこういう問題に直面すると自分は無力だなって改めて思います。

そして僕にできることは、そんな子どもたちの笑顔をいっぱい作ることだなって。
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幼稚園はお休み

2007年10月09日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は僕の幼稚園はお休み。というか正確に言うと僕の村だけ幼稚園がお休み。

なぜならECE(この島の幼稚園)が主催する保護者教育(健康教育)のワークショップが開かれるため。

僕として、それは先生には関係ないというか、子どもを保育しながらできるでしょって感じですが、そうともいかないみたいで、先生も出席しました。

今日は算数ワークショップという僕のもうひとつの活動とダブルブッキングだったので、朝ワークショップ会場に行き、用意をして、そのあとにすぐに今回算数ワークショップを行う小学校の先生の授業を見て、そのご打ち合わせをして、早めに終わったので、コロニアで昼食をとり、また村のワークショップ会場へと帰りました。

長時間のローカル語攻めには疲れましたが、ワークショップが終わるとこの島特有の香水をかけられて、その後にあった日本人から「香水つけているの?」って言われて、困りました。

今までコロンなんてつけたのは、国語教育の教育書を共同著で出版したときに編集者の先生から出版記念に買ってもらったのをつけたくらいしかないので。

そして夜は、算数ワークショップで最初にこの島のローカル教員としてオープンクラスをした先生が日本に研修に行くことになったので、そのお祝いをかねてご飯を食べに行きました。
昼も夜も外食。かなりリッチな気分でした。
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南の人が美味しいと思わない日本食って

2007年10月08日 | ミクロネシアの生活
今日は、撃沈覚悟の日本食つくり。
というか、今日の家族への日本食切っただけ。
僕が好きな日本食の3本の指に入るくらい好きで、夏は毎日のように欠かさず食べていたもの。
それは冷奴。

作る前からこれは絶対この南の島の人は嫌いだろうなあって思いましたが、まあ一食くらい僕の好きな食べ物に付き合ってもらおうかな?って。

案の定、おじいさんや大人の人は食べてくれたけど、子どもはあまり食べませんでした。

保険としてさばの味噌漬けの缶詰を買っておいてよかった。
僕は家族が遠慮がちに食べている横で、漠々食べていました。

ちゃんとねぎと生姜と鰹節も用意して、本物らしく、水に凍りも入れて完璧だったけど、やはり、南の島の人の味覚には合わなかったようです。

最近、ちょっと渋い日本食が続いているから、ここらでちょっと子どもも喜ぶ日本食というか洋食というか、こってり系のものを作って、僕の料理を見直してもらわないとね。

まあ食事を通した文化交流なので、美味しさだけでなくいろいろな日本食を紹介で切ればなあと思います。

あと、何回日本食作れるんだろう?



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南の島の普通の日曜日 村を歩こう!

2007年10月07日 | ミクロネシアの生活
今日は、朝起きて教会に行き、家に帰ってゆっくり過ごしました。
昨日、サカオを少し飲みすぎたから、気分悪いというほどではないですが、少し体に残っているかな?って感じです。
昼食後は、家に新しくつけられたハンモックでボーっとしてから、昼間は、この島の名物の雨が降り、部屋にこもっていました。

夕方、村のお店を訪ねると「学校どう?」って現地語で聞かれたので???だったら、園児のお母さんでした。
たまには、町に行く方向と反対側に行ってみようと歩き出したら、とまらなくなって30分くらい歩いて、ジュースを買って一休み。

すると今度は、昨年8年生で一緒に放課後の野球のクラブで教えていた子どもが「元気にしている?」「なにしているの?」と聞いてきました。今は彼も高校生になったので、久しぶりに会いました。

かなり歩いたから、「さあ頑張って戻るか」って思っていたらちょうど家族が車に乗って通りかかったので、車に乗せてもらい無事?帰宅。

いつも村にいるけど、行動範囲が決まっているので、意外とじっくりと見て周るのもいいかな?って思いました。

もうこのように、南の島で過ごすのも、6ヶ月を切ったってことは、200日もないってことなんだなって思いながら。


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週末・南の島のローカル生活 締めはサカオ

2007年10月06日 | ミクロネシアの生活
今日は、夕方からコロニアにテニスに行くはずでしたが、雨なので中止して、久しぶりにゆったり
週末ローカル暮らし。

午後にも子どもたちの家でのローカル生活研修?は、続き男の子は草刈、女の子は、ココナッツの葉っぱを細く割いて、ホウキを作っていました。

夕方になると、コンコンコンと石の鳴る音。

何度も紹介したと思いますが、この島の象徴でもあり文化でもあるサカオの音。
大きな表面が平たい石を台にして、胡椒科の根っこを男の人が手にした丸い石でつぶしていきます。ポンペイ語でつぶす事やサカオを作ることを「スクスク」と言います。

今日は家でサカオが開かれるのは久しぶり。おじいさんはサカオをするときは、何も食べずにサカオが終わってから夕食を食べますが、僕は家族が作ってくれたカレーとタロイモ、バナナの湯がいたものを頂き、やっぱり缶詰よりローカルフードが最高。

その後、サカオに加わりました。今日は殆ど知っている人でお祖父さんの子どもさんに
知り合いのタクシードライバー。サカオを作っているのは、今ずっと家に遊びに来ているお祖父さんの孫さん。まだ修行段階で、サカオの配り方なども家族に教えてもらっていました。彼と食事をしているときに「サカオ好き?」って聞いたら、「僕は嫌いだ」って言っていたけど、大人の力にはかなわない?
彼もちゃんと飲んでいました。

最初は話をしながら盛り上がるサカオですが、鎮静作用があるので、だんだんローテーションになります。そして最初に作った一番絞りが一番どろってしていて美味しい。
僕もこの泥水の味覚がだんだん頭にしみこんできました。

今日は、僕はあまり手伝っていないけど、家族がローカル生活に浸っているのを一緒に過ごした南の島らしい?一日でした。

途中で仲間の隊員とワークショップの準備が気になって、学校で作業をしたのが、やはり日本人魂が息づいていると感じましたが。
悲しいかな休みの日も仕事のことが気になる日本人の悲しい性ですね。
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南の島の家事

2007年10月06日 | ミクロネシアの生活
今日は、土曜日朝からゆっくり村で過ごしています。
土曜日と日曜日は、家族がゆっくり寝ているので、今日は僕が一番乗り。

家族は土曜日に掃除を頑張るから、今日はダイニングキッチンの床を掃いて、水吹きして、テラスを掃きました。
最近なかなか料理が作れていないので、昨日算数ワークショップの打ち合わせで行った小学校の近くのパン屋さんの食パンが美味しいので、それを食卓において、お湯を沸かせて準備完了。

久しぶりに食パンだったので、みんなトースターを使って焼いて食べました。

今日は10人くらい家族がいたので、お母さんがみんな一人2枚までよって言いながら、食べてくれました。

後は、ホウキに使うココナッツの葉っぱを子どもが切ったり、僕の持っているボンドで子どもたちの痛んだサンダル(ここでは、サンダルのことをZOURIと言い、日本語のぞうりという言葉がそのまま残っています)を修理して、ウクレレでポンペイの流行っている曲を歌ったりして、ボーっと過ごしています。

コロニアも良いけど、何もない村は村ですごく落ち着きます。

昨日の夜は近くの深夜までしているバーの客が車が集まって、曲をがんがんにかけて、さわぎまくっていましたが、お日様があければ、平穏な村に戻っています。

僕の場合は一度寝てしまうと、少々のことでは起きないので、実はあまり関係ないのかもしれませんが。
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南の島のタクシー事情

2007年10月05日 | ミクロネシアの生活
私たちの交通手段の決まりは、自分で車やバイクを運転しない。自転車は夜に乗らない。
そしてこの島には一般人が乗るバスが存在しない。(スクールバスのみ)

じゃあ村に住む僕らはどうして町に行けばいいのか?それはタクシー。それも乗り合いタクシー。

主流なのは、道で手を挙げるのではなく、電話をして自分の居場所と行き先を告げる無線タクシーの呼び出し。
「カタロト・エーウ・タクシー」(タクシー一台送ってください)と言えば大丈夫。
電話をすると電話を受けたベースが無線でタクシーに知らせ、タクシーが居場所まで迎えに来てくれます。

乗り合いのなので、早くタクシーがきてラッキーと思ってはいけません。
じぶんが一人目のお客さんだったら、他のお客さんが集まるまで町や村をうろうろすることもあります。もちろん、お客さんが僕だけでも村から町まで10キロ以上ある道のりを2ドルで行ってくれることもあります。近年のガソリン高騰で、これで儲かるのかな?って思いますが。

もちろんすぐにはタクシーが来るとは限りません。早ければ10分―20分。普通は30分。なかなかこなくて1-2時間待ち、今日は調子悪いなあは、3-4時間待ち、今日はだめかもが6時間待ちって感じです。

夜に町から村に帰るときは、満車して帰るので、運転手さんを入れて5人乗り。
後ろに三人乗り窮屈ですが、助手席は一人だけなのでゆったり。

今日は途中で助手席に座っていたおばさんが、あなたが前に来て座りなさいって席を交代してくれましたが、どう考えても、僕が後ろに座ったほうがゆっくり3人座れるんですが・・・って体格のおばさんだったのですが、これもこの島の人の優しさなのでしょう。

5人乗りですが、夜最終の時間のタクシーなどになると運転手さんを入れて6人になることも。そうするとどうするか?

誰か一人がトランクに乗ってしまいます。
僕も2-3度、トランクに乗って帰ったことがあります。
まあ乗り心地がいいとはいえないけど、思ったほど大変ではないかも。

ふくよかな島の女性に挟まれて後部座席に乗るより、そのほうがよかったりして・・・

村に住む隊員にとって、タクシーは自分の足、ドライバーは友達。

なれた運転手さんだったら、行き先言わなくても村の家に着くと止まってくれます。

日本では、車もバイクも運転していたから、タクシーに乗る機会もなければ、贅沢って感じでしたが、今はタクシーが僕の交通手段の生命線です。

車が10年以上経っている中古車なので、スプリングも思い切り弾むし、ウクレレ弾いてもOKだし、日本語教えたり、会話も弾みます。
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村で昼からも過ごせました。

2007年10月04日 | ミクロネシアの生活
今日は、今週初めて昼からも村の幼稚園で仕事ができました。今週はずっと大学に潜入?いや通っていたので・・・

これからもできるだけ外に目を向けていきたいので、こういう日にまとめて、毎日する授業の内容とそれにあった子ども用のワークシートを作りためておきます。今日は9枚作りました。
これで一週間以上は、僕の分とカウンターパートの分は大丈夫かな?

でもカウンターパートはカウンターパートで僕が外にこれからも出て行くことを告げているので、僕が前に作ったワークシートをそのままコピーしていました。それはそれで僕のやり方を取り入れてくれていて嬉しいのですが。コピーの内容を見てびっくり。

今、子どもは1・2・3の数字の概念と数字の文字を理解するのに苦しんでいるのに、コピーしているワークシートは1-10まで自由に書かせる内容のもの。

機会があれば、ステップバイステップ、スローティーチングって言っているんだけどなあ。
彼女なりに早く教えないといけないという呪縛?から解き放つ、目の前の子どもをみて、教える内容を考える、変えていくことは、難しいようです。

今日は夕方から小学校算数ワークショップの仲間が集まって、明日10月にオープンクラスをするローカル教員に対してどのように話し合いをするか?どのような趣旨でワークショップをするか、どんな内容を授業に組み入れていくか?など、隊員間の考えをまとめておきました。僕はいつもながら、細かい内容が小学校ではないので、他の隊員に教えてもらいながらですが。

タクシーに乗らないと疲れも半減したし、昼休みに僕が大好きなマットをお日様に干せたし、いつもの村の一日でした。
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