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植松三十里「家康の母 お大」

2022年12月17日 | あ行の作家


集英社文庫
2016年8月 第1刷
解説・伊東潤-「肚に落ちる」歴史小説
261頁

戦国時代、緒川城城主・水野忠政の娘・お大は14歳で岡崎城主・松平宏忠に嫁ぎ、嫡男・竹千代を産みます
しかし、実家が織田方に寝返ったため、戦略的に離縁され、幼い息子と生き別れになってしまいました
阿久比の久松俊勝と再婚後、竹千代が今川義元へ人質に出されることを知ったお大は命懸けの行動に出ます

植松さんの歴史小説、脚色はあっても基本間違いはなかろうと思っていて、読みやすいのもあって時々手にします
来年の大河ドラマは家康、ということで本書を読んでみました

地元なので地理が頭に入っているからか容易に脳内再生ができていつも以上にサクサク読めました
三河木綿、知多木綿はお大が広めたといっても良いようです
幼少期、家康が織田方の人質になっていたことは有名ですが、今川へ行くはずが織田の策略で拉致されたようなものだったとは知りませんでした
さらに、中区大須の万松寺で暮らしていたと思っていましたが、その前に熱田区伝馬町の豪商の家に幽居させられていたと知り、これまたびっくり
それもあって10日のウォーキングコースで幽居跡を訪ねたのでした

竹千代が熱田にいると知ったお大は久松の理解と協力もあり、こっそりと会いに出かけます
親子の名乗りはあげられずとも互いに認め合う母と息子
涙なしでは読めませんでした

大名家の子女の運命とはいえ嫁した家を出され、また別の家に…
当初は久松と上手くいかなかったお大でしたが、相手が自分を受け入れてくれないと思っていたのが、自分も心を閉ざしていたのだと気づき、歳月を重ねてからようよう理解し合える夫婦となりました
成長した家康との再会も叶い、慶長7年(1602年)、京都・伏見城内で80歳の生涯を終えたそうです


岡崎城を出されるときにお大が幼い竹千代に渡した短い手紙
「かちゅうのために生きたまへ いくさなき世を われはまちはべり」
この手紙が生涯家康を支えたのはあながち間違いではないでしょう





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