人に認められるということは人生の中で何回あるだろう。
人を認めるということを人生の中で何回しただろう。
私の中で人に認められらたという経験は数回。
小学校の時から勉強というものが大の苦手。
親も心配して中学から私立に入れたくらいだ。
でも、いくら私立とは言え勉強しなくては公立とは違い退学というのがある。
算数から数学 あまり私的には苦手改革にはならない
国語から現代国語 こちらも変わらず
英語 これは中学になってから初めての科目。
ヨッシャ☆
これだ。
私は英語でスタートを切った。苦手意識を持たないように毎日毎日勉強をした。
するとどうだ。みるみるうちに得意科目に変身。
英語の教師に
「すごいよう勉強しとるやん。ええ成績や」
そう言われたのがきっかけでますます張り切る。
こちらの場合は短大の英文科に入った時点がマックスで、つまらん読んで訳すだけの授業にうんざり。
二度と英語なんか勉強するか!
そう悪たれて現在に至る。
結婚して、料理が上手いねと言われたらまた俄然張り切る。
人間はほめられて、認められてなんぼの世界だ。
子育て中も子どもはほめた。
「えらい、えらい、」
でも、本当に小学校時代の子どもたちは私が子どもの時よりもお勉強ができるのだ。
「よしよし」
そう言ってアタマをなぜた。
お手伝いをしてくれたら「ありがとう、助かったわ、うれしい」
この言葉で子どもも育った。
悪いことをしたら私は板間に長い時間座らせた。
絶対に手はださない。
「兄ちゃん、ごめんなさいって言ってるからお母さん、許したげて」
弟が泣きながら私に訴える。
反対に兄が訴える。
私は良く母に物差しでたたかれた。
だから絶対にたたかない。
最近では仕事上で上司ではなく、全く関係のない方からいろんな意味で認めて頂いた。
評価されないから、こんな言葉が私の頭にわいてくる。
「必死でやってるのに」
「こんだけやってるのに」
のに、のに、やってる、やってる
上から目線の言葉。
仕事だからやって当然とは思わなくなる。
誰も認めてくれないから愚痴が始まるのだ。
でも、いったん認めて貰ったらそれは本当に嬉しい。
大人でも嬉しいのだ。
あんだけ文句ばっかり言っていた人間がその瞬間から変わってしまう。
世間が認めるくらいの頼りない人間でも良いところを十分に評価されると自然とそこをもっと伸ばそうとする。
人間は100%ではない。
その人本来の良いところ、飛び抜けたところがあるのだ。
そこを思いっきり活用してもらうと良いのだ。
幸いにも50を過ぎたこの私にも認めて貰うところがあり、まだまだ楽しい人生を頂いたのだ。
もったいないくらいにありがたいし、感謝している。
元気ならあと30年は頑張れるだろう。
「人間、50過ぎたらおしまいや」なんて言っていた私。
あと30年と思えばまだまだこれから。
好きなことだけして人生を楽しく過ごしていきたい。
一番したいこと。
「緑が丘の町おこし」
えらそうに・・・そう思われるかも知れない。多分思われる。
でも、そんなことを考えている人は沢山いるだろう。
一人では出来ないが賛同する人が集まって出来るのではと期待している。
二番目にしたいこと (一番、二番は甲乙つけがたいのですが)
「電車大好き倶楽部」なるもとをつくりたい。
電車大好き人間です。公共交通機関、町おこしなどすべてが繋がると思う。
ほかにも「健康」「教養」いろんな部門があるが、それはそのお得意な方にお願いしましょう。
いつもだらだら書いてします。
昔は原稿用紙にいっぱい文章を書いていた。手が痛くなるくらい。
今はパソコンがあるから良いですね。
あんまり長いのは嫌われると言いますが、別に気にしません。
きっとちゃんと読んで下さる方もおられるかと。
私の想いをぶっちゃけています。