猫は腎臓が悪くなりやすいって言うのは
知っていたけど、それはもっと高齢になってからの事だと
どこか人ごとのような気持ちでいたのに・・・
黒猫の「くぅちゃん」が梅雨が明けた
海の日の7月20日の朝、膀胱炎からの腎不全、
尿毒症で旅立ってしまいました。
くぅちゃんを自宅付近で見かけるようになったのは
5年位前の今頃だったと思います。
小柄で子猫かなぁ・・どこから来たのかかなぁ~と、
思いながらもあの頃は、自宅で「うりちゃん」と「りんちゃん」がいて
お店にも「もんちゃん」と初代「ちーちゃん」がいて、とてもこれ以上は無理!
と見て見ぬ振りをしていました。
ところが、8月になってお盆間近の頃、
初代ちーちゃんを、突然の事故で亡くすという哀しい出来事があり、
主人も私もショクを隠せずかなり参っていました。
だからと言う訳ではないけれど、相変わらず自宅付近を
ウロウロしているあの子が気になり、ちょっとずつ
餌付けして、家で飼えなくても、
ご飯あげて避妊手術だけはしてあげたいなぁ
と漠然と思っていました。
サリーちゃんが不思議なご縁で我が家に来たのもその頃です。
もう、一匹増えたのだからと迷ったけど、元々人懐こい
くぅちゃんはすっかり慣れてご飯をもらいに来るように
なっていて、最初の計画通り避妊手術を決行しました。
術後一晩うちで様子を見て、「外へ出る出る~」と叫ぶので
翌日リリースしたら、その日のうちに
「入れて~」と、帰って来ました。
で、うちの子に決定。
残念ながら完全な室内飼いとはなりませんでしたが、
ほぼ毎日帰って来てくれたし、私達が帰宅すると
とこからともなく現れて、足下でコロコロしてくれていたのになぁ・・
最初に膀胱炎になったのは去年の冬で、それは割と早く
治ったけど又再発してしまい、今月の初め頃には腎臓の数値も
悪くなり外出禁止にして毎日お薬も頑張って飲んで
きっと良くなると信じていたのに・・・
先週の月曜日にはとうとう尿窒素血が140以上になってしまって
その週は毎日夕方補液に通っていましたが、亡くなる3日前位から
とうとうおしっこが出なくなり、土曜日には体温も低くなって
今日明日と言われてしまいました。
おしっこが出なくなるまでは、割とご飯も食べて
外にも出たくてずっと鳴いていたけど、ここで出したら
もう二度と会えないかもと心を鬼にしてました。
でも、毎日嫌がるのに薬飲ませても全然血尿も数値もよく
ならなくて、本当にこれで良いのかなぁ?
これがくぅちゃんの為なのかなぁと毎日悩んで車の中で
一人で泣いていました。
そしてとうとう日曜日の午後2回けいれんを起こし、
呼吸がはやくなったので、店のもんちゃんの為に借りている
「酸素ハウス」に入れて様子を見ました。
もうその頃には意識はほとんどなかったけど
少しでも呼吸が楽になるのならと思って・・・
その晩は私もお店に泊って、時折動けないけど小さい声で無く
くうちゃんを酸素ハウスの小窓から撫でる事しか出来なくて・・・
月曜日の早朝はまだ意識があったけれど、仕事で出かけているうちに
旅立ってしまったようです。
仕事に出る時
「もう頑張らなくても良いよ。母さん帰ってくるの待たなくて良いからね」
って言って別れたのですが、ちゃんと看取ってあげたかったなっ・・
一番最初に飼った猫の「シロ」は病気だったのに
そのまま外に出して帰ってこなかったので、
今度はちゃんと看取ろうと思って、
嫌がるくぅちゃんに薬のませたり、外に出さなかったけど
本当にそれで良かったのかと今でも考えます。
でも、自由にさせてそれっきりだったらそれはそれで又悩むんでしょうね・・・
くぅちゃんが、うちの子になって幸せだったと思っていてくれていれば
いいなぁと今はそれだけを願います。
もう、帰宅しても足下でコロコロもしてくれないし
りんちゃの散歩につきあってくれる事もないし
寒くなった夜私の胸の上で眠ってくれる事もないのかなぁと思うと
切ないけど、もう辛い思いから解放されて自分の好きな所で
遊んでいるんだろうなぁと信じていようと思います。
くぅちゃん、うちの子になってくれてありがとうね。
くぅちゃんの、鍵尻尾もまんまんるお目々も可愛いアンヨも
忘れないよ。
いつまでも大好きよ。
お空の上から、もんちゃん達を見守っていてね。
知っていたけど、それはもっと高齢になってからの事だと
どこか人ごとのような気持ちでいたのに・・・
黒猫の「くぅちゃん」が梅雨が明けた
海の日の7月20日の朝、膀胱炎からの腎不全、
尿毒症で旅立ってしまいました。
くぅちゃんを自宅付近で見かけるようになったのは
5年位前の今頃だったと思います。
小柄で子猫かなぁ・・どこから来たのかかなぁ~と、
思いながらもあの頃は、自宅で「うりちゃん」と「りんちゃん」がいて
お店にも「もんちゃん」と初代「ちーちゃん」がいて、とてもこれ以上は無理!
と見て見ぬ振りをしていました。
ところが、8月になってお盆間近の頃、
初代ちーちゃんを、突然の事故で亡くすという哀しい出来事があり、
主人も私もショクを隠せずかなり参っていました。
だからと言う訳ではないけれど、相変わらず自宅付近を
ウロウロしているあの子が気になり、ちょっとずつ
餌付けして、家で飼えなくても、
ご飯あげて避妊手術だけはしてあげたいなぁ
と漠然と思っていました。
サリーちゃんが不思議なご縁で我が家に来たのもその頃です。
もう、一匹増えたのだからと迷ったけど、元々人懐こい
くぅちゃんはすっかり慣れてご飯をもらいに来るように
なっていて、最初の計画通り避妊手術を決行しました。
術後一晩うちで様子を見て、「外へ出る出る~」と叫ぶので
翌日リリースしたら、その日のうちに
「入れて~」と、帰って来ました。
で、うちの子に決定。
残念ながら完全な室内飼いとはなりませんでしたが、
ほぼ毎日帰って来てくれたし、私達が帰宅すると
とこからともなく現れて、足下でコロコロしてくれていたのになぁ・・
最初に膀胱炎になったのは去年の冬で、それは割と早く
治ったけど又再発してしまい、今月の初め頃には腎臓の数値も
悪くなり外出禁止にして毎日お薬も頑張って飲んで
きっと良くなると信じていたのに・・・
先週の月曜日にはとうとう尿窒素血が140以上になってしまって
その週は毎日夕方補液に通っていましたが、亡くなる3日前位から
とうとうおしっこが出なくなり、土曜日には体温も低くなって
今日明日と言われてしまいました。
おしっこが出なくなるまでは、割とご飯も食べて
外にも出たくてずっと鳴いていたけど、ここで出したら
もう二度と会えないかもと心を鬼にしてました。
でも、毎日嫌がるのに薬飲ませても全然血尿も数値もよく
ならなくて、本当にこれで良いのかなぁ?
これがくぅちゃんの為なのかなぁと毎日悩んで車の中で
一人で泣いていました。
そしてとうとう日曜日の午後2回けいれんを起こし、
呼吸がはやくなったので、店のもんちゃんの為に借りている
「酸素ハウス」に入れて様子を見ました。
もうその頃には意識はほとんどなかったけど
少しでも呼吸が楽になるのならと思って・・・
その晩は私もお店に泊って、時折動けないけど小さい声で無く
くうちゃんを酸素ハウスの小窓から撫でる事しか出来なくて・・・
月曜日の早朝はまだ意識があったけれど、仕事で出かけているうちに
旅立ってしまったようです。
仕事に出る時
「もう頑張らなくても良いよ。母さん帰ってくるの待たなくて良いからね」
って言って別れたのですが、ちゃんと看取ってあげたかったなっ・・
一番最初に飼った猫の「シロ」は病気だったのに
そのまま外に出して帰ってこなかったので、
今度はちゃんと看取ろうと思って、
嫌がるくぅちゃんに薬のませたり、外に出さなかったけど
本当にそれで良かったのかと今でも考えます。
でも、自由にさせてそれっきりだったらそれはそれで又悩むんでしょうね・・・
くぅちゃんが、うちの子になって幸せだったと思っていてくれていれば
いいなぁと今はそれだけを願います。
もう、帰宅しても足下でコロコロもしてくれないし
りんちゃの散歩につきあってくれる事もないし
寒くなった夜私の胸の上で眠ってくれる事もないのかなぁと思うと
切ないけど、もう辛い思いから解放されて自分の好きな所で
遊んでいるんだろうなぁと信じていようと思います。
くぅちゃん、うちの子になってくれてありがとうね。
くぅちゃんの、鍵尻尾もまんまんるお目々も可愛いアンヨも
忘れないよ。
いつまでも大好きよ。
お空の上から、もんちゃん達を見守っていてね。