10月22日
この旅何度目かの、雨の朝を迎える。
窓を流れる雨の雫をぼんやりと眺め、朝飯をかきこむ私。
よし、そろそろ出かけるか。
向かった先は呉。
旧呉鎮守府兵器部護岸。
数席の護衛艦の中に、潜水艦も停泊していた。
通りを挟んだ向かい側には、レンガ造りの倉庫が立ち並んでいる。
他にも当時の護岸がある筈だが、周辺に車を止める場所がなく、たまたまあったコンビニに置かせて貰っているのだ。
あまり長居は出来ない。
お礼に2~3の買い物をして、早々に引き上げた。
大和ミュージアム。
特攻兵器「回天」十型(試作型)
零式艦上戦闘機六二型
幾つかのゾーンに分かれているが、シャッターを押せるのはこの辺だけである。
車は大和ミュージアムの駐車場に置いて、周辺を歩いてみたい。
先ずは、入船山記念館へ。
呉海軍下士官兵集会所/海軍病院坂の表示がある門扉。
現在は宴会場になっているようだ。
更に行く。
《昭和16年、宿毛沖標柱間で全力公試中》
いいね!
戦艦大和の歴史をデザインしたマンホール蓋の一つ。
他に何種類もあるらしい。
次回は晴れた日に呉に行き、マンホール全部を見てみたいものだ。
入船山公園到着。
東郷平八郎離れ座敷。
東郷は、呉鎮守府に参謀長として赴任していた時代がある。
その時の自宅の離れを移築したものだそうだ。
国登録有形文化財
旧呉海軍工廠塔時計
番兵塔
昼夜問わずの立哨が行われていたため、礎石の足を置く部分がすり減っている。
旧高烏砲台火薬庫(国登録有形文化財)
中で老紳士から声を掛けられた。
「どちらから?え、久留米から。それはそれは、遠い所からようこそ。」
聞けば、ボランティアガイドの方で、ここ最近コロナの影響で、ガイドが出来ないと嘆いておられる。
これから今後の対策会議があるので、ここで待っているとの事。
渡りに船だ。
色々と尋ねてみた。
「ここを見た後、旧呉鎮守府に行きたいんですが。ただ、予約してなくて。いきなり行っても大丈夫でしょうか?」
明治時代に建てられた旧呉鎮守府庁舎は、海上自衛隊呉地方総監部の中にある。
「確か、コロナで見学そのものが出来ない筈ですよ。」
「え!それじゃあ、まさか江田島も?」
「入れません。でもここは見学できますから。ごゆっくりどうぞ。」
とかくコロナは儘ならぬ。
呉鎮守府長官官舎。
エントランス。
入館は裏からのようだ。
前半分の洋館が公的な部分、後ろの純日本家屋が鎮守府長官の私的な住居となっている。
一番奥の勝手口から入館する。
応接室。
食堂。
左の扉の奥が、歴代長官のプライベートな部分となる。
住居部は、完全に純和風の造り。
雨も酷くなってきた。
そろそろ車に戻ろう。
当初の予定では、この後宮島にフェリーで渡り、厳島神社観光をし、岩国あたりで最後の宿泊。
翌日は錦帯橋などを見て周りながら、ゆっくりと帰宅するつもりだったのだが・・・
さてどうすんべ。
ボンヤリとハンドルを握りながら、宮島に着いた頃には、最早前も見えづらい豪雨に。
これじゃあ、観光もへったくれもないや。
潮時だ。
帰ろう。
「今から帰ってくる。」(私)
「え!なーんも食べるもんなかよ。」(家内)
野郎・・・何て言い草だ。
ふんだ。
酒と食いもんなら、スワロー号の中に山ほどあるわい。
壇ノ浦PA到着。
燕よ、あれが九州島だ。
18時過ぎ、無事帰宅。
「もこー、帰って来たぞ!!会いたかったー。」(私)
「ギャワワン、ギャワワン!!」(もこ)
「おう、帰って来たか。秋刀魚食うか。」(家内)
なんだ、あるんじゃねえか。
私の秋の旅が終わった。
走行距離420km 累積走行距離3803km