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Tシャツとサンダルの候

網走番外地

 

7月25日

 

網走市内へ。 

先ずは、霧が立ち込める天都山に佇むこの建物へ。

オホーツク流氷館である。 

流氷の世界を体感できる流氷体感室。

-15℃である。

流氷で暮らす生き物たちのはく製と、本物の流氷が展示されている。 

キタキツネの前にマヌケな顔で立っている生き物は、別に流氷で暮らしている訳ではない。 

 

他には、流氷に関するパネル展示、オホーツクの魚の水槽、映画の上映等がなされている。

クリオネの水槽。

 

すぐ近くに旧網走監獄がある。

広い敷地全体が、網走監獄と北海道開拓の歴史を伝える、大きな博物館となっている。

当時の建物も多数保存されているようだ。

面白そうだ。

立ち寄ってみよう。

赤煉瓦の正門。

衛士はマネキンである。

このマネキンの展示がやたらと多いのもここの特徴だ。 

庁舎

北海道開拓の歴史に関するパネル展示がされている。 

要約すると、

明治期(というより今もそうだが)、常に北方の脅威だったのはロシアである。

明治政府は、未開の地北海道の整備を急ぐ必要に迫られた。

そこで提案されたのが、囚人たちを北海道に集め、この任に当たらせるという事だ。

囚人たちおよそ1200人に、網走から旭川までの未踏の原野163kmを、僅か8か月で開通させるという、凄まじい労働を強いたのだ。

看守を含めた数百人の犠牲の上、ようやく北の大地を貫く道路が作られた。

職員官舎

 

この建物は、道路建設現場の宿泊所を復元した物。 


ここにもマネキンが。

囚人たちの枕は、一本の丸太と決められていて、起床時はこの丸太の端を、コンコンと叩いて起こしたのだそうだ。 

当時の裁判所もここに復元されている。

 

法廷だ。

なんで現代風?

当時の法服を着せたらよかったのに。 

網走監獄では全てが自給自足が基本だ。

此処では漬物が作られた。

網走監獄の大根の漬物は、天下一品と評判だったとの由。

因みに味噌や醤油、煉瓦さえもこの刑務所内で作られた。 

高見張り

 

ここが所謂獄舎である。

 

中央に見張り所があり、ここを中止として、手の平を広げたように五つの舎房が、放射状に広がっている。

 

それぞれの舎房には特徴があり、雑居房であったり、独房(懲罰房)であったりしている。

 

食事は麦飯に汁と漬物が基本。

正月などには、少し豪華なものが出たのだそうだ。

独房が並ぶ舎房。

真ん中に通るパイプは暖房用で、ストーブから回されている。

それでも冬の舎房では、息を壁に吹きかけると、たちまち凍ったそうだ。 

独房の囚人。

 

昭和の脱獄王と呼ばれた白鳥某が、実際に脱獄した房である。

 

この鉄格子を外して抜けたと書いてある。

 

囚人たちの浴場

またもやマネキンである。

必要? 

屋外の懲罰房。

中は全くの暗室となっている。

教誨堂

 

仏式の祭壇が設けられている。

 

網走監獄、、、

思いの外、見応えがあった。

いつの間にか3時間以上も経っていた。


腹が減った。

そうなれば、やっぱりここでしょう。

 

監獄カレーである。 

囚人に出されていた比率と同じ麦飯なんだそうだ。

 

普通に旨し!

 

お風呂は斜里町ウトロの夕陽台の湯 500円

今回は、貴重品ロッカーの鍵は、紛失などしてはいないとひとまず報告しておく。

宿泊は道の駅うとろシリエスクw

wifi良好

 

走行距離105km 累積走行距離2207km

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