民不畏死、柰何以死懼之。「 民、死を畏(おそ)れざれば、奈何(いかん)ぞ死を以(も)ってこれを懼(おそ)れしめん。
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・老子「第七十五章「道徳経と伊勢白山道」徳経
第七十四章
*老子を英訳http://www.chonmage-eigojuku.com/magetan/roushi08.html
・原文 「書き下し文
民不畏死、柰何以死懼之。「 民、死を畏(おそ)れざれば、奈何(いかん)ぞ死を以(も)ってこれを懼(おそ)れしめん。
若使民常畏死、而爲奇者、「もし民をして常に死を畏れしめば、而(すな)わち奇(き)を為(な)す者は、
吾得執而殺之、孰敢。「われ執(とら)えてこれを殺すを得るも、孰(た)れか敢えてせん。
常有司殺者殺。「常に殺(さつ)を司(つかさど)る者有りて殺す。
夫代司殺者殺、是代大匠斲。「それ殺を司る者に代わりて殺すは、これを大匠(たいしょう)に代わりて斲(けず)るなり。
夫代大匠斲者、希有不傷其手矣。「それ大匠に代わりて斲る者は、その手を傷つけざる有ること希(まれ)なり。
現代語訳
民衆が死を恐れなくなるまで追い詰めてしまったら、どのような刑罰をもって彼らを恐れさせる事ができるだろうか。
もし人々が生を楽しみ死を恐れるような世の中に、秩序を乱す輩がでたならば、
私はその者を捕えて殺すことができよう。
だが一体誰がその刑を実行するのか。
人の生死はそれを司るものが殺すのだ。
生死を司るものに代わって人を殺すというのは、
素人が大工に代わって木を削るのと同じことだ。そのような無理をすれば、結局自らが傷つく事になる。
*自分のことを叱ってくれる人間は貴重です 2012-12-25
伊勢ー白山 道 記事全文 http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121225
老子の言葉 第七十四章
(独自の超訳)
もしも民衆が悪政治により圧迫されて死ぬことも恐れなくなれば、どうして死刑によって民衆を脅すことが出来ましょうか。
たとえ民衆が常に死を恐れているとしましても、もし悪事を働く者がいれば、私が捕まえて死刑にすることが可能ですが、誰が自ら進んで他人の死刑を執行することが出来ましょうか。
常に人間の生死を司る大いなる存在がいて、人間に死をもたらすものなのです。
その生死を司る大いなる存在に成り代わって、人間の判断で他人の死刑を執行するということは、
これは熟練した職人に成り代わって素人が木を削ることと同じなのです。
このように熟練工に成り代わって木を削る者は、自分自身の手に傷を負うことに成ります。
原文
「民不畏死、柰何以死懼之。若使民常畏死、而爲奇者、吾得執而殺之、孰敢。
常有司殺者殺。夫代司殺者殺、是代大匠斲。
夫代大匠斲者、希有不傷其手矣。」
(感想)
現代の日本では、法務大臣が死刑執行のサインをするかどうかが常に問題にされています。
この章で老子は、大いなる存在(神)に成り代わって、人間が人間を裁くことの難しさを言っています。
自分が他人を裁く場合、自分自身も同様に傷を負うことに成ると指摘しています。
これは私たちの日常生活におきましても、たとえ小さなことでも同じことが言えると感じます。
だから、自分のことを叱ってくれる人がいますと、その人も心に傷を負うことに成りますから、感謝をするべき人間だということです。
この章と似た話が日本にもあります。高名な禅僧と武士の問答の話です。
雪で銀世界に化粧された庭を禅僧が縁側から眺めていました。そこへ突然、一人の武士が現れました。
その武士が言うには、上司の命令に従って沢山の人間を殺したということです。
自分には何の利益にも成らない殺人を、他人からの命令で仕方なしに実行した場合、自分が死ねばこの罪は誰に行くのかと禅僧に尋ねました。
これを黙って聞いていた禅僧は、武士に近くの木の下に立ち、そして頭上の枝を揺らすように命じました。
武士が言われたように木を揺らしますと、枝葉に積もった雪が頭上から落ちて来て、冷たい雪を全身にかぶりました。
禅僧いわく、「あなたに枝を揺らす様に命じた私は、雪を被らずに安全で暖かい畳の上に居る。実行した君自身は、冷たい雪を被ったんだよ」
ただ、禅僧も、武士を冷たい目に遭わせた犯人が自分であることを知っています。雪は被っていませんが、自分の心に冷たいモノを被っています。
(参考記事:チャンスを邪魔させるな 2008-06-08
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/cd58e3e1dde7e1baba4b705b97d917da)
この場合、ただ命令に従って「熟慮なしで」殺人を犯した武士が、自分の良心が傷んでいるために禅僧にわざわざ聞きに来ています。
要は、自分の良心が納得していなかったのです。そして自分の罪も心配しています。
ここで、日本の死刑制度でも大切なことは、死刑を執行する人間や命じる人間が、何のためにするのか?ということなのです。
日本では、罪を犯した悪人の人権問題ばかりが取り上げられますが、被害者やその家族の人権は大切にされているのでしょうか?
被害者の無念や、新たな被害者を防止するために、またそれで給与を得て自分の家族を食わすために、すべてを納得した人間が自分自身も傷を負うことを覚悟でするべき事なのです。
そして、最終的には執行者の良心(大いなる存在・内在神)が、その善悪を最終判断します。
この武士のように、熟慮なしで軽々に殺人を犯せば、自分の良心が納得していないために後々に苦しむことになります。
この章の話の答えは、この世では出ずにアノ世に持ち越す問題だというのが私が感じる答えです。
言えますことは、
*人間が人間を裁く場合、どちらにも傷が発生するということを知っておくこと。
*その上で、自分の良心が納得した行為には、救いが有るということ。
*殺人を命じる人間には、被害者と執行者の両方の苦しみを生んだという2倍の因果が発生するということ。
結局は、この世では、どんな仕事でありましても、自分自身の良心との問答なのです。
自分自身の良心ですから、すべてを見て知っています。ごまかすことは不可能です。
逆に言えば、自分の良心を見詰めて生きて行けば、すべては大丈夫なのです。
職業の選択も含めて、自分の良心に従って行けば良いのです。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
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第七十四章
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・原文 「書き下し文
民不畏死、柰何以死懼之。「 民、死を畏(おそ)れざれば、奈何(いかん)ぞ死を以(も)ってこれを懼(おそ)れしめん。
若使民常畏死、而爲奇者、「もし民をして常に死を畏れしめば、而(すな)わち奇(き)を為(な)す者は、
吾得執而殺之、孰敢。「われ執(とら)えてこれを殺すを得るも、孰(た)れか敢えてせん。
常有司殺者殺。「常に殺(さつ)を司(つかさど)る者有りて殺す。
夫代司殺者殺、是代大匠斲。「それ殺を司る者に代わりて殺すは、これを大匠(たいしょう)に代わりて斲(けず)るなり。
夫代大匠斲者、希有不傷其手矣。「それ大匠に代わりて斲る者は、その手を傷つけざる有ること希(まれ)なり。
現代語訳
民衆が死を恐れなくなるまで追い詰めてしまったら、どのような刑罰をもって彼らを恐れさせる事ができるだろうか。
もし人々が生を楽しみ死を恐れるような世の中に、秩序を乱す輩がでたならば、
私はその者を捕えて殺すことができよう。
だが一体誰がその刑を実行するのか。
人の生死はそれを司るものが殺すのだ。
生死を司るものに代わって人を殺すというのは、
素人が大工に代わって木を削るのと同じことだ。そのような無理をすれば、結局自らが傷つく事になる。
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(独自の超訳)
もしも民衆が悪政治により圧迫されて死ぬことも恐れなくなれば、どうして死刑によって民衆を脅すことが出来ましょうか。
たとえ民衆が常に死を恐れているとしましても、もし悪事を働く者がいれば、私が捕まえて死刑にすることが可能ですが、誰が自ら進んで他人の死刑を執行することが出来ましょうか。
常に人間の生死を司る大いなる存在がいて、人間に死をもたらすものなのです。
その生死を司る大いなる存在に成り代わって、人間の判断で他人の死刑を執行するということは、
これは熟練した職人に成り代わって素人が木を削ることと同じなのです。
このように熟練工に成り代わって木を削る者は、自分自身の手に傷を負うことに成ります。
原文
「民不畏死、柰何以死懼之。若使民常畏死、而爲奇者、吾得執而殺之、孰敢。
常有司殺者殺。夫代司殺者殺、是代大匠斲。
夫代大匠斲者、希有不傷其手矣。」
(感想)
現代の日本では、法務大臣が死刑執行のサインをするかどうかが常に問題にされています。
この章で老子は、大いなる存在(神)に成り代わって、人間が人間を裁くことの難しさを言っています。
自分が他人を裁く場合、自分自身も同様に傷を負うことに成ると指摘しています。
これは私たちの日常生活におきましても、たとえ小さなことでも同じことが言えると感じます。
だから、自分のことを叱ってくれる人がいますと、その人も心に傷を負うことに成りますから、感謝をするべき人間だということです。
この章と似た話が日本にもあります。高名な禅僧と武士の問答の話です。
雪で銀世界に化粧された庭を禅僧が縁側から眺めていました。そこへ突然、一人の武士が現れました。
その武士が言うには、上司の命令に従って沢山の人間を殺したということです。
自分には何の利益にも成らない殺人を、他人からの命令で仕方なしに実行した場合、自分が死ねばこの罪は誰に行くのかと禅僧に尋ねました。
これを黙って聞いていた禅僧は、武士に近くの木の下に立ち、そして頭上の枝を揺らすように命じました。
武士が言われたように木を揺らしますと、枝葉に積もった雪が頭上から落ちて来て、冷たい雪を全身にかぶりました。
禅僧いわく、「あなたに枝を揺らす様に命じた私は、雪を被らずに安全で暖かい畳の上に居る。実行した君自身は、冷たい雪を被ったんだよ」
ただ、禅僧も、武士を冷たい目に遭わせた犯人が自分であることを知っています。雪は被っていませんが、自分の心に冷たいモノを被っています。
(参考記事:チャンスを邪魔させるな 2008-06-08
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/cd58e3e1dde7e1baba4b705b97d917da)
この場合、ただ命令に従って「熟慮なしで」殺人を犯した武士が、自分の良心が傷んでいるために禅僧にわざわざ聞きに来ています。
要は、自分の良心が納得していなかったのです。そして自分の罪も心配しています。
ここで、日本の死刑制度でも大切なことは、死刑を執行する人間や命じる人間が、何のためにするのか?ということなのです。
日本では、罪を犯した悪人の人権問題ばかりが取り上げられますが、被害者やその家族の人権は大切にされているのでしょうか?
被害者の無念や、新たな被害者を防止するために、またそれで給与を得て自分の家族を食わすために、すべてを納得した人間が自分自身も傷を負うことを覚悟でするべき事なのです。
そして、最終的には執行者の良心(大いなる存在・内在神)が、その善悪を最終判断します。
この武士のように、熟慮なしで軽々に殺人を犯せば、自分の良心が納得していないために後々に苦しむことになります。
この章の話の答えは、この世では出ずにアノ世に持ち越す問題だというのが私が感じる答えです。
言えますことは、
*人間が人間を裁く場合、どちらにも傷が発生するということを知っておくこと。
*その上で、自分の良心が納得した行為には、救いが有るということ。
*殺人を命じる人間には、被害者と執行者の両方の苦しみを生んだという2倍の因果が発生するということ。
結局は、この世では、どんな仕事でありましても、自分自身の良心との問答なのです。
自分自身の良心ですから、すべてを見て知っています。ごまかすことは不可能です。
逆に言えば、自分の良心を見詰めて生きて行けば、すべては大丈夫なのです。
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