かすかべみてある記

日光道中第4の宿場町・粕壁宿を忠心にクレヨンしんちゃんのまちかすかべをみてある記ます。

日光道中粕壁宿・脇本陣跡

2022-06-22 19:30:00 | 地域発信情報
再び日光道中粕壁宿をみてある記ます。
日光道中の全景は、

春日部市郷土資料館にあるジオラマ、手前が江戸方向、反対側が日光方向、結構精巧に出来ていおり、往時の粕壁宿の姿が良くわかります。なお、許可を得て撮影しています。

東陽寺・源徳寺
東陽寺・源徳寺からかすかべ大通り「旧日光道中」を日光方向に100メートルほど下って行くと粕壁宿の脇本陣跡があります。
と言っても、今はマンションが建っているだけで、往時の面影は全くありません。
前掲のジオラマでは、

上の方に粕壁小学校・春日部市教育センターなどの表示が見えます。なお、許可を得て撮影しています。
そして、現在は、
マンションになっています。
マンションの前に、ポール型の案内表示があるのみです。



脇本陣跡
文化会館前交差点の付近には、かつて水路があり、三枚の板石の橋が架けられいたため、この辺りは三枚橋(さんまいばし)とよばれた。脇本陣(わきほんじん)は大名や高僧が宿泊・休憩した本陣の予備施設である。中宿(なかじゅく)〘仲町(なかまち)〙の蓮沼屋庄兵衛(はすぬまやしょうべい)が勤めた後、天保(てんぽう)元年(一八三〇)に現在地で旅籠屋(はたごや)を営んでいた高砂屋竹内家(たかさごやたけうちけ)が勤め、嘉永(かえい)二年(一八四九)から幕末までは本陣になった。明治九年(一八七六)六月、同十四年(一八八一)七月、明治天皇の東北巡幸の際、高砂屋は御昼食所となった。宅地は四一七坪あったと伝えられる。
       平成二十七年七月
       春日部市教育委員会
敷地が417坪あったと書かれており、ジオラマを見る限りでは、相当立派な建物(本陣)だったと思われます。約200年前の歴史の1ページです。
そして、約200年の時を経て、この辺りは一年前の東京2020オリンピックの当地での聖火リレーの出発地点となりました。
今は、何ら痕跡もありませんが、歴史のバトンは次の世代に繋がれて行くことを願っています。




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