かすかべみてある記

日光道中第4の宿場町・粕壁宿を忠心にクレヨンしんちゃんのまちかすかべをみてある記ます。

日光道中粕壁宿・春日部薬草園跡

2022-08-10 19:30:00 | 地域発信情報
公開日:2018/12/28・更新日:2022/08/10
春日部市立図書館と春日部市中央文化会館の前に小さな庭園があります。春日部薬草園跡です。

◆春日部薬草園跡

春日部市立図書館、春日部市民文化会館がある場所には、昔、厚生省国立衛生試験所春日部薬用植物栽培試験場、通称「春日部薬草園」がありました。関東地方唯一の試験場で日本初の薬用植物試験場だったそうです。

f:id:takejiisan:20181228203807j:image

春日部薬草園は、大正11年(1922)4月内務省東京衛生試験場粕壁圃場として開設され、その後、昭和13年厚生省へ移管、戦後の昭和23年4月、東京衛生試験所の薬用植物栽培試験部を植物部と改称、その管轄下に入り、昭和24年(1949)10月、国立衛生試験所薬用植物園春日部分場と改称、昭和31年(1956)に国立衛生試験所春日部薬用植物栽培試験場となりました。

その後、昭和55年(1980)2月、つくば市に移転。更に、平成17年(2005)4月組織改組に伴い、大阪府茨木市に新設された独立行政法人医薬基盤研究所の資源部門に再編、現在は薬用植物資源研究センター筑波研究部となっています。

特に「ケシ」が栽培されていて、毎年5月には、ケシの白い花が咲き乱れていたとのことです。また、我が国初のモルヒネが作られていたと言われています。恐らく軍事用だったのでしょうね。跡地には、現在ミニ薬草園があります。

f:id:takejiisan:20181228203947j:image

また、図書館前には、こんな彫刻がありました。

f:id:takejiisan:20181228214344j:image

f:id:takejiisan:20181228214603j:image

柳原義達作「道標・鳩」

作者は、生命の不思議さを鳩に託してを作り続け、それを道標と表現したそうです。

さらに、市民文化会館の前には、

f:id:takejiisan:20181228223256j:image

加藤 豊作「神話II」

ギリシャ神話のゼウスとレダ


日光道中粕壁宿・碇山のイヌグス(其の三)

2022-08-06 19:30:00 | 地域発信情報

公開日:2019/01/24・更新日:2022/08/06

◆なぜ当地にイヌグスが?

ところで、なぜ、碇山(碇神社)にイヌグスが植えられているのか? 

また、どうして、イヌグスなのか? などは、誰も教えてくれません。

そんな中、偶々興味深かい文章を見つけましたので、私見を交えてご紹介させていただきます。

記念樹?
熊本県水俣出身の民俗学者谷川健一(たにがわ·けんいち、1921−2013)は、著書『日本の地名』(岩波新書、新赤版495、1997)で、同じく民俗学者折口信夫(おりぐち·しのぶ)の『上代日本の文学』の文章を引用して、次のように述べています。
折口信夫が、

 我々の祖先(オヤ)たちが、此国に渡って来たのは、現在までも村々で 行わてれいる、ゆいの組織の強い団結力によって、波濤を押し分けて来ることができたのだろうと考えられる。その漂着した海岸は、“たぶ”の木の杜に近い処であった。其処の渚の砂を踏みしめて先、感じたものは 青海の大き拡がりと妣(ひ)の国への追慕とであったろう。
※妣(ひ)の国=母、亡き母のくに、つまり母国。
と言っており、
これを受けて、谷川健一は、

折口は南の島から漂着した日本人の祖先の記念樹がタブの木であったと言っている。
タブの木は、イヌグスといって、クスの一種である。クスノキ科には、クスノキ属、タブノキ属、シロモジ属、クロモジ属、ゲッケイジュ属、カゴノキ属がある。このうちタブノキは本州の暖地、四国、九州、琉球、台湾、中国などに分布する。
ー中略ー
 タブの木は、直径ニメートル、高さ十五メートルからニ十メートルに及ぶものがある。建築材や家具材に適している。船材としても珍重されたことは、奄美大島の住用材で、戦後なってもタブの丸木舟を作り、田船として使ったり、あるいは奄美大島と加計呂麻島(かけろまじま)との間によこたわる瀬戸内を横断していたことで分かる。
 折口は、さきの文章でゆいの組織の強い団結力によって、波濤を押し分けて来ることが出来たのだろうと考えられると言っている。「ゆい亅と言うのは共同作業のことであるが、もともと、物を結びつけることを言う。私(谷川健一)はこのことから同族集団あるいは地縁集団が、丸木舟と丸木舟を結びつけ、安定をよくして波浪を凌いだことを想像するのである。折口もそのような光景を想定していたのではあるまいか。タブの木もたんに民族渡来の記念に植えたのではなく、その舟に乗って渡航したことを示す大切な思い出の樹であった。

と述べています。 
旧(もと)の木
また、民俗学者の柳田國男は、自身の著書『海上の道』において、日本民族の渡来について、日本文化の源を沖縄を通して南方に求めようとする仮説を唱えました。
有名な「椰子の実」と言う歌は、柳田國男の話を聞いて作ったとされる島崎藤村の詩です。自分も小学生か中学生の時習いました。

『名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実ひとつ 故郷の岸離れて 汝(なれ)はそも波に幾月 旧(もと)の木は、生(おい)いや茂れる 枝はなお影をやなせる ー以下略 ー』

の、特に旧の木は、生いや茂れるの部分は意味深ですね。旧の木は、タブの木だったのでしょうか?

なお、クスノキについて言えば、2019年1月2日放送のブラタモリ『太宰府天満宮』編で、 

太宰府天満宮には、クスノキが生い茂る林がある

と、言っていました。鎮守の森としての役割の他、天満宮の造営・補修の部材としての用途もあったようです。

もっとも、碇神社のイヌグスは、そのような大袈裟な理由ではなく、案内板の説明にある通り、後代には、船頭さん達の船着場の目印になりました。植えた当初は、単に碇神社や屋敷を守る鎮守の意味だったのでしようね。

でも、我々の祖先の思い出の樹(記念樹)と考えた方がロマンがあるとは思いませんか?
 
日頃何気なく見ている景色もいろいろ考えると、とても面白いですね。


おわり
 

【参考図書】

日本の地名 (岩波新書)
作者:谷川 健一
岩波書店







日光道中粕壁宿・碇山のイヌグス(其の二)

2022-08-02 19:30:00 | 地域発信情報

公開日:2019/01/24・更新日:2022/08/02

前回からの続き…

◆碇神社のイヌグス 
碇山には、往時名主の屋敷稲荷だった「碇神社」があり、そのため「碇山のイヌグス」は、別名「碇神社のイヌグス」とも呼ばれています。 



碇神社とイヌグス

 

案内板
新たに設置された案内板(裏面・内側)には、その碇神社とイヌグスについて書かれています。



案内板(裏面・内側)

埼玉県指定天然記念物 
 碇神社のイヌグス 指定年月日 昭和三十年十一月一日
「碇神社」と呼ばれる祠は、江戸時代に名主を務めた多田家の屋敷稲荷です。祠の脇に生育する巨木がイヌグスで、樹齢六百年余りを数えます。かつては、高さ約十二メートルの巨木でしたが、昭和五十四年の台風で被害を受け、現在では、高さ約七メートル、根回り約十メートルを測ります。
「イヌグス」は、和名をタブノキといい、主として中部地方以南の海岸地に多く自生している暖地性の常緑樹です。そのため、「碇神社のイヌグス」は、イヌグスの北限とされ、埼玉県でも珍しい樹木であることから、昭和三十年に県の天然記念物に指定されました。
平成三十年二月 春日部市教育委員会
老木ですが。

(埼玉県指定天然記念物のイヌグス) 

案内板にある通り、なにしろ推定樹齢が600年余りの老木ですので、傷みも目立ち、樹医の手当が行われています。木の中にセメントが入れられており、後に樹脂も入れられましたが、近年、樹木の生命力により、詰め物を吐き出していることが確認されているそうです。力強い生命力を感じます。


手当はされていますが、少し痛々しいですね。よく見ると、根元に「通気孔」のようなものが付いています。やはり、イヌグスも呼吸しているのでしようか。


◆イヌグスはタブノキ  
イヌグスは、学名をクスノキ科タブノキ属の「タブノキ」といい、老樹の材に巻雲状の美しい模様の現れたものは、タマグスと呼ばれています。「イヌグス」という名は、クスに似ているがクスではなく、木質が劣っているところから、頭に犬の字をつけてこう呼ばれています。
また、イヌグスの樹皮は、多糖体を主成分とする粘質物を含み、粉末にして水を加えると粘液になるので、線香、蚊取り線香などのつなぎや染料(樺色の染料)に用いられていたようです。なお、前掲の案内板では、このイヌグスは北限となっていますが、東日本大震災の時、東北の宮城県にイヌグス(タブノキ)がある映像を見ました(確かTBSの『サンデーモーニング』という番組で)、

なので、ほぼ北限と言うほうが良いのかも知れません。
それにしても600年余りもの間、風雪に耐えてよく頑張っていると思います。きっといろいろな歴史的な出来事を見てきたに違いありませんね。

ところで、なぜ当地にイヌグス=タブノキが植わっているのでしょうか? 誰も教えてくれませんので、わかりません。そこで、少し私見を。

この続きは次回に…