最初の地震が起こった後も頻繁に余震は続いていましたが、
今思うと、「余震」という言葉にどこか安心している自分がいたような気がします。
「もう昨日以上の地震は起こらないだろう。」と。
ところが、その日の深夜、想像を絶するような修羅場が待っていたとは・・・。
今思い出しただけでも背筋が凍るような恐怖に襲われます。
夜になっても余震は続いていましたので、引き続きみんなでリビングに寝ることにしたんですが、
みんなが寝静まった深夜1時すぎに地獄のような修羅場が始まってしまいました・・・。
いつもの余震とは違う、地鳴りのような音とともに激しい揺れが襲ってきました。
最初の大揺れの時よりかなり長かったような気がします。
そして、今回も揺れが始まった後に鳴り響く緊急地震速報・・・。
あのサイレンみたいな音が、より一層恐怖を増幅させてくるんです。
やっと揺れが収まったかと思ったその数分後にまた激しい揺れ。
それが何回も何回も「これでもかっ!」というくらい繰り返し襲ってきて、
家の中は停電で真っ暗になり、外では光のようなものがピカッ、ピカッと光り続けていました。
電線が切れて火花が散っていたのか、地震光だったのかは不明ですが、それがまた不気味で不気味で・・・。
「天の神さまーーーっ、もう勘弁してくださーーーい!」と心の中で叫んでも、容赦なく揺れ続ける大地。
怒り狂う大地の前に人間は無力であることをまざまざと見せつけられながら、
自分たち家族は、ただただ体を寄せ合ってうずくまることしかできませんでした。
その時、ふと「津波は大丈夫だろうか?」と思いラジオをつけてみると、
「津波注意報が発令されました!!」と不安的中の情報が流れてくる始末・・・。
「もうダメだ!!」と思い、「よしっ、車で逃げるぞーーーっ!!」と叫んでいました。
着の身着のまま財布の入ったバッグだけを抱えて家を飛び出すと、
近所の人たちも避難しようと外に出てパニック状態に。
小回りが利くようにと思い、軽自動車に5人プラス1匹で乗り込み車を走らせたんですが、
近所に住む姉のことが心配になり、引き返して様子を見に行くと、
まさに家を出て避難するところの姉を、既に定員オーバーの車に乗せてとにかく車を走らせました。
車のラジオからは、「阿蘇大橋が崩落しました。」とか「市民病院が倒壊の危機にあります。」という
信じられないような内容の情報が次から次へと流れてくるではありませんか。
で、運転しながら「どこに逃げたらいいか?」とありとあらゆる場所が頭の中を駆け巡っていました。
熊本駅の裏の花岡山がいいかなと思ったんですが、津波からは逃れられるかもしれませんが、
食料を持ってきてなかったので孤立してしまったらヤバいなと。
市の中心部はビルが倒壊してくるかもしれないので絶対ダメだなと。
とにかく海から離れなくてはと思い東へ向かっていると、先日長男坊の入学式があった県立劇場が頭に浮かびました。
あの辺りだったら、周辺より土地も高いし、ゆめタウンの大きなスーパーもあるし、学園大学のキャンパスもあるということで、
食料もトイレも確保できると確信し、スーパーの駐車場へ向かうことに!
駐車場にはすでに多くの車が避難してきていましたが、なんとか車を停めることができ、
仮設トイレも設置してあり、スーパーのスタッフの方がお菓子まで配ってくれました。
そこでやっと「助かった!」と感じることができましたが、
道路にはパトカーや救急車がひっきりなしに猛スピードで走り去っていく姿を見ると、
「とんでもないことが起こってしまったんだ・・・。」と。
で、強い余震が続く中、そのまま駐車場で一夜を過ごし、朝になって家に帰ることにしました。
帰る途中、信じられない光景が・・・。
倒壊したビルや家が至る所に・・・。
1回目の大揺れでかなりのダメージを受けていた建物が、今回の大揺れで耐え切れずに崩壊してしまったのではないかと。
見慣れた街並みが変わり果ててしまいました・・・。
今思うと、「余震」という言葉にどこか安心している自分がいたような気がします。
「もう昨日以上の地震は起こらないだろう。」と。
ところが、その日の深夜、想像を絶するような修羅場が待っていたとは・・・。
今思い出しただけでも背筋が凍るような恐怖に襲われます。
夜になっても余震は続いていましたので、引き続きみんなでリビングに寝ることにしたんですが、
みんなが寝静まった深夜1時すぎに地獄のような修羅場が始まってしまいました・・・。
いつもの余震とは違う、地鳴りのような音とともに激しい揺れが襲ってきました。
最初の大揺れの時よりかなり長かったような気がします。
そして、今回も揺れが始まった後に鳴り響く緊急地震速報・・・。
あのサイレンみたいな音が、より一層恐怖を増幅させてくるんです。
やっと揺れが収まったかと思ったその数分後にまた激しい揺れ。
それが何回も何回も「これでもかっ!」というくらい繰り返し襲ってきて、
家の中は停電で真っ暗になり、外では光のようなものがピカッ、ピカッと光り続けていました。
電線が切れて火花が散っていたのか、地震光だったのかは不明ですが、それがまた不気味で不気味で・・・。
「天の神さまーーーっ、もう勘弁してくださーーーい!」と心の中で叫んでも、容赦なく揺れ続ける大地。
怒り狂う大地の前に人間は無力であることをまざまざと見せつけられながら、
自分たち家族は、ただただ体を寄せ合ってうずくまることしかできませんでした。
その時、ふと「津波は大丈夫だろうか?」と思いラジオをつけてみると、
「津波注意報が発令されました!!」と不安的中の情報が流れてくる始末・・・。
「もうダメだ!!」と思い、「よしっ、車で逃げるぞーーーっ!!」と叫んでいました。
着の身着のまま財布の入ったバッグだけを抱えて家を飛び出すと、
近所の人たちも避難しようと外に出てパニック状態に。
小回りが利くようにと思い、軽自動車に5人プラス1匹で乗り込み車を走らせたんですが、
近所に住む姉のことが心配になり、引き返して様子を見に行くと、
まさに家を出て避難するところの姉を、既に定員オーバーの車に乗せてとにかく車を走らせました。
車のラジオからは、「阿蘇大橋が崩落しました。」とか「市民病院が倒壊の危機にあります。」という
信じられないような内容の情報が次から次へと流れてくるではありませんか。
で、運転しながら「どこに逃げたらいいか?」とありとあらゆる場所が頭の中を駆け巡っていました。
熊本駅の裏の花岡山がいいかなと思ったんですが、津波からは逃れられるかもしれませんが、
食料を持ってきてなかったので孤立してしまったらヤバいなと。
市の中心部はビルが倒壊してくるかもしれないので絶対ダメだなと。
とにかく海から離れなくてはと思い東へ向かっていると、先日長男坊の入学式があった県立劇場が頭に浮かびました。
あの辺りだったら、周辺より土地も高いし、ゆめタウンの大きなスーパーもあるし、学園大学のキャンパスもあるということで、
食料もトイレも確保できると確信し、スーパーの駐車場へ向かうことに!
駐車場にはすでに多くの車が避難してきていましたが、なんとか車を停めることができ、
仮設トイレも設置してあり、スーパーのスタッフの方がお菓子まで配ってくれました。
そこでやっと「助かった!」と感じることができましたが、
道路にはパトカーや救急車がひっきりなしに猛スピードで走り去っていく姿を見ると、
「とんでもないことが起こってしまったんだ・・・。」と。
で、強い余震が続く中、そのまま駐車場で一夜を過ごし、朝になって家に帰ることにしました。
帰る途中、信じられない光景が・・・。
倒壊したビルや家が至る所に・・・。
1回目の大揺れでかなりのダメージを受けていた建物が、今回の大揺れで耐え切れずに崩壊してしまったのではないかと。
見慣れた街並みが変わり果ててしまいました・・・。