南阿蘇の整体店! 

自然いっぱいの南阿蘇村で、ミニログハウスの整体店
「ほぐし処 Ah Soco Soco」を営業中です!

とうとう運命の土地に出合いました!!

2012年12月17日 | 過去日記(土地購入まで)
いよいよ本格的に土地探しを始めることになりました。

ネットで検索してみると、南阿蘇の辺りも以前に比べると物件が増えていましたので、
気になる物件があれば、休みの日に見に行くようになりました。

最初に気になった物件は、元々思い描いていたような杉や檜が生い茂っている
千坪クラスの山林でした。
当初の夢は、山林を切り開いて、切り出した丸太でログハウスを建てるという
夢物語を思い描いていましたので、理想的な物件でした。
しかし40を目前に控えた身にとっては、単なる夢物語に過ぎず、
現実的ではないということで諦めることにしました・・・。

次の物件は、300坪くらいの広さで、店舗用の建物が既に建っている物件でした。
内装のリニューアルは必要ですが、新たに建物を建てる必要がなく、
コストを抑えて開店できるという点で、ものすごく魅力的な物件でしたが、
住宅地の一角ということもあり、景色が残念でした・・・。
阿蘇の五岳が眺められるところが条件の一つでしたので、
これまた諦めることにしました。

また次の物件は、土地が2段に分かれている400坪くらいの土地で、
1段目は平地で、2段目がログハウスに使えそうな木が生えている山林でした。
土地の眺めもなかなかのものでした。
しかし、その眺めは、憧れの阿蘇の五岳の眺めではなく、外輪山の眺めでした。
しかも太陽の光が逆光になり、景色も霞んで見える感じでした。
このほかにも2ヶ所ほど別の物件を見て回りましたが、理想には程遠く、
憧れの景色ではないけど、ここに決めようかなぁ~と気持ちが傾き始めていました。

しかし、嫁さんと姉の「ここまで頑張ったんだから、もうちょっと待ってみたら。」
の言葉で思いとどまり、もう少し他の物件を探してみることしました。

そしたらです!!
熊日新聞の不動産広告欄に南阿蘇の物件が載っていました。
しかも、その物件は「眺望良し」と書いてあるではありませんか!
その言葉を信じ、その不動産屋さんに連絡してその物件を見せてもらうことにしました。
俵山トンネルを抜けたところにある、コンビにで待ち合わせをして、
不動産屋さんの車の後についていきました。
途中から山手のほうに上っていくんだろうなと思っていたところ、
道沿いの土地のところで車が止まったのです!
「もしかして、ここ?」
そこは、阿蘇の五岳が目の前に広がる道沿いの最高の場所でした!!



即決しました!

嫁さんと姉の言葉で思いとどまって本当によかったぁ~~~。
24歳の頃から田舎暮らしを思い始めて15年、ほんと長い道のりでした。
やっと運命の土地に出合うことができましたぁ~。!!
やはり、夢は見るものでなく叶えるものでした!
そして、想い続ければ夢は必ず叶うものでした!

さあ、第二の人生のはじまりですっ!

神様ありがとうございます。

土地探し再開!

2012年12月11日 | 過去日記(土地購入まで)
肝心の土地探しの方は、脱サラするしないのゴタゴタの時期以来、
完全にストップしてしまっていました。

想定外のことが次から次へと起こりましたので、
土地のことを考える余裕は完全になくなっていたんだと思います。

しかし、苦しんで苦しんで再就職させてもらった「りんつ」での生活が
2年を迎える頃、自分の年齢は39歳を迎え、年齢的にも、
そろそろ将来のことを考える時期に突入してしまいました。

その頃、「りんつ」も変化の時期を迎えていましたので、
それに並行して、自分も独立に向けての準備をいよいよ進めることになりました。

さぁー、土地探し再開です!!

ところが、これまた大変でした・・・。



逆転満塁ホームラン!

2012年12月05日 | 過去日記(土地購入まで)
第二の就活で泥沼にはまり込んでしまい、途方に暮れてた頃、
毎週の日課になっていた”タウンワーク”チェックを行っていました。

その週の特集は、時間と曜日が選べる特集だったのです。
その時、「もしかしたら・・・。」という予感がしました。
なんと、その予感は的中し、その特集の中に整体店が含まれていたではありませんか!!

「もうここしかない! ラストチャンスだぁー!!」と一気にテンションが上がり、
すぐに電話をして、面接をしてもらうことになりました。

面接では、今までどおり「自分は脱サラしたばかりで、ふたりの子供を保育園に
預けている関係で、今は自分が自由が利くようにしなければならないので、
無理を承知で、平日は6時くらいで帰らせてもらって、土日のどちらかは
休ませてほしいのですが・・・。」とお願いしました。

面接をしてくださった店長さんとマネージャさん(おふたりとも女性)は、
「う~~ん・・・。」ってな感じでした。

「やっぱり駄目かなぁー。」と思っていたところ、
なんとマネージャーさんが、「みんなこういった時期を経験しなければいけないけど、
その時期はずっと続くわけじゃないから。何年かの辛抱よ。とりあえず、
あなたの条件でがんばってみようか。」と言ってくれたではありませんか!!

後日電話があり、「オーナーと相談した結果、採用させていただくことになりました。」
と言ってもらいました。
「あぁぁ~~、よかったぁぁぁ~~。」と全身から力が抜け、涙が溢れてきました。

おかげで保育園に就労証明書を提出することができました。
もう感謝、感激、雨あられです。
ほんと土壇場で逆転満塁ホームランが飛び出しました!!

この恩はずっと感じ続けています。
将来独立するまで、ここでがんばって恩返ししようと心に誓いました。

そのお店の名前は、「こころよい整体 りんつ」です。

自分はもうちょっとで卒業してしまいますが、是非皆さんおいでくださーーい。
心よりお待ちしております。




長~いトンネル。

2012年11月26日 | 過去日記(土地購入まで)
人生2回目の就活は、長~いトンネルに入り込んでしまいました。

前回の過去日記でもお話したように、自分に都合のいいような条件で
探していましたので、簡単に見つかるわけがありません。

整体店は2ヶ所面接を受けに行きました。どちらとも昼間より夕方以降が
忙しくなるので、その時間帯に帰ってしまうのはちょっとぉ~ってな感じでした。
しかも、その内の一箇所は、「この店の施術のやり方を覚えてもらわないと
いけないので、逆にスクール料としてのお金が必要になります。」と・・・。

次に整骨院の受付兼助手の募集がありました。そこは、「まずは履歴書を郵送して
ください。」とのことでしたので、すぐに送ったところ、電話がかかってきて
「今回は、残念ですが・・・。」とのこと。

次に整形外科のリハビリ助手の募集がありましたので、今度こそはと思い履歴書を
郵送したところ、今度は先方から封書が郵送されてきました。
ドキドキしながら封を開けてみると、「今回は、残念ですが・・・。」
の手紙と履歴書が送り返されてきました・・・。

完全に打ちのめされてしまいました。
このままじゃ、どこも雇ってくれないんじゃないかと。
なので、ひとまず整体関係の仕事は諦め、整体以外の仕事を探し始めました。

そこで目に留まったのが、農業でした。
将来は、農業もがんばろうと思っていましたので、その勉強をやろうと思い
農作業手伝い募集のところで電話をかけたところ、
「もう決まりましたぁ~。」とのこと。

もう、こりゃ駄目だと思い、整体や農業に限らず、勤務時間がきっちりしている
ところはどこでも受けてみよう思い、生協の配達の仕事が朝から夕方までの
勤務時間でしたので、早速面接を受けに行ってみたら、
募集では、配達のみ仕事ということでしたが、実際は配達のあとに営業に出なくては
いけないとのことで、帰りは8時、9時になるとのことでした・・・。
「はぁ~、ちゃんと書いとってよぉ~~~。」ってな感じて、愕然としました。

保育園への就労証明書の提出期限が刻一刻と迫ってきています。
いよいよやばくなってきましたぁーーー。
子供を預けられなくなるだけでなく、保護者会の会長もできなくなるため、
本気で焦りまくりました。なんでこんなにうまくいかないんだろうと・・・。

ところが、次の週の「タウンワーク」で、
長~いトンネルの先に、一筋の光が見えたではありませんか!!

次回につづく・・・。

史上最大のピンチ!

2012年11月13日 | 過去日記(土地購入まで)
前回の過去日記で、次男坊が通う保育園のことをお話しましたが、
保育園へ子供を預けるということは、当然夫婦共働きが絶対条件になります。
整体修行中は、在学証明書を出してもらうことによって子供を保育園に
預けることができました。

修行も終盤になり、修了後の就活を本格化させてなくてはならなくなりました。

が、ここで問題が発生してしまいました。

自分としては、これからは夫婦ふたりで仕事も家事も半分づつ分担して
どちらも無理することなく暮らしていければいいなぁ~と感じていました。

しかし、嫁さんはどちらかはちゃんとした仕事をしていたほうがいいということで、
その年の4月から正社員に復帰することになりました。

自分は整体店で働きたいと思っていました。
嫁さんがフルで働くことになりましたので、自分は自由が利くようにしなければ
いけないと思い、朝はちょっと遅めに始まり、6時くらいで帰らせてもらって、
土日のどちらかは休ませてもらえるようなところを探すことにしました。

当たり前ですが、そのような都合のいい職場など簡単に見つかるわけがありません・・・。

面接を受けては落ちるようなことを繰り返しているうちに、就業証明書を
保育園に提出するタイムリミットが迫ってきていました。

次男坊を保育園に預けられないかもしれないという、
史上最大のピンチを迎えてしまったのです。

めちゃくちゃ焦りました・・・。

貴重な経験 Part3

2012年10月22日 | 過去日記(土地購入まで)
実は、整体修行中にもうひとつ貴重な経験をしました!

我が家は共働き家族でしたので、ふたりの子供達は保育園にお世話になりました。

自分達が安心して働けたのも、保育園の先生方のおかげでしたので、
次男坊が年長さんの時に、これまでのお礼を込めて保護者会の会長さん
をさせてもらいました。(実は、年中さんの時には会計担当をやっていました。)

せっかくの機会でしたので、今までなかったことをやってみようと
いろいろと考えていました。やる気マンマンでした。

が、その年、新型インフルエンザが発生してしまったではありませんか!

9月の運動会まではなんとかできましたが、それ以降の行事はすべて中止に
なってしまいました・・・。

考えていたことは何もできずに不完全燃焼で終わってしまいました・・・。

残念な結果にはなりましたが、1年を通して子供の成長を身近で見続ける
ことができたので、ほんとに幸せでした。

貴重な経験ありがとうございました。

貴重な経験 Part2

2012年10月17日 | 過去日記(土地購入まで)
整体修行中にもうひとつ貴重な経験をしました。

それは、自然農法での米作りです。
姉の知り合いの方が、大津町のほうでジャンボタニシを使った農法で
米作りをされていることを知り、手伝わせていただくことになりました。

苗床作りから、田植え、草取り、稲刈りまでを経験することができました。
ジャンボタニシというと、稲を食べてしまう"害虫"というイメージが
ありましたが、水田の水の高さを調節したりすることによって、
草だけを食べてくれるようにすることができるのだそうです。
実際、全く草が生えていませんでした。

しかし、何箇所かある水田の中の1箇所は、周辺の農家の方がジャンボタニシを
使うことに反対されていたので、そこだけは手作業で草取りをすることになりました。
稲と稗(ひえ)の違いが分かりづらかったり、稲の葉っぱで切り傷だらけになったりと
めちゃくちゃ大変でした。
結局、全部取り除くことはできず、雑穀米になってしまいました・・・。
この夏も草達にはおもいっきり泣かされましたが、
あの時もおもいっきり泣かされました。

それでも、黄色に色づいた稲穂を見た時は、ほんと幸せな気分になりました。
「米を自分で作れたら、どんな時代が来ても怖いものはないな。」と・・・。

その方は、米だけでなく、野菜はもちろん味噌まで自分で作られていました。

ある意味、時代の最先端を行かれている方でした!

第二の人生、はじまりはじまり。

2012年10月10日 | 過去日記(土地購入まで)
平成19年7月から、いよいよ第二の人生がスタートしました。
といっても前回お話したとおり、9月までは週3日は元の職場で
働いていたんですけどね。

9月まではある程度の収入があったので、
気分的には特に以前と変わりなかったんですが、
10月からは整体の修行に集中することになり、収入もゼロになりました。
こういった時期が来ることは覚悟していましたが、いざその時期を迎えてしまうと、
なんともいえない不安に押しつぶされそうになりました。

しかも整体の修行に集中するといっても、週に3日程度の講習でしたので、
残りの日は、市立図書館に行ったり、県立図書館に行ったり、江津湖に行って
ウォーキングをして時間をつぶすような日が続きました。

ほんと孤独で不安な日々でした・・・。

その年の年末には、整体の先生の都合で3週間程度休みが続くことになりましたので、
電話帳配りのバイトをすることにしました。
電話帳配りのバイトは、配るだけではなく、どれだけ古い電話帳を回収できるかで
給料が大きく変わる仕組みになっていました。
3週間命一杯がんばりましたが、いただいた給料は2万数千円でした・・・。

愕然としました。
サラリーマン時代は、当たり前のように貰っていた給料でしたが、
お金を稼ぐということがいかに大変なことか身にしみて感じさせられました。

ほんと不安な日々ではありましたが、おかげで貴重な経験をすることができました。



第一の人生のフィナーレ。

2012年10月05日 | 過去日記(土地購入まで)
いよいよ、平成19年の5月いっぱいでサラリーマン人生を卒業することになりました。
16年に及ぶ山あり谷あり底ありの刺激的なサラリーマン人生でした。

途中、過労で死ぬかと思ったこともありましたが、あの地下鉄サリン事件の日に
出勤で地下鉄に乗っていたので、事件があと1,2時間遅く起こっていたら
本当にこの世にいなかったかもしれません。

ほんとあの日はビックリしました。
丸の内線に乗っていたんですが、古い車両だったので、窓を開けながら走っていました。
そしたら車掌さんが、車内放送で「今開いてるドアは至急閉めてください!」
と言うではありませんか。
車内は「何、何、何・・・?!」ってな感じでみんな混乱した様子でした。
そして、降りる駅では停車せずに次の駅で降りて歩いて職場に向かうことになりました。
職場に着いたら、テレビで事件のことが放送されていて
「えーーーっ!!」となったのを今でも憶えています。

話がかなり脱線してしまいましたが、
退職した時、年齢は36歳を迎えていました。3回目の年男です。
予定では30の前半で第二の人生をと思っていましたので、
ちょっと想定外になってしまいました・・・。

でも、自己都合で退職する身なので、5月で「ハイ、さよなら。」としてしまうのは
なんか申し訳ないよう気がしていたので、6月から9月まで非常勤職員として
週3日出勤することにして徐々に仕事の引継ぎを行っていきました。

また、10月からの民営化に向けて、建物内でレイアウト変更があったりしたので、
働く場所も窓際の方に徐々に移っていって、最後はその場所に自分だけというような
感じになりました。

寂しい感じでしたが、なんか理想的な卒業ができたかなとも感じました。

16年間お世話になりました。

さあ、いよいよ第二の人生のはじまりです!!



天職に出合ってしまいました!

2012年09月27日 | 過去日記(土地購入まで)
前回の過去日記で、ヘルパー2級の講習を受けた話をしましたが、
その時に、とうとう天職に出合ってしまったのです。

講習の最後に現場実習が数日間あり、デイサービスの実習の時に
その事件は起こりました。

部屋の奥のほうで、お爺ちゃんやお婆ちゃんをマッサージしている人が
いるではありませんか。
その光景を見た途端、ビビビッときたのです!
「そうだ!マッサージの技術も身につけよう!!

思い立ったらすぐ行動ということで、
姉の知り合いの整体師の先生が、教える資格を持っていらっしゃったので、
退職後に弟子入りさせていただくことになったのです。
今思い返しても、この頃は我ながらすごい行動力だったと思います。

ちなみに、ヘルパー2級の資格も無事ゲットすることができました。
しかも現場実習の最終日に、実習をさせていただいた施設の責任者の方から、
「うちに来ませんか?」と誘っていただいたのです。
とてもありがたいお話でしたが、まだ退職もしていない時期でしたし、
整体も習おうと思い始めていたので、丁重にお断りさせていただきました。

しかしこの時、「福祉関係の道に進んでもやっていけそうだ。」と確信しました。

施設の責任者の方、ほんとにありがとうございました。







なつかしいなぁ~。

2012年09月19日 | 過去日記(土地購入まで)
最近、朝の10時から再放送しているドラマをなつかしく見ています。
仕事に行かないといけないので、いつも途中までしか見れませんが・・・。

その名は「アットホーム・ダッド」というドラマです。
ちょうど退職した頃にやっていて、自分の状況とそっくりな状況だったので、
毎週欠かさず見てました。
内容は、今までバリバリ働いていた夫が、突如「主夫」になるというドラマです。
(超カンタンな説明ですけど・・・

当時は、整体の修行(詳しくは次回お話します)を1年間行っていたので、
その間無収入の状態が続いていました。
今まで養う側だったのが、養ってもらう側になったわけですから、
掃除、洗濯、風呂掃除、トイレ掃除、夕飯づくり(実家からも一品もらっていましたが)
と家のことをなんでもやるようになりました。

一人暮らしをしていた頃は全部自分でやっていたので、
それほど苦にもなっていなかったし、これからは仕事も家事も夫婦で半分半分
無理せずにがんばればいいと思っていました。
それで十分暮らせていけると確信してました。

今までは無理をして、一日の半分以上を職場で過ごすような日々をずっと続けていて、
なんか生き急いでいるような気がしてなりませんでした。
子供達も、気づかないうちに色んなことができるようになっているし・・・。
子供達の成長の過程を見逃したくないという気持ちも大きくなっていました。

しかし、「こんな生活もアリ」と自分は思っていても、周りの人達にとっては
「男が仕事もせずに家のことだけをしている状況はアリえない」という考えが
大勢を占めていました。

自分としては、先々のことを考えて、いろいろ準備した上で行動を起こしている
つもりでしたが、「家族のことも考えずに自分勝手な行動」と見られていました。

とても肩身の狭い1年間でした・・・。

が、「くっそぉー、負けてたまるかぁ。」という気持ちもめらめら湧き上がっていました。

そんな気持ちを思い出しながら、なつかしくそのドラマを見ています。

早く明日にな~れ。


転職に向けての第一歩!

2012年09月10日 | 過去日記(土地購入まで)
転職について、なんとか家族の承諾を得ることができ、
職場の上司にも転職したい気持ちを伝えました。

最初はびっくりされましたが、最終的には自分の考えを尊重してくださいました。
○○課長、ほんとにありがとうございました。
心から感謝しております。

そして、いよいよ転職に向けての第一歩を歩み始めることになりました。

福祉関係の資格で、働きながら取得できるものを調べたところ、
唯一、ヘルパー2級のみでしたので、毎週土曜日に講習を受けることにし、
平成18年の10月から翌年の3月までの6ヶ月間まじめにがんばりました。

6ヶ月間の講習が修了したあとに、現場実習が数日間あったんですが、
その内のデイサービスの実習の日に、なんと天職に出合うことになるのでした!

思わぬ展開へ・・・。

2012年08月06日 | 過去日記(土地購入まで)
転職に向けて、強行突破を図ろうと孤軍奮闘を続けていましたが、
実家の母も嫁さんも、何が何でも反対ということで、まったく先が見えない状況が
続いていました。
それでも、転職先について、ひとりで色々と考えていました。
そして、たどり着いた先は、「高齢の方々が多い阿蘇で暮らすには、福祉関係の道
しかない。」でした。

ところが、ふたりの言い分は「今転職して生活はどうするの?」ということだけに
集中していました。毎日毎日夜遅くまで働いてクタクタになっているのを
もちろん知っているはずなのに、自分の体調のことを心配してくれる気配は
まったくありませんでした。
どっかの政党みたいに、「自分達の生活が第一!」ということだったのです。

ですので、嫁さんに対しては、「少しばかりの退職金を生活費として使えば、ひとまず
の間は貯えを減らさんでもいいでしょ。」と話し、母親に対しては、自分の最近の体調
のことを話し「過労で死んでしまったら元も子もないでしょ。」ということで、
渋々ですが、了解してもらいました・・・。

しかし、今度は嫁さんの両親に話をしなければなりません。
これまでのやりとりで、かなりのエネルギーを消耗し、嫁さんの両親に納得して
もらえるような話をする自信がなくなっていました。

ところがです。
「民営化を機に、福祉関係の仕事に転職をしたいと考えています。」と話したところ、
反対されるどこか、お母さんからは「よっぽど今まで大変だったんだろう。」と
言ってもらえたのです。
そして、去年プチログハウスができた時には、お父さんから「ようがんばったな。
誇りにしてよかよ。」と言ってもらえました。
ほんと救われました。心の中では「ずっと間違ったことをしてしまったのかな。」
と思い続けていたので、ほんとうれしかったです。

嫁さんのお父さん、お母さん、ほんとにありがとうございます。






反対の嵐・・・。

2012年07月19日 | 過去日記(土地購入まで)
「いよいよ行動を起こそう!」と決心したことを前回の過去日記でお話しました。

当時、自分の母親はもちろん、嫁さんのご両親にも大反対されることを覚悟していました。
しかし、どんな状況になっても嫁さんだけは最後まで応援してくれると信じていました。
だって、結婚を決める時に、将来の夢について語り合ったわけですから。

ところがです。
「そろそろ行動を起こそうと思っていんだけど。」と嫁さんに伝えたところ、
「なんで今じゃないといかんと? 子供もまだ小さいのに、定年後でいいじゃない。」
みたいなことを言われたのです。
「えっ!?」一瞬耳を疑いました。
「だって、結婚する時、将来阿蘇に移住して、そこで子供を育てたいって言ったじゃん。」
「理想と現実は違うでしょ。」
「将来、収入が減る時期が来ることも考えて、コツコツ貯めてきたんじゃん。」
「今は、1円たりとも減らしたくない。」
こんなやりとりが続きました。

完全に想定外の事態でしたので、めちゃくちゃショックを受け、めちゃくちゃ落ち込みました。
勢いで結婚を決めてしまったツケが戻ってきてしまったのです。
もっと真剣に将来のことを話し合っておくべきだったと後悔しました。
「あ~、第二の人生を始めるまで結婚なんてするんじゃなかった。」と・・・。

しかし、自分には後悔してる暇はありませんでした
退職するタイミングは、この民営化の時しかなかったのです。
新しい体制が始まってしまえば、益々辞められなくなると思っていたので。

なので、退職に向かって強引に突き進むしかなかったのです。
ほんと孤独でした・・・。

想定外のビッグチャンス!

2012年07月02日 | 過去日記(土地購入まで)
脱サラするタイミングを見つけきれずに焦りを感じ始めていたある日、
想定外のビッグチャンスが訪れました!!

それは、働いていた職場の民営化が正式に決まったのです。
民営化ということは、公務員から会社員になるということを意味している訳で、
この先どうなるか分からないという不安定な状態が始まるということを
意味していました。

このことによって、一筋の光が見えたのです。
今までは「公務員という安定した身分を捨ててまで仕事を辞める必要がどこにあるのか?」
に対して反論できる材料がなかったのですが、民営化されることによって、
これからは絶対安定というものはないんだということを主張できると感じたのです。

自分にとって「最初で最後のチャンスが来たー!」と考え、
 いよいよ夢に向けて行動を起こすことになるのでした。

しかし、そこには想像以上の反対の嵐が吹き荒れることになるのでした・・・。