資料によると伊賀上野城は天正13年(1585年)筒井定次が三層の天守を築いたのが始まりだそうです。その後は築城の名手“藤堂高虎”が高石垣に水堀等を築き大改修。しかし、竣工直前の五層の天守は慶長17年(1612年)9月2日の暴風雨で崩壊、そして夏の陣で豊臣方が滅亡したので、再建はされなかったそうです。
現在の天守は、昭和10年(1935年)の個人(川崎克)の私財を投じて純木造の模擬天守が再建されました。
↑ 30メートルの高石垣
↑ 天守閣内は城関係や歴史資料が展示されています。
↑ 兜が特徴ですよね。本物?はガラスケースにありました。唐冠形兜(とうかんなりかぶと)は、豊臣秀吉より拝領したものです。
↑ 藤堂高虎公
↑ 天守閣から望む町並み
現在の天守は、昭和10年(1935年)の個人(川崎克)の私財を投じて純木造の模擬天守が再建されました。
↑ 30メートルの高石垣
↑ 天守閣内は城関係や歴史資料が展示されています。
↑ 兜が特徴ですよね。本物?はガラスケースにありました。唐冠形兜(とうかんなりかぶと)は、豊臣秀吉より拝領したものです。
↑ 藤堂高虎公
↑ 天守閣から望む町並み