MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1363 人間の体にはなぜ毛が生えていないのか

2019年05月20日 | うんちく・小ネタ


 作家の橘玲(たちばな・あきら)氏の近著「もっと言ってはいけない」(新潮社新書)を読んでいたところ、(本論とはあまり関係ない部分なのですが)人間は何故進化の過程で「体毛」を失ったのかについて、初めて聞く仮説が掲載されていました。

 大変興味深い内容だったので、(多少「ネタバレ」にはなりますが)備忘の意味でここに記しておきたいと思います。

 教科書にも書かれているように、チンパンジーとの共通祖先から分かれた人類(ホモ属)は、その後、二足歩行や大きな脳、体毛の消失など、他の霊長類とは明らかに異なる身体的特徴を備える形で進化していきました。

 これは、森林での樹上生活からサバンナに生活圏が変わり、狩猟採集しながら長距離を歩くのに適していたからというのが定説で、特に蒸し暑いサバンナを動き回るには体毛を無くし発汗によって体温調節する方が有利だったからだと多くの研究者が考えているということです。

 しかし、だったらなぜ、サバンナの動物にはみな体毛があるのか。昼は太陽が照り付け夜は厳しい寒さに晒される乾燥したサバンナでは、動物たちにとって暑い毛皮は必須の装備ではないかと橘氏はこの論考で疑問を呈しています。

 太陽熱を遮り、残りの熱を皮膚から離れた場所に閉じ込めて放散させる、熱が皮膚まで伝わらないように遮断するためにも毛皮は大変に役に立つ。だからこそ、砂漠に生きるラクダも立派な毛皮を纏っているというのが氏の指摘するところです。

 それにもかかわらず、人間の祖先はどこかで体毛を失い、大量の水を飲んで大量の汗をかかなければ体温調節ができなくなった。

 それは、一体何故なのか? 氏によれば、この謎に対する一つの答えに、1942年にドイツの人類学者マックス・ヴェシュテンへーファーが唱えた「アクア説」というものがあるそうです。

 アシカやクジラ、カバなどの水生型の哺乳類はみな皮下脂肪を持っている。しかし、陸生の大型哺乳類で皮下脂肪を備えているのは人間だけだということです。

 1960年、当時は学術的に無視されていたヴェシュテンへーファーの学説を読んだ海洋学者のアリスター・ハーディーは、だとしたら人間も過去に水生(もしくはそれに近い)生活をしていたのではないかと考えた。

 さらに、在野の人類学者エレン・モーガンが精力的な執筆活動でこれを支持し、人類は樹上生活の後、水上生活に移行したと主張たことで(半世紀以上の歳月を経て)アクア説は改めて注目されるようになったということです。

 アクア説によれば、人類が二足歩行に移行したのは4つ足で水の中に入っていくよりも(外敵の少ない)深いところに入っていけるから。水の中なら浮力によって(弱い足腰でも)身体や頭が支えられるし、皮下脂肪があれば冷たい水にも耐えられ水に浮きやすく動きもスムーズになる。

 (クジラやカバのように)体毛がないのはその方が動きやすいからで、人間の鼻が高く鼻の穴が下を向いているのも水に潜るときに都合がよいからだと説明されているということです。

 この水辺での暮らしの中でホモ属は脳の容量を飛躍的に大きくすることができ、知能を大幅に発達させた。大きな頭蓋骨を持つ子供の出産は困難になり、哺乳類の中では異様なほどの早産を余儀なくされたが、水中出産がそれを助けたという指摘もあるようです。

 橘氏によれば、現在でも(海外などでも奨励されている)水中出産は子供に与えるストレスが少なく、溺れてしまう赤ちゃんはまずいないということです。出産直後の赤ちゃんは泳ぐこともできて、水中では息をせず呼吸も問題ないとされています。

 私たち人間はごく普通に呼吸をコントロールすることができますが、近縁種であるチンパンジーは意識的に息を止めたり吐いたりすることができず、これが彼らが「しゃべれない」大きなハードルになっている。一方、水生の哺乳類は、(どれも)それぞれ水中で呼吸をコントロールできるよう進化してきたと橘氏はこの論考氏に記しています。

 さて、改めてそう言われれば、確かに陸上では(あちこちに負担がかかる)頭でっかちでバランスの悪い人間の肉体も、水の中なら無理はかかりません。

 首だけ水上に出して声を掛け合えば、(安全な場所から遠くを見渡して)危険も察知できるし協力することもできたでしょう。また、頭だけに毛が残っているのもなんとなくわかる気がしてきます。

 そう言えば、よく行くジムのプールでは、毎日(足腰の弱った)大勢のお年寄りたちが、カラフルな水着を着てプールの中を連れだって歩いています。

 太古の人類もこうして何人かで群れを成し、水辺で楽しく暮らしていたのかもしれないと、橘氏の論考を読んで私も(思わず)思いを馳せたところです。



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